第10話 Ⅲ
アンクレイス国王との謁見をすませた、翌日の夜のこと。
夕食後に一服ついてから、シュネルドルファーはレッコウとユウハを連れてバーリエルの屋敷を訪れていた。
バーリエルがシュネルドルファーのファンであることもあり、彼のほうから私的に会いたいとの申し込みがあったのでシュネルドルファーにとっては渡りに船であった。
バーリエルの屋敷は王宮からも貴族の住宅地からも離れた郊外にあり、薬草類でも栽培しているのであろう畑に囲まれているため周囲から孤立しているように見えなくもない。しかも明らかに他の民家とは一線を画す古めかしい建築様式のため、夜に見上げれば得体の知れない寒気を覚える者が一定数はいるに違いない。
もちろん外観だけが古いはずもなく、内部もかなりの年季を感じさせる状態であった。シュネルドルファーの見ることろアンクレイス復興直後に建築され、そのまま五〇〇年間修復しながら使用しているものと思われる。
バーリエルの待つ書斎へ案内されるまでの間、シュネルドルファーの目にはいくつかの骨董品が入ってきたが、悲しいことにそれらはすべて王宮で見た物より考古学的価値の高い物であった……
「やあ、こんな時間になって申し訳ない」
書斎の主はパイプの煙と一緒に立ち上がって三人を迎えた。
壁一面に古書類が詰められているが古書特有のにおいはせず、パイプのにおいで満たされていることからこの老人がシュネルドルファーと違って本物の喫煙者であることが窺える。
しかし、注目すべきはそんなことではなかった。
バーリエルの雰囲気が明らかに前日とは異なるのだ。
一言でいえば、存在感が違う。
穏やかながらも力強く、揺るぎのない大樹のような優しい迫力がある。
つまりこの老人は自分が他人にどういう感想を抱かせるかを理解していて、昨日は国王に遠慮して意図的に存在感を薄くしていた、ということである。
(嬉しい誤算だ、思っていた以上にこの老人の腕は確かだ)
シュネルドルファーは表情には出さず一人満足した。
「ユウハくんも一緒か。して、そちらの御仁は……?」
バーリエルの優しい細目が黒と紫の毒々しい甲冑へと向いた。
「兜のまま失礼する。吾輩はレッコウと申す」
「おお、あなたが。手早く済んだようでなにより。さあさあ、まずはかけてくだされ」
ここでもシュネルドルファーは母国との違いを痛感せざるを得なかった。ハイデルベルクでバーリエルほど格の高い魔術師であれば間違いなく、
「無礼者め、失礼とわかっているなら兜を取らんか」
と叱責することだろう。
たとえバーリエルが内心不快に思っていたとしても、客の事情も考えず問答無用で礼儀を押しつけてこないところに人間としての品格の差が顕著である。
ちなみに、バーリエルたちはオロフの報告書によってレッコウが海陽の貴人であると伝えられているので上から目線になることはないはずだが、これもハイデルベルクであれば「海の向こうの辺境の小国」の貴人などより魔術師である自分のほうが上、と考えるに違いないのだ。
「ところでレッコウどの。博士たちには断られてしまったのですが、あなたにはなにか望みはありませんかな? 立派な橋を作っていただいたと聞いておりますし、こちらとしては是非なんらかのお礼をしたいのですが」
「いや、吾輩も結構。長年の夢を叶えることができて、感謝もされた。それだけで充分である」
「まったく、無欲な人たちだ」
その見解は誤解といえた。
ユウハたちはいざ知らず、シュネルドルファーが謝礼を断った理由は資金が充分にあるからであって、もし困っていれば間違いなく金品を要求したからである。
「バーリエルどの、こんな時間なので早速本題に入りたいのだが」
「そういえば、なにか相談があるといっていたね」
「それがこの、レッコウのことです」
「ほう?」
老人は無邪気な好奇心を瞳に湛えて、若い博士の話に耳を傾けた。
「なるほど……ふむ……」
すべてを聞き終えたとき、バーリエルの表情から無邪気さは消えていた。年齢以上に老けて見えるほど顔中にしわを作り、もう一度「なるほど」と呟いて、吐息とともにしわを解放した。
「確かに、陛下に会せるわけにはいかんな」
「この国一番の封術師であるあなたになら、解呪とまではいかずとも効力を抑える手段かその手掛かりだけでもご存じないかと、頼った次第で」
「クガナ並みの魔術師が施した秘術を破る……か」
バーリエルは、孫に貯金を遥かに超える玩具をおねだりされた老人のような顔をした。
「魔術史上類を見ない無理難題だとは思わんかね?」
「思いますが、かけることができた以上、破ることもまたできるはずです」
「いうね。さすがは連盟を敵に回した男だ」
「その話は忘れてください……それに破門されたわけではありません」
「しかしよく父上も出版を許したものだ。マルクスどのはもっと厳格なかただと思っていたが」
「いえ……」
シュネルドルファーは動揺を隠し切れず、目を逸らしてしまった。
「まさか無断かね?」
「…………」
沈黙こそが、答えであった。
「ハハハハ、これは思った以上に大物だ! ますます君が好きになったよ」
「忘れてください……」
「いいだろう、やってみようじゃないか」
バーリエルは勢いよく立ち上がった。
「せっかくだから君にも手伝ってもらうよ」
「もちろん」
そういうことで、一同は地下にある実験室へと向かった。
「なにを隠そう、この屋敷はわが一派の前身の時代より代々受け継がれているものでね」
石造りの広い実験室で、ランプを置きながらバーリエルはいった。
「やはり……ここは疑似精霊点ですね」
「そのとおり。せめてこれくらいのサポートがなければ秘術には対抗できまいて」
疑似精霊点とは、彼らファーンクヴィスト一派のように優秀な魔術師が何世代もかけてその土地に魔力を注ぎ続けて生み出し継続させる、人工の精霊点のことである。
無理やり作り出しているため魔力の注入をやめれば徐々に消えてゆくうえ、下手をすれば霊脈を乱しかねないので場所の選定と注ぐ魔力の量や周期など、気をつけねばならないことは多い。
その代わり正しく活用できれば非常に便利で、しかもいずれは本物の精霊点へと昇華することもあるため、派閥をもつ魔術師は自らの拠点にこれを作りたがるのだった。
バーリエルは床の中央に描いてある円の一部に手を触れ、少し魔力を注ぐと円が淡く光り出した。
「すまんが増幅器を置いてくれんかな、この歳になるとあれが重くてな」
その指が差す場所には、中央がぽっかりと掘られた石の台座のような物があった。それをシュネルドルファーたち三人が所定の場所へと置いてゆく。
置き場所がわかるのは、ここだといわんばかりに円の六ヶ所が強く光っていたからである。
つまりこれから使う魔法陣は六芒星。
魔術の基本は四大元素なので四角形だが、そこに霊、もしくは気の要素を加えた五角形も存在し、六角形はみっつの要素をふたつ上下に重ねることで調和を生み出すために使用される高度な陣である。
みっつの要素とは即ち、世界を構成する三要素であり術の三大源力。気・魔・霊である。
生物の生命エネルギー、世界の活動エネルギー、そしてそれらよりも高次にある霊的エネルギーに対応したこの陣をまともに使うには、当然ながら三大源力の真っ当な使い手が必要不可欠であり、バーリエルがこの陣を選んだのはむろん、レッコウとユウハがいるからであった。
バーリエルは増幅器の穴に純金製の小皿を置き、シュネルドルファーを含めた三人に二ヶ所ずつ、それぞれが得意とする源力を込めるよう指示する。
ユウハが三角形の頂点に立ち、右にレッコウ、左にシュネルドルファーがそれぞれに力を注いだ。
すると小皿から小さくも力強い光体が浮かび上がり、薄暗かった地下室を温かく照らし出した。
「さすがだ。ここまで明るく淀みない光を生み出せるのは一流の証だ。弟子にも見せてやりたかったな」
もうひとつの三角形にも同様に光を生み出し、バーリエルのほうは準備完了。
「博士はすまないが、私のうしろで七つ目を頼む。レッコウどのは甲冑を脱いで陣の中央へ」
「心得た」
二人も手早く終えて、すべての準備が完了した。
「では始めよう」
バーリエルがすべての術を発動させるまで、そう時間はかからなかった。
シュネルドルファーが「おっ」と思ったのは最初のひとつである。
今のバーリエルとシュネルドルファーの関係は、レッコウの墓でキルケと戦ったときのシュネルドルファーとオイゲンのそれと同じである。あのときシュネルドルファーは直接オイゲンと連結して彼の魔力を利用したが、バーリエルはまずシュネルドルファーの魔力と自身の魔力を連結させるための魔法を使ったのである。
例えるならば、まったく規格の違うパイプ同士を連結するために伸縮自在のジョイントをはめ込んだようなもので、長く単独行動していたシュネルドルファーにはない技術だった。
次にバーリエルは力が逃げないよう結界を張り、そして当然ながら精霊の力を借りた。
なんとここまで彼自身はほとんど魔力を消費していない。連結したシュネルドルファーの魔力を強制的に使用したのである。
(これは便利だ……あとで教えてもらおう)
シュネルドルファーがそんなことを考えられたのは、ここまで。
本命である封術が始動すると、シュネルドルファーの意識は半ば消失した。
オイゲンのように苦しんだからではない。むしろ逆で、自分より格上の魔術師に導かれながら世界の力と一体化することの快感により、意識が邪魔になったのだ。
バーリエルも同様である。
七つもの増幅器の力を借り、代々受け継がれ育まれてきた疑似精霊点に彼自身も限りなく近づいている。そのためには自我など邪魔でしかない。
ただただ、レッコウにかけられた術を封じようと、無心で力を注ぎ続けている。
その様子を見ていることしかできないユウハは複雑であった。
彼女が協力できないことは彼女だけの責任ではない。ユウハは魔術に詳しくなく、魔術師二人は霊術に明るくないため、互いに干渉が不可能なのだ。ここで下手に力を添えようものなら術を台無しにしてしまうどころか暴走させてしまう恐れすらある。そうなってはレッコウも含め、全員とても無事ではいられないだろう。
ユウハから見ても、それほどこの術は大がかりかつ繊細なものだった。
「ぐむっ……」
レッコウが呻いた。
今まで、キルケの魔法が直撃しても声ひとつあげなかった男が、遂に。
そしてユウハは見た。
レッコウの肉なき肉体から滲み出る、どす黒い影を。
ゆえに、ユウハは悟ったのだ。
この術は失敗する、と。
ほんの少し影のような呪いの片鱗が出現しただけでそう悟ってしまうほど、それはユウハの心に圧倒的な恐怖を植えつけたのである。
やがて、バーリエルの魔力が尽きたところで術は終了した。
魔法陣は完全に沈黙し、増幅器の小皿に浮いていた光も消え失せ、机に置いてあるランプだけが今にも消えそうな儚さでよっつの人影を揺らしている。
「わが死、なおも遠く……か」
「申し訳ない……」
バーリエルはもはや立つこともできず、よろよろと老人以上に老人らしいか弱さで膝をついた。
「われら二人がかりでも、呪いの影を見るので精一杯とは……」
「こちらこそ無理なお願いをして申し訳ない……大事な時期だというのに」
シュネルドルファーももはや抜け殻のような状態である。
「なに……たまには本気を出さんとな……」
ふう、と一息ついたバーリエルは、笑顔だった。
「魔力が空になるなど、いつ以来だろうか……」
きっと遠いいつの日かの苦労を思い出しているに違いない。
とりあえず、この日の挑戦は失敗に終わった。
ただひとつ、収穫はある。
それは、この呪いを魔術だけで解くのは不可能、ということであった。
実践式魔法講座とそれに伴う考古学的冒険録 景丸義一 @kagemaru_giichi
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