第98話 三人の成果
「あら……、こんなところにいたの?」
「……、……」
「せっかく、部屋を用意してもらったのだから、あちらでくつろいだら?」
「いや……。あそこはまだ、水の魔女達が治療中だからな」
アイラは、久々に会話を交わすヘレンに、いつもと変わらぬぶっきらぼうな口調で応えた。
「そう言うヘレンだって、馬車に何をしに来たんだ?」
「ちょっと、瞑想をしに……」
「ふふっ……。何だよ、あたしと同じで、人がいないところを探していたんだろう?」
「うふふ……」
二人は、ランプの灯っていない馬車の中で、顔を見合わせて笑い合う。
馬車は、馬が取り外され、砦の片隅でひっそりと置かれたままになっている。
外した幌は、砦に着いてからアイラが再度付けてあり、ちょっとした個室のようになっていた。
「色々あったみたいだけど、とりあえず、作戦成功で良かったわ」
「ああ……。だけど、かなりコロに助けられたよ」
「……、……」
「ローラを見つけたのもコロだしな」
「ローラ……? ああ、あの、疫病にかかっている子ね」
「うん……。地下室に閉じ込められていたんだ」
「ギュール軍では、疫病を治療することが出来ないのね。だから、地下室に閉じ込めて隔離したと言うことでしょうね」
「そうだと思う……。だけど、あんな小さい子まで利用するなんて……。しかも、病気になったらあの扱いだろう? ひどいよ、ひど過ぎる」
「……、……」
「本当は、迂回して砦を目指したかったんだ。その方が安全だからさ」
「……、……」
「だけど、馬車で迂回している間に、あの子が死んじゃうような気がしてさ……」
「ええ……、エイミアが言っていたわ。あと一日放っておいたら、死んでいたかも……、と」
「そっか……。じゃあ、あたしの判断は間違っていなかったんだな」
アイラはそう言うと、俺の腹を揉んだ。
ヘレンも、珍しく俺の頭をなでてくれる。
「中央突破の判断は間違っていなかったけど、どうしてギュール軍の追撃を振り切るのを、コロに任せなかったの? 右翼から来たのは一個小隊くらいだから、コロなら左翼のと合わせて迎撃できたはずよ」
「ああ……、見ていたのか。そうだな、コロに任せれば良かった。向こうが途中で逃げ出すなんて思わなかったんだ」
「……、……」
「見てたなら分かっただろうけど、コロが闇で包んでくれなかったら、危なかったよ」
「そうね……。あれはアイラのミスね。場合が場合なら、皆、捕らえられていたと思うわ」
「……、……」
「アイラ……。普通の人は、敵に圧倒的な戦闘力を持っている存在がいたら、たとえ相手が一人でも逃げることを考えるのよ」
「……、……」
「あなたは倒れるまで戦って当たり前でしょうけど、ここは戦場よ……。自分の身は自分で守るしかないから、逃げるのも立派な選択肢なのよ」
「そっか……。あたしの見通しが甘かったか」
「ええ……。もう少し弱者の立場で考えなかったら、判断を誤るわ」
「……、……」
へ、ヘレン……。
相変わらず手厳しいな。
アイラだって頑張ったんだぞ。
そりゃあ、ヘレンが言うようにしていたら良かったよ。
だけど、あんな状況になるとなんて、誰も思わないじゃないか。
ヘレンが言うのは結果論であって、俺はアイラの判断は間違ってなかったと思う。
「でも、コロがいてくれるからこそ、こんなことを言えるのだけれど……」
「……、……」
「普通は緊縛呪なんてものは戦略には入らないから」
「……、……」
そう言うと、ヘレンはアイラにニッコリと笑いかけた。
ああ……、そういうことか。
ヘレンはアイラを信頼してるんだな。
だから手厳しいことも言うんだ。
けなしているわけじゃないんだな。
お互いに、最善を追い求められる存在になろうと、暗に言っているんだな。
「ところで、砦の中の疫病はどうなってるんだ?」
「すっかり鎮静化したわ。エイミアが大活躍しているの……」
「ああ……、それは良かった」
「着いてすぐに、セイロの木から出来る特効薬に、シュールの薬を混ぜることを思いついたの」
「シュールの薬?」
「ええ……。何でも、シュールの薬には解毒作用があるので、疫病の原因になっているものにも同様に効くそうよ」
「……、……」
「パルス自治領に入ったころから考えていたんですって……。お陰で、今まで治癒まで十日もかかっていたのに、今では三日も経たずに治るようになったわ」
「じゃあ、水の魔女達を連れてくることもなかったのかな?」
「ううん……。私もそう思ったのだけど、エイミアはそれではダメだって」
「何でだ?」
「雨が四六時中降っていると、衛生状態が著しく悪くなるからだそうよ。つまり、汚いところにいると、別の病気にかかる可能性があるらしいの」
「そっか……。じゃあ、無駄じゃなかったんだな、あたし達のしたことも……」
「そうよ。さっき、雨が上がったときには、夜中なのに、砦の中で歓声が上がったくらいだわ」
あ、アイラ……。
そんなに自虐的にならなくたって……。
それにさ、マリーの顔を見たかい?
砦に着いたとき、またポロポロと涙を流していたじゃないか。
あれ、アイラに対する感謝の涙だと思うよ。
確かに、暗黒オーブがなかったら誘拐作戦自体も難しかったかもしれない。
エイミアが特効薬をさらに改良したのもさすがだと思う。
だけどさ……。
今回の件は、アイラがいるからこそ、ヘレンは計画を組み立てられたんだよ。
敵中でも、何ら恐れずに踏み込む勇気があるアイラがいるから……。
だから、今回の件は、俺達の誰が欠けても成立しなかったと思うんだ。
「じゃあ、ローラも助かるんだな?」
「それが……」
「何だよ、一日遅れたら死んじゃうってことは、遅れてないなら大丈夫ってことじゃないのかよ?」
「疫病自体は、治るらしいの」
「だったら……」
「でも、体力が著しく損なわれていて、薬の解毒作用に身体が持つかどうか分からない……、とエイミアが……」
「……、……」
「それに、あの子、ずっと何も食べていないみたいなの」
「……、……」
「食べても吐き出してしまうから、本人が食べたくないって言ってたみたいで……」
「……、……」
「だから、エイミアは、少しでも体力を回復させるために水あめを舐めさせているわ」
「水あめ?」
「水分は、身体が吸収しないですぐに下痢を引き起こしてしまうみたいなの。でも、固形物も吐いてしまうし……。それで、そのどちらでもない水あめで、少しでも身体に力を与えるそうよ」
「……、……」
「エイミアも最善は尽くしているの。それでも、可能性は五分五分だって……」
「そんなにやばいのか?」
「ええ……」
ヘレンは、眉をひそめながら語る。
アイラの顔が、悔しいのか微妙にゆがむ。
そ、そんなに危ないのか?
何とかしてやってくれよ。
あの子、まだ五、六歳じゃないか。
それなのに、あんな地下室に閉じ込められていたんだぞ。
これから、まだ、いっぱい良いことだってあるはずの歳じゃないか。
「あたしには、何もしてあげられない」
「……、……」
「エイミア……、頼むぞ」
「……、……」
アイラが呟くように言うと、二人はうなずき合った。
ヘレンも、同じように思っているのだろう。
え、エイミア……。
俺からも頼む。
ローラを何とかしてやってくれよ。
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