第74話 手紙

 炎帝が去って三日ほど経つが、ヘレンは瞑想ばかりして、武闘殿を旅立とうとはしなかった。

「三ヶ月で戦争を解決してみせる……」

なんて大見得をきってみせたので、すぐにでも行動に移ると思ったのだが、そうではなかった。


 エイミアは、ジンの世話をしていたので、三人の中では一番多忙であった。

 ただ、日常の業務に近いことであるので、本人的にはまるで痛痒を感じていないみたいであったが……。


 大体、エイミアは、普段から薬屋のことばかり考えているような、仕事人間だ。

 まだまだ少女ではあるが、その感覚は立派な職業人と言って差し支えない。

 だから、武闘殿の僧侶達も、エイミアの仕事ぶりには一目置いているようであった。

 本来、女人禁制の武闘殿の中で、三人が平然といられたのには、こういう理由があったのだ。


 アイラは、炎帝を倒した英雄として崇められていた。

 まあ、これは当然のことであろう。

 疾風のジンと異名を取る、稀代の名武闘家を倒した炎帝に勝ってしまったのだから。

 しかも、もっとも単純な力勝負で……。


 炎帝の口ぶりだと、アイラと技で競ってもまったく勝負にならないらしい。

 それくらい、アイラのセンスと能力、技がずば抜けていると言うことのようだ。

 達人同士だと、戦わずともお互いの力量がうかがい知れるので、炎帝はその差を痛感していたらしい。

 だから、力勝負を挑まれたときには、勝機があるのではないかと内心思ったと言う。


 しかし、結果はアイラの勝ちであった。

 つまり、炎帝は、アイラとは一格も二格も下の存在と言うことになる。

 最も得意とする分野で後れを取るのだから、本人達にしてみればその差は相当大きいと言う認識なのだろう。


 武闘殿の者達は、皆、正確な認識を持っていた。

 それだけに、アイラへの畏敬の念は尋常ではなかった。

 なんせ、アイラの側を通り過ぎるだけで、手を合わせて拝むのだから……。

 それこそ、生き仏か何かのように扱い、食事も、ジンよりも豪勢なものを出されていたくらいであった。


 ただ、当の本人は、そういう扱いを快いとは思っていないようだった。

「なあ、ヘレン……。とりあえず、ここを出ようよ……」

と、陰ではしきりと言っていたくらいだから。


 アイラにとって、自身の武闘が優れているのは当たり前のことであった。

 幼少より、達人であるジェラルドから薫陶を受け、ひたすら山に籠もって野生の動物と戦って腕を磨いてきたのだから……。


 それだけに、当然のことをあらためて評価されることに、くすぐったさを覚えているようであった。

 自身から戦いを抜いたら何も残らない……。

 こういう人間が当然の部分を褒められるというのは、本人にとってバカにされているに等しく感じるようで、とにかく居心地が悪いようなのだ。


 俺には、そんなに秀でたものはない。

 だから、アイラの気持ちは想像は出来るが、実感として納得のいくものではなかったが……。


 その、俺と暗黒オーブのことについて、ヘレンは、ジンだけに真相を話していた。

 この後、パルス自治領が危難に遭っても、ロマーリア王国がバックアップに入ることが可能なことを明らかにし、元通りの国交を取り戻すためだ。


 ジンの驚きは、炎帝以上であった。

 いや、驚きもだが、その喜びようと言ったらなかった。


 まあ、無理もない……。

 本人も快癒することになるし、暗黒オーブの助力も得られると言う望外の事態が起ったのだから。


 だからと言って、俺の頭を何百回もなでるのには閉口したが……。

「コロ殿、よろしく頼みます」

とも、何度言われたか知れない。


 ジンの気持ちは分かるし、感謝してくれるのは嬉しいけど、正直、あのゴツゴツした手で何度もなでられるのはなあ……。

 俺、やっぱ、なでてもらうのなら、エイミアの方が良い。

 ジンには悪いけどさ。





「ヘレンさん……、セイロの木の皮が届きましたが……」

「オリクさん、ありがとうございます。どのくらい集められたでしょうか?」

「およそ五十本分ほどになっております。必要でしたら、もっといくらでも手配いたしますが……?」

「エイミアが言うには、セイロの木一本から出来る疫病の特効薬は、二人分程度でしかないようなのです。ですから、少なくともその十倍はないと……」

「了解いたしました。至急、手配いたします」

「よろしくお願いします。特効薬を待っている、大勢の兵士の方々がおられますのでね」

オリクも精一杯動いてくれていた。

 元々、オリクは武闘殿の賄い方が専門で、武闘の方はそれほどではないらしい。

 ただ、人材難で、誰もジンの片腕となるような人物がいなかったので、護衛隊に入っていただけのようだった。


 それだけに、元の自身が活きるポジションへの復帰は嬉しいようで、活き活きとしていた。


 俺は、このセイロの木の皮を集めるために武闘殿に残っているのかと思っていた。

 だから、ヘレンは旅立たないのだと……。

 

 しかし、その考えはいささか見当違いだったようで、先ほど、俺もそれに気づかされた。


 ……と言うのも、ヘレン自身が、

「セイロの木の皮は、こちらではなく、直接、マルタ港の方に送っていただけますでしょうか?」

と、オリクに言っていたからだ。


 そうだよなあ……。

 特効薬を作れるのはエイミアのお父さんなんだし、ここに材料を集めても意味がないよな。

 直接送っちゃった方が効率も良いだろうし……。


 うーん、でもさあ。

 だったら、どうして俺達はここに留まっているんだろう?

 ジンの治療だって、もう、エイミアが薬の調合を終えちゃったしさあ。

 あとは僧侶達に任せたって問題ないはずなんだ。


 まあ、アイラがきまり悪そうにしているのを見るのは、ちょっと笑えるけど、そんな暢気に構えている場合じゃないような気もするんだ。

 エイミアだって、早くお父さんに会いたいだろうしさ。

 ヘレンだって、炎帝に期限をきってみせているのだから、のほほんとしていられないはずだし……。


 それなのに、ヘレンったら、今日も瞑想に精を出しちゃってさ……。

 もちろん、ヘレンが何事も計算ずくで動いているのは分かっているよ。

 でも、それならそれで、説明してくれたって良いような気がするんだけど。

 それとも、もしかして分かってないのって、俺とアイラだけなのかな?

 エイミアはヘレンがどうして旅立たないのか分かっちゃってるのか?


 いや、そんな感じでもなかったぞ……、エイミアは。

 さっきだって、マルタ港行きに関する話が出ると、そわそわしていたしな。

 ……ってことは、結局、ヘレンだけが理由を分かってるってことじゃないか。


 もう……、本当に秘密主義なんだよなあ、ヘレンの奴。

 そういうとこ、ちょっとイラッとするんだけど……。





「ヘレンさーんっ!」

「……、……」

「ジーンさんがおいでになられましたぞ」

「……、……」

僧侶に声をかけられ、ヘレンには珍しく、すかさず目を開けた。


「ジーンさんは、手紙を持ってきたと仰られていましたか?」

「はい、手紙の件で、ヘレンさんと内密な用があると申しておられました」

僧侶のいらえに、ヘレンはニコッと笑って見せた。


 も、もしかして、ヘレンはこれを待っていたのか?

 ジーンが持ってくる手紙を……。


 俺は、何となくそんな感じがした。

 ヘレンの様子が、嬉しそうではあるが、いつになく緊張しているように見えたから……。


 その手紙に何が書いてあるんだろう?

 まさか、手紙の内容を教えてくれないなんてことはないよな?


 俺はそんなことを考えつつ、僧侶と連れだって部屋を出て行ったヘレンを、小走りに追いかけるのであった。

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