温室の少女たち6
少年は窓から外の様子を伺った。男が単独でやって来るのが見える。
時間稼ぎと本命の2つに戦力を分配し、上手くいけばあの変な集団をバラバラに出来るはずだった。
今回のような能力の使用は初めてだったので、上手く使えたか分からない。
それでも、あの図体のデカい男が仲間を引き連れずにやってきたのを見ると、どうやら成功したようである。
あとは命からがら逃げ出してきた情けない男に交渉を持ちかけるなり、ふたたび能力をぶつけてやっつけてしまうなり色々と選択肢はある。
ライオンさんが偶然ここに逃げ着いたと信じて疑わない少年はほくそ笑んだ。
自分のいる場所は二階。上がってくるまでには時間が掛かるはずだ。安全な場所から勝利宣言をしてやろうと少年は姿を晒した。
眼下にはライオンさんが……居ない。
「あれ?」
どこかに隠れた? あの大きな体では身を隠すのも一苦労なはず。
ガラスの無い出窓から大きく身を乗り出して覗いてみるが、見える場所に男の姿を確認出来ない。一体どこに。
…………。
背後からの物音で少年ははっと振り返る。
逆光になったドアの無い出入り口に人影。ライオンさんだ。早すぎる。
小脇に抱えられた妹がグッタリしているのを見て少年は瞬間的に沸騰した。
「妹をはなせよぉ!!」
棒切れを片手に飛びかかるが、その一振りは虚しく空を切り、足払いをされて地面と接吻を交わすハメになる。
「ぐえ」
ライオンさんが間髪を入れず上からのし掛かると、少年は完全に制圧された。
「さて……」
首筋に硬く鋭い金属が差し当てられた。心臓の鼓動が跳ね上がる。
容易に命を奪うだろうその冷たい感触が、皮膚のすぐ下を動脈が通っている事を思い出させてくれる。
「能力者じゃなければのろまだと思ったか? 残念だけど鍛え方次第でそれなりに動けるものだよ」
「君は能力を随分便利に使っているようだが、ただ便利なだけのものではない事を知っているか? 大事に思っているはずのものが突然どうでもよくなることはないか? 意図せずに力の奔流は起きないか? あぁいや、返事はしなくても良い。ミメーシスは身体から放出される波動だと言うことは感覚で理解しているな? 多くがそうであるように、これも観測により姿を変える。つまり二面性を持つわけだ。観測者として定義されるのは人になるんだが、ところがこれは完全ではない。“イド”の存在が完全な観測を阻害してしまうからね。カレードが色褪せて見えるのはそれが原因ではないかと言われているが、ならばイドの存在を消せば改善するかといえばそうでもない。不完全さがレイノルズ現象を促すファクターであるとも言えるからね。言ってる意味が分からないか? なら象の足を見たことはあるか? キャリントンイベント、スヴァローグ、日航機123便という名前に聞き覚えは? 無人島に取り残される夢を見ないか? 井戸の底を覗くとき君もまた覗かれていることを知っているか? 高圧線下に住む家族が惨殺されたら犯人は誰だ? お前の父親は何処に消えた? 全てはNで帰結してしまうとしたらどうする? 能力の使い方は誰から教わった?」
「なんだよ! なんなんだよ!」
わけがわからない。
すっと、金属の感触が引いていく。横目でちらりと見ると、それはナイフではなく金属製のヘラのような道具だった。
色々な言葉をぶつけて動揺するかどうかを調べていたのだろう。ただし、少年が何処にも所属していない事も知る以外の質問はブラフのように感じられた。
「……すると、完全に独学でカレードの発生まで持って行ったわけか。訂正しよう。俺は君の事を褒めてあげなくてはいけない。妹の事も心配しなくて良い。疲れて眠っているだけだ」
信じられるものか。
しかし、直後にライオンさんは拘束を解き、少年は自由になった。圧迫されていた腕を曲げたり伸ばしたりして無事を確かめる。
妹は本当に寝ているようだ。怪我をして気を失っているような顔色の悪さがない。こちらの無事も確認すると、立ち上がった少年は眼前の男に向き直った。
「勇ましいな」
「それに敬意を評して教えてあげよう。君の能力は不完全だ。いままでに今回のような使い方をしたことは無かったのか?」
「無いようだな。妹がその歯牙に掛かる可能性を考えたことはあるか? 俺が優しくて良かったな。この子が置き去りにされていたら今頃どうなっていたか」
「!?」
そんなつもりはない!
しかし、真っ向から否定する判断材もがない。いや、むしろその危険性は高かった。なぜなら少年は「倒せそうな奴から襲え」と指示していたからだ。
目の前がグラグラと歪む感じがして近くの壁に手をついて体を支える。それに構わずライオンさんは続けた。
「能力にはそれぞれ傾向がある。君の場合、手を離れた能力は好き勝手暴れ回るぞ? おかげで今もチームのメンバーが対応しているわけだが……」
「せんせー! 大丈夫でしたか?」
事を終えた少女2人がやってきた。
「ライオンさんだぞ」
「あ、これは失礼しました。ヒヨコさんとゾウさん、合流しました」
「お疲れ様。それじゃあ答え合わせをしていこうか」
これで3対1。少年の勝ち筋は消えたと言っていい。
「とは言ってもまだ少しだけはっきりしていない部分があるんだ。例えば、この状況でなぜ君が能力を使おうとしないか。他にも、どうしてあんなに大量の蜂を生み出せたのかって謎もある。ここからは俺の仮説なので違ったらそう言ってくれて結構だ」
「この状況では使えない、もしくは使うと不都合があるという推測は付いているんだ。ならそれはどんなものかという事になるんだが……」
「能力にはそれぞれルールがある。それは守らないと“カレード”を使えない。ところが、そのルールの隙間を突く、つまり仕様外の使い方をする事で本来のスペックを上回る効果を発揮する場合がある」
「例えば、さっきミメーシスは観測により姿を変えると話したが、これは波動であるか粒子であるかの違いでもある。粒子でありさせ続ける為には観測を継続しなくてはいけないが、それには能力者自身のエネルギー消費を伴う」
「ところがだ、実のところ観測自体は「誰でも良い」わけだ。もし、この観測を他人に押し付ける事が出来るとすれば、個人では生成しきれない大量のカレードにも説明が付く」
「当然デメリットは存在するな。ルール外の行為を行うと、“イド”に何らかを差し出さなくてはいけない。恐らくは、そのカレード達を能力者自身が観測すると、今まで他人に肩代わりさせていたエネルギー消費を全部自分で背負わなくてはいけなくなるんじゃないか」
少年にはライオンさんの言うことはよくわからなかったが、弱みが既にバレていることも、これから自分がどのような目に遭うのかはよく解った。
「それは一瞬で昏倒する程の負荷だろう」
「そしてその仮説を、俺はこれから証明してみなくてはいけない」
「や、やめろよ……」
ずんずんと迫ってきたライオンさんに首根っこを掴まれる。
引き離されないように近くの棚にしがみ付、しがみ付けない、すごい力だ!
一瞬で引き剥がされてしまう。
「離せよ! ゴリラ!」
「ゴリラじゃない、ホモ・サピエンスだ」
「うっさいホモ!」
「ホモじゃない」
「ともかくだ、君たちの平穏を破ってしまって申し訳ないとも思うが、こちらもそろそろ仲間を休ませないといけないんでね。悪いが終わらせてもらおう」
「なんだよ!弱いものいじめだろ!俺が何したって言うんだよ!!」
「泥棒には入ったろ」
「うっ」
「安心していい、殺したりはしない」
ずるずると引き摺られる。そのままの状態で市中引き回しの刑となりそうだった所、ヒヨコさんが足を小脇に挟んでガッチリ拘束した。上半身をライオンさんに掴まれ、少年の身体は完全に宙に浮く。
「さて、ちょっと行ってくるから妹ちゃんは頼んだ」
「ほいさ」
グースカと眠りこける妹の事はゾウさんが見るようだ。
「やめろっ! やめろよぅ!」
泣きの懇願も効果無し。
えっさほいさと運ばれて行く。
このままではまずい。今までであれば能力を目にしなくて済んだが、それはきっと保護機構のようなものな働いた結果によるのだろう。今回は大量に発生させてしまった手前、恐らくカレードを目にしてしまうだろう。そうなればライオンさんの言う通りになる。昏倒してしまえば、あとは何をされるかわかったものではない。
それに、彼らの口ぶりから察するに、少年の能力は美しい妖精でも、可愛い小動物マスコットでも無いようだった。出来れば逢わずにいられたら……。
そんな淡い願望も打ち砕かれてしまうのだった。
***
一方、こちらはこちらでぎゃんぎゃんと喚き散らしていた。
「ばかー! 臆病者ー! 給料泥棒ー! いんこう教師ー!」
最後のはキリンさん自身、よく意味を知らない言葉だったが、取り敢えず酷く相手をなじるものであると記憶していた。
ちょうどタイミング悪くやってきたライオンさんは不平不満を口にした。
「不当判決だ」
「あ、敗訴はしたんですね……」
ヒヨコさんも強く味方をしてくれるわけではなかった。
そして、彼らが到着した事により消える条件が満たされたのだろうか、頭上を飛び交っていた蜂たちは不快な羽音を耳に残して消えていった。拘束された少年がガクガクと痙攣する。
「そうそう、気を失う前にもう1つ言っておかないと」
「我々は秘密結社カイノス。君たちを保護しにきた者だ」
「じゃあ何でこんな事するんだよ……」
ライオンさんはその問いには答えなかった。少年は彼の口角がじわりと上がるのを見ながら察する。
連れている少女達の身なりを見ればわかる。きっと良い暮らしをしているのだろう。それに釣られて自分達も簡単に軍門に下るとタカをくくっているのだ。今日された暴行など許してしまうと思っているのだ。そうはいくか。
少年の読みは大体合っていた。それに付け加えるとすれば、貧民街の子供達は警戒心が強い。善人として振る舞った所で信頼など得られない。なら、はじめの印象など悪くても構わないのだ。むしろその方が信頼を得るまでの期間が短くて済むケースすら存在する。
だから媚びない。
それよりも重要なのは、能力が一体何なのか早い段階で明らかにすることである。ミメーシス能力を自分からペラペラと喋る者は少ない。それが生き残る術として持っている事を理解しているからだ。このような機会でもなければ、たとえ身内であっても全貌を知る事は叶わない事もある。しかし、身の危険が迫れば能力に頼らざるを得ないのだ。そこを利用する。
その為彼らだけではなく、いくつかの勢力が粛々と狩猟のような行為を繰り返しているのだった。
「いい歳した大人が女はべらせて楽しいのかよ……」
少年は失いそうになる意識の糸を必死で手繰り寄せて最後の嫌味を発したが、まるで効き目のない答えが返ってくる。
「逆に聞くが、君は人生の愉しみの何を知っているんだ? ……もう寝ろ、今日は疲れただろう?」
彼のその言葉は麻薬だった。
気持ちとは裏腹に、閉じる事を許された瞳は素直になり、一度閉じた瞼は接着されたように開かない。
唯一縋っていた一本の糸もあっさりと切れてしまい、少年の意識は奈落に落ちるカンダタよろしく深い眠りの底に落ちていった。
***
「毎度ありがとうございます。いつもニコニコ、シマウマさん便ですよー」
歩道に横付けされたバンから派手な柄のシャツを着た男が躍り出てきた。どうやら回収班のようだ。
うまい返しを思いつかなかったどうぶつさんチームの面々だったが、仕方がなくライオンさんが応対を買ってでる。
「いや、うちのチームは4人で完結だから……無理に仲間入りしようとしないでくれる?」
「ひどい! あたしとは遊びだったのね!!」
「そんなに二つ名が欲しいなら、他のチームに頼めばいいだろ? シュトラールの連中ならかっこいいのくれると思うぞ」
「そんなしょっぱい事言わないで頼むよー、このチームが一番いい匂いするんだよー、仲間に入れてよー」
「気持ち悪い事言うなよ……」
「それに二つ名はもう貰ったんだ」
「聞いて驚け!俺の名は漆黒の闇を切り裂く聖なる雷! ブラッ○サンダー!! 」
「お菓子じゃねーか」
「ドイツ語すら当ててくれないの。寂しいよね」
本当に寂しそうな笑顔を見せるものだからライオンさんは少し同情したが、それとこれとは話が別だった。
「よーし、全員乗っていいぞ」
「ちょっとちょっと、もっと掘り下げてよ!」
少女達が車に乗り込む間、ライオンさんは眠りこけた兄妹を簀巻きにしてトランクにそっと横たえた。妹はともかくとして、兄の方は朝まで目を覚まさないだろう。
ともあれ、今日の仕事はこれで終わった。後の事はボスに任せてしまえばいい。……頼りない彼女の事だ、きっとそれも手伝わされるだろうけど。
小さく息を吐いてから車に乗り込む。
全員が着席しているのを確認して、シマウマさんが車を発進させた。
「じゃあ向かうとしようか。目的地はアジトかなー、どこかなー、シマウマさんそこまで運転しちゃうよー」
「ファミレス寄ってこうよ!」
「あ、あたしパフェ食べたい。フェア期間中の限定メニューがね!」
途端に華やぐ空間に緊張が和らいでいく。
「目的地に着いたらお声掛けましょうか?」
眠るつもりはなかったが、気遣いをしてくれるヒヨコさんに甘え、くたくたにヨレたシートに身を預けて目を閉じた。
窓の外を流れる電灯のあかりが瞼を透かして通り過ぎていく。まるで柵を飛び越える羊のようにも見えるそれをライオンさんはゆっくりと数え始めた。
***
…………。
それほど昔ではないある日、大きな災害が起こりました。お家を無くしたたくさんの「困った人」が生まれました。
かわいそうに思った「親切な人」が手を差し伸べましたが、困った人は沢山居すぎたのであぶれてしまいました。
その結果、誰が悪いのか犯人探しが始まり、人々はみんな疲れてしまったのです。そんな世の中です。
さて、これから話すのは、彼と、彼女達の物語。
時間は少し遡る事になります。
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