第67話 炎帝登場

 静かだ……。


 何の音もしない。

 緊縛呪は、しっかり機能したのだろうか?

 球は確かに飛び散った。

 だが、俺にはそれが誰にどう当ったか、確認する術もない。


「コロ……、早く行けっ!」

アイラが低い声で言う。


 あっ、俺、確か、東門に走らなきゃいけなかったはずだ。

 ヘレンにそう言われてたな。

 だけど、炎帝に緊縛呪が当ってどうなったか、ちょっと知りたかったんだけど……。


 アイラに促され、俺はヘレンの言葉を思い出した。

 そして、武闘殿の中央を真っ直ぐに東門へ走り出す。





 東門まで全速で走ると、俺は武闘殿の外壁に繋がる階段を駆け上る。


 ……って言うか、猫の身体って優秀だな。

 かなりの距離を走ったのに、息切れもしていない。

 それに、多分、人間だった頃の俺より早く着いたはずだ。

 これって、もしかすると、四足歩行の御蔭かな?

 二輪駆動より、四輪駆動の方が力強いのと同じ理屈なのかもしれない。


 外壁に上って、外を見回すが、相変わらず静かだ。

 中と同様に静寂が支配している。

 ただ、西門と違って、東門の外にはかがり火が多く焚かれ、夜のとばりを煌々と照らしている。


 あれだな……、炎帝の軍勢は。

 門から少し離れたところに、野営しているのが見える。


 緊縛呪は、東門の外に向かって多く飛び散っていた。

 そのすべてが当ったとしたら、この静寂は緊縛呪が引き起こしているとも言える。


 だが、今、俺の目からは、炎帝の軍勢が寝ているのか、それとも緊縛呪が効いているのかは分からない。

 見張りと思しき歩哨はいるが、たたずんでいるだけで動いていないし……。





 俺の視界の端に、何か動くものが見えた。

 炎帝の軍勢のかなり向こうだが、少しずつこちらに近づいて来ている。


 動く存在は、闇の中から次から次へと数を増し、物陰に隠れながら炎帝の軍勢に近づく。

 ……って、上から看てると、隠れているつもりなんだろうけど、丸分かりだな。

 ああ……、先頭に立っているのはジーンだ。


 後ろにいる中に坊主頭が見える。

 あれが、ヘレンの言っていた武闘殿の猛者達だな。

 数は百人ちょっとってところか。

 まあ、一騎当千の猛者が何人も混ざっているのだろうから、炎帝の軍勢より少なくても何とかなるって算段なんだろう。


 先頭のジーンは、炎帝の軍勢のすぐ近くまで来ている。

 だが、軍勢は相変わらずピクリともしない。

 わずかに、馬が動いているのが見えるだけだ。


 うん……。

 これは緊縛呪が全部当ったな。

 そうじゃなかったら、いくら静かに近づいても、歩哨には気配が分かるはずだ。

 気配がすれば、当然、兵士達を叩き起こすはず……。

 それをしないのは、緊縛呪が効いているからだ。


 ……って、凄いな。

 二個中隊でも、一撃かよ。

 それに、今回はかなり射程も長かったのに、まったく問題なく当っている。


 ジーンが、恐る恐る物陰から出てくる。

 炎帝の軍勢が動かないのを訝しんでいるのか、ためらいがちに……。

 そして、歩哨の側まで行くと、驚きの表情を見せる。


 歩哨は、置物のように同じ姿勢をとり続けているだけだ。


 俺は、ここまで確認すると、外壁を駆け下りた。

 あとは、ジーン達に任せれば問題ない。


 だとすれば、あとは炎帝がどうなったかだ。

 もしかしすると、軍勢同様に緊縛呪が効いているかもしれないし……。

 緊縛呪が効いていなくても、アイラがきっと何とかしてくれるはずで、俺はそれをどうしても見たくなった。


 ヘレン……、良いよな?

 俺、ちゃんとやることをやったんだからさ。

 アイラと炎帝が戦うところを見に行っても……。

 アイラの邪魔にならないように、物陰から見ているからさ。


 そう、心の中でヘレンに許しを請うと、俺はまた武闘殿の中央を走り出した。





 アイラは、ステップを踏みながら、武闘殿の宿舎を睨んでいた。

 キリリと引き締まった表情からは、緊張感が伝わってくる。

 俺が東門を往復している間、ずっとそうしていたのだろうか。

 ただ、まだ何も変わったことが起った痕跡はない。

 ここもまた、静寂に支配されたままだ。


 俺は、井戸の陰から見守ることにした。

 アイラがああやって戦う姿勢を見せていると言うことは、炎帝はきっと無事なんだろう。

 いくら軍勢を緊縛呪で止めてみても、炎帝が無事なら意味はない。

 だとすれば、決着は、アイラが付けるしかない。

 その拳で、炎帝を叩きのめして、炎のオーブを取り上げるしかないのだ。





「ゴウっ!」

突然、轟音が鳴り響いた。


 宿舎の中から、オレンジ色に光る物が出てくるのが見える。

 ほ、炎か?

 いや、火の玉だ。

 スピード感はあまりないが、当る物すべてを焼き尽くす勢いで、火の玉が突き進んで来る。


 で、でかいな。

 一メートルくらいはある。


 火の玉は、宿舎の入り口を出ると真っ直ぐに飛び続け、庭木に当って一瞬で燃え広がった。


 あれが炎撃ってやつか……。

 これを連発されると厄介かもしれない。

 たとえ、直に撃つ炎撃が小手で防げても、小手以外に当ったものが全部焼け落ちてしまいそうだし。


「来たな……」

アイラが呟くのが聞こえる。


 アイラは、庭木が燃えているのには目もくれず、ステップを踏んだまま宿舎の入り口を睨んでいる。

 その視線の先に、人影が見えた。





「おまえか? あの物騒な漆黒の球を放ったのは」

「……、……」

炎帝の名に相応しく、燃えるような赤毛を逆立てた男は、宿舎の門を窮屈そうに屈みながら潜ると、アイラに向かって尋ねた。


 でかいな……。

 何だ、あの大男は?

 ニックのところのロベルトも大きかったけど、それよりまだ頭半分くらい背が高そうに見える。


 あれが、炎帝、テイカー候か。

 身につけた豪華そうな衣装や靴、肩当ても赤いし、どれもこれも、燃え立つ炎を連想させるな。


「もう一度聞く……。漆黒の球を放ったのは、おまえか?」

「さあな……」

「ふっはっはっ……、まあ、良い。誰が撃とうと、この場に暗黒オーブの使い手がいることは確かなのだからな」

「……、……」

「だが、俺はあの球を止めて見せたぞ」

「……、……」

「とっさに炎壁を張り、それを吸い込んだ漆黒の球を、さらに炎撃を喰らわしてな」

「……、……」

「まったく……。拳よりも小さい球だと言うのに、なんて威力なんだ? あれが、噂に聞く緊縛呪ってやつだな」

「……、……」

テイカー候は、吼えるような口調で一方的に話し続ける。

 その大音声に驚いたのか、わらわらと宿舎から僧侶達が出て来た。


 ……って、皆、この一大事に寝ていたのか?

 寝間着のままじゃないか。


 僧侶達は、大声で話すテイカー候とアイラを見較べているが、事態を飲み込めていないようだ。

 驚いたあとに、皆、一様に困惑の表情を浮かべている。


「門の外に出ろっ! 炎撃の巻き添えを食ったら、一瞬で焼け死ぬぞ」

今度は、アイラが大音声で僧侶達に指示を出す。


 確かに、あんな火の玉に触れたらイチコロだよな。


 事態を飲み込めない僧侶達だが、アイラの気迫に圧されたのか、我先に西門へ向かって走り出した。


「ふふっ……。賢明な判断だな」

「……、……」

「だが、おまえは大丈夫なのか?」

「……、……」

炎帝は、ニヤリと笑ってそう言うと、両足をがに股にして踏ん張り、両腕を脇に構え拳を握った。


「ふんっ!」

気合い声とともに、炎帝は、右拳を突き出す。

 すると、その拳の先から炎が吹き出し、みるみるうちに火の玉が形成されていく……。


「はあっ!」

再び、気合い声を上げる炎帝……。

 形成された巨大な火の玉は、拳を離れ、一直線にアイラに向かって放たれる。


 これが炎撃……。

「ゴウっ……」

と言う轟音が、静寂の中に響いた。

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