第94話 瀕死の幼女
「コロっ? ダメじゃないか、持ち場を離れちゃ……」
「……、……」
「ほら、馬車に戻ってろ。すぐにもう一人を探し出すからさ」
「……、……」
アイラ、そうじゃないんだ。
もう一人は、大部屋の床下にいるんだよ。
「今、ジーンには外の物置を見てもらってる。あたしも、もう少し探すよ。だけど、それでもいなかったら……、仕方がないな」
「ニャアっ!」
「おい、鳴くなよ。全部馬車に乗せはしたけど、誰が来るか分からないんだからな」
「ニャアっ!」
「んっ? どうした、何か言いたいのか?」
「……、……」
俺は、アイラの稽古着の裾に噛みつこうと飛び掛かる。
しかし、今あったはずの足が、目の前からフッと消えた。
「な、何だよ……、いきなり」
「……、……」
「反射的に避けちゃったじゃないか」
「……、……」
……って、避けるなよなっ!
俺だって、ふざけてこんなことやってるわけじゃないんだからさ。
「お、おい……。裾に噛みついて、何がしたいんだ?」
「……、……」
「んっ? そっちに行けって言うのか?」
「……、……」
「だけど、そっちはもう散々探したぞ。大部屋からは、皆、運び出した」
「……、……」
「ほら、あたしも急いでいるんだから、邪魔するなよ」
「……、……」
何だよ……。
裾を引っ張っても、アイラには全然分かってもらえないよ。
エイミアなら、すぐに俺が普段とは違うことが分かるだろうに……。
おい、そっちじゃないよ。
大部屋の床下だって言ってるだろう?
仕方がない。
やり方を変えるか。
俺は、アイラの裾を放すと、大部屋らしき部屋に入って行く。
そして、部屋の床を見回した。
あ、あれだな。
床の羽目板が、不自然に少し浮いてるよ。
まあ、でも、これは人間の視線じゃ気が付かないな。
上に、テーブルが乗っちゃってるしなあ。
「ニャア……。ニャア……。ニャア……」
アイラ……、気が付いてくれ。
この下に間違いないんだからさ。
「コロっ、何処だ?」
「ニャア……」
「何だよ……、テーブルの下か。こんなところで鳴くなよ。ダメだって言っただろう? 戻ってないと……」
「ニャア……」
「それに、鳴き声が近所に響いたらどうするんだよ?」
「ニャア……」
いい加減、気が付けっ!
ほら、前足で床を叩いてるのが分からないか?
「んっ? その板、微妙に浮いてるな。コロ、そこが何かおかしいのか?」
「ニャっ!」
「あ、この板、外れそうだな。ちょっと、どいてみろ」
「……、……」
そ、そうだよっ!
ようやく分かってくれたか。
アイラは素早くテーブルと椅子をどけると、羽目板のずれに指を突っ込む。
そして、一メートル四方くらいの板を引きはがした。
「こ、こんなところに扉が……」
「……、……」
「鉄で出来ている上に、閂まで掛かってる」
「……、……」
アイラは閂を抜き取ると、扉に手をかけた。
「ま、まさか……、ここにいるのか? あと一人は」
「ニャア……」
「そっか、コロはそれを教えに来てくれたんだな。ゴメン……、全然分からなかったよ」
「……、……」
良いよ……。
アイラがエイミアのように察しが良いわけもないしな。
アイラの察しが良いのは、戦闘関係のことだけだって分かってる。
それより、早く、開けてみてよ。
俺には無理だけど、アイラなら、開けられないことはないだろう?
「ギィー……」
きしむような音とともに、扉は開いた。
扉の中からは明かりが漏れ、下へと続く階段が見える。
アイラは、俺を左手で抱き上げ、慎重な足つきで階段を下りる。
明かりは灯っているものの、ランプは一つしかないようで、地下室は薄暗い。
心なしか、かび臭いかな。
「だ……、誰?」
「……、……」
「あ……、たい……、い……、ま……、動け……、ないの」
「こんなところに……」
「く……、ろい……、球……、が……」
「良い、喋らなくて……」
アイラは、突然語りかけてきた者に向かって、手で口をふさぐ仕草をした。
その者は、地下室の隅にある小さなベットに横たわり、弱々しくアイラにうなずいた。
「こ、こんな幼い子が……」
「……、……」
「良いか? ここから逃げるぞ。マリーも他の女も、皆、もう馬車に乗ってる」
「……、……」
「何も心配することはないから、あたしに全部任せてくれ」
「……、……」
アイラはそう言うと、俺を床に下し、辺りを見回した。
「そのベットごと持って行ってやりたいんだけど、あの扉を通れるかな?」
アイラはそう呟くように言うが、いくら子供用のベットでも通りそうにない。
……って、この子、衰弱してるじゃないか。
ローラって言ったっけかな?
頬がこけているし、腕も足も、木の棒みたいに骨と皮ばかりだ。
それに、顔色は土気色だし、目の下が隈で真っ黒だ。
弱々しい声をしているのは、決して、緊縛呪のせいだけじゃないな。
マリーは苦しそうではあったけど、力強い声が出ていたし……。
この子、本当はかなりカワイイ子なんだろうな。
プラチナブロンドの髪に、パッチリと開いた青い目……。
多分、ちゃんとしていればフランス人形みたいなんだと思う。
だけど、今は、その印象的な目が、逆に悲壮感をかもし出してる。
どうしてこんなになるまで頑張っちゃったんだ?
水のオーブを使って体力がすり減ってこうなっちゃったんだろう?
適当な言い訳をして、さぼることは出来なかったのか?
「チッ……。コロ、ちょっとここで待ってろ」
「……、……」
「この子、抱いて運んだんじゃ、身体がゆすられるのに耐えられそうにない。何か、乗せられるものを探してくるからさ」
「ニャっ……」
そう言うと、アイラは階段を上って行く。
そうだな……。
この子、あまり衝撃を与えすぎると、身体が弱っているので何が起こるか分からないな。
俺が看ているから、何か探してやってくれ。
「こんなんで大丈夫ですか?」
「ああ、上等だ」
地上でアイラとジーンの声がした。
ローラは、黙って俺のことを見つめている。
そのつぶらな瞳には力がなく、今にも瞑って永遠に開かなそうに見える。
「待たせたな……、コロ」
「……、……」
アイラは、勢いよく階段を下ると、手にしたものを俺に向かって差し出した。
んっ?
これって、綿棒が二本?
それにカーテンらしきものが縛ってあるなあ。
あっ、そういうことか。
これ、担架のつもりなんだな。
うん、良いかも。
これをアイラとジーンで持って運べば、振動が少なくて済むよ。
「大丈夫か? そう、動かなくていいよ。あたしが乗せてあげるから……」
「……、……」
アイラは、ベットの上のローラを少し端に寄せると、空いた部分に簡易の担架を置いた。
「ほら、もう大丈夫だぞ。マリーも待っているから、早く行こうな……」
「……、……」
担架に乗せられたローラは、弱々しくうなずいて見せる。
アイラの声色が、いつになく優しい。
「ジーン……、後ろを頼む」
「了解です」
「そっとだぞ……。揺らしちゃ意味がないからな」
「はい……」
アイラとジーンが、担架に乗ったローラを、階段の上に運ぶ。
そのローラの手には、薄っすらと水色に光る球が握られていた。
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