第97話 闇に溶け込む
アイラの姿が、馬と馬の間に消える。
しかし、アイラ本人が変わらぬ勢いでギュール兵を倒しているのは、次々に馬上から兵が引きずりおろされて行くので分かる。
綿棒が当たったと思しき打撃音が、リズムでも刻むかのように、暗闇に響く。
「す、凄い……」
思わず漏れた、ジーンの言葉が聞こえる。
なあ、アイラって凄いだろう?
だけど、アイラのお父さんはもっと凄いんだろう?
ルメールによると、お祖父さんは、それ以上だったらしいし……。
「こ、コロさん……。緊縛呪って、凄すぎますよ」
「……、……」
えっ?
俺のこと?
あ、御者台からは、アイラが戦ってる姿って見えないのか。
「あれ、見て下さい。馬が勝手に整列してるんですけど、馬上に人影があるんで異常が起こったように見えないですよ」
「……、……」
ああ、そういう事ね。
うん、まあ、俺も毎回驚くよ。
だって、俺自身は緊縛呪を受けても何でもなかったしさ。
ジーンが妙なことに驚いている内に、アイラはもう半分も兵を倒していた。
こちらでは、主をなくした馬が逃げまどっている。
「何だ、こいつは……」
「化け物だーっ!」
「ひ、退けっ!! 一度戻って、応援を頼むのだっ!」
ギュール兵が、口々に叫ぶのが、小さく聞こえる。
馬車は、ゆっくりではあっても、着々と進んでいる。
だけど、様子を見に来た兵達が野営地に戻ってしまったら、まずくないか?
まだ、半分も来ていないし……。
ああ……。
二、三人だけど、兵が離脱して行った。
あ、アイラ……。
どうしよう、逃げちゃったよ。
「悪い……、逃がしちまった」
「……、……」
「すぐに増援が来る」
「……、……」
アイラは、逃げまどう馬をサッと手繰り寄せると、素早くそれに乗り、馬車に追い付いた。
ただ、快刀乱麻な活躍を見せたにも拘わらず、その表情には焦りの色が見て取れる。
「幌をたたむか……。きっと、これが目立っているんだ」
「……、……」
「まあ、それでも見つかってしまうかもしれないけど、月も陰っていることだし、少しは目くらましになるかもしれない」
「……、……」
「チッ……、ギュール兵め……。簡単に退きやがって。相手はたった一人なんだから、最後まで戦えよ」
「……、……」
アイラはそう言いながら、馬から馬車に、軽やかに飛び移った。
そして、馬車を覆っている白い幌に手をかける。
「義彦っ……! 聞こえますか?」
「えっ?」
俺の頭の中で、声が響いた。
「あ、暗黒オーブ?」
「闇を解放して下さい」
「や、闇を解放って、どうやるんだよ?」
「すぐに、体内に闇が満ちます。それをこらえることなく、解放するのです」
あ、暗黒オーブが、俺に喋りかけてる。
いつもは呪文でしか聞けない声が、明らかな意思をもって……。
うっ……。
確かに、闇が体内に満ちていくのを感じる。
だけど、こらえることなくって言うけど、それって……。
なあ、暗黒オーブ……。
俺、こらえてないんだけど、闇が貯まってしまうよ。
「……、……」
俺は訳が分からず、暗黒オーブに語りかけた。
しかし、何度語りかけても、もう、オーブは応えてはくれない。
お、おいっ……。
闇が、充満しちゃってるよ。
こらえてるつもりはないけど、解放も出来ないよ。
どうしたら良いんだ?
それに、闇を解放してどうしようって言うんだよっ!
「さあ……、これで良いかな?」
「アイラさん……。幌を外しても、あまり効果は……」
「うん……、そうかもしれない。だけど、真ん中を越えれば、きっとギュール軍も簡単には手だし出来ないはずなんだ」
「……、……」
「奴等にとっては、あたし達は明らかな敵だろう? だとしたら、ロマーリア軍と通じているかもしれないじゃないか。実際に、砦に向かっているしな」
「……、……」
「あたし達は、これ見よがしに逃げているからさ。ちょっと賢い奴だったら、ロマーリア軍の伏兵がいる可能性くらい考えてくれるかもしれない」
「あ、ああ……」
「まあ、相手がどう受け取るかは分からないけど、やれることは目いっぱいやらないとな」
「……、……」
「おあつらえ向きに、今は月明りがないからな。この白い幌さえ隠せば、見え難くはなるはずだよ」
「……、……」
や、闇が解放出来ないよ……。
一体、どうしたら良いんだ?
うっ、何とか言ってくれよ……、暗黒オーブ。
こ、こうかな?
全身の力を抜いて……。
あっ!
出てる……。
出てるよっ!
そうか、単に、脱力すれば良いだけだったんだ。
それならそうと言ってくれよな。
こらえることなくとか言われたって、急にじゃ理解できないよ。
おっ……。
や、闇が、馬車を覆ってる。
そうかっ!
これ、バロールを討伐したときに、あいつがやっていたのと同じことか。
これで、馬車を見えなくしようって言うんだな。
「こ、コロっ!」
「コロさんっ!」
「何だよ……、こんなことが出来るのかよ」
「や、闇が……、馬車を覆ってますよっ!」
「これ、ギュール軍はビックリするだろうな」
「ええ……。一瞬でしたからね、闇が出て覆われるまで……」
「きっと、消えたように見えているはずだよ。ふふっ……、こんなことが出来るのなら、最初からやってくれれば良いのに……」
「そうですね……」
アイラとジーンは顔を見合わせ、そう言って苦笑し合う。
……って、そんなこと言うなよ。
俺だって、こんなことが出来るの、今、初めて知ったんだからさ。
だけど、本当にすっぽり闇が覆ってるな。
こう、何て言うか、いつもの緊縛呪は闇を球に凝縮する感じだけど、これはふわふわとした闇色の雲に覆われている感じかな?
進行方向は闇に覆われてないけど、だとすると、砦側からは馬車が近寄るのが見えるはず。
うん……。
ギュール兵が追って来ているけど、俺達は見えないようだ。
倒されてる兵や、緊縛呪を撃たれた一団のところでウロウロしてる。
ふふっ……。
見回してるけど、分からないだろう?
あははっ、探してる、探してる……。
だけど、相当沢山の兵が来ているなあ。
三個大隊くらいいるのかな?
これ、暗黒オーブが機転を利かしてくれなかったら、危なかったよな。
いくらアイラが強くても、俺が緊縛呪で目一杯迎撃したとしても、この数は捌ききれないと思う。
いつもながらだけど、感謝するよ……、暗黒オーブ。
だけど、もう少し分かりやすく教えてくれないかな?
俺、超焦ったよ。
んっ?
バロールは簡単そうにやっていたのに、俺がなかなか出来なかったってことは、俺が悪いのかな?
「……、……」
俺がいくら心の内で語りかけても、暗黒オーブからの応えはなかった。
まあ、良いか。
でも、素直に言っておくね。
いつもありがとう……。
「アイラさん……、半分を越えましたね」
「ああ……、もう大丈夫だろう。いくらギュール軍でも、うかつには近寄って来られないはず」
「ふーっ……、一時はどうなることかと……」
「ふふっ……。ジーン、幌を外したときには、不満そうな顔をしていたよな?」
「それはそうですよ。あれじゃあ、隠れていることにはならないですから」
「まあ、そう言うなよ。これでも必死だったんだからさ」
「ええ、それは分かっています。だけど、緊縛呪と言い、この闇の覆いと言い、コロさんのお陰ですね」
「ああ……。ローラの居場所を教えてくれたのも、コロだしな」
うんっ?
あ、まあ……、二人から見るとそう感じるのか。
だけど、これは俺の力じゃない。
全部、暗黒オーブのお陰だよ。
「あっ! 砦の門が開きましたっ!」
「ああ、ヘレンが気が付いたんだろうな」
「ずっと見張ってくれていたんでしょうか?」
「いや……。雨が止んだので、もしやと思ったんだろう。ヘレンは、夜中でも起きているからさ……」
おおっ!
ロマーリア軍が出てくるっ!
こっちだぞ。
ここに逃げてきた水の魔女がいるぞっ!
ヘレンっ!
俺達、無事、やり遂げたよ。
エイミア……。
ローラを救ってやってくれ。
頼むよ……。
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