第1話『お風呂に入ろう?-前編-』

 栞奈に奢ってもらった缶コーヒーは、やっぱりいつもよりも美味しかった。それを栞奈に伝えたら、ジト目で見られながらも笑ってくれた。

 その後は自分の部屋でゆっくりと1人の時間を過ごしている。今日は特に宿題はないから、自分の趣味に充てることができている。


「……あっ」


 もう、午後10時過ぎか。楽しいことをしていたら、あっという間に時間が経ってしまった。いつも、このくらいの時間には両親も栞奈もお風呂から出ているので、俺もそろそろ入るか。


「ううっ、寒いなぁ」


 さっきまでふとんに入っていたからか、廊下に出ると結構寒く感じる。10月になると日によってはかなり寒いときもあるから、油断して風邪を引いてしまわないよう気を付けないと。

 ただ、そういった時期になってきたからこそ、お風呂が気持ち良く感じられる。今日はゆっくりとお風呂を楽しもうっと。


「あっ、やっと来たよ、お兄ちゃん。一緒に入ろう!」


 洗面所の扉を開けたら、そこにはバスタオルを巻いた栞奈の姿が。


「……俺、リビングにいるから着替え終わったら一声掛けてくれ」


 俺は静かに扉を閉めた。まったく、今みたいに間違えて入っちゃうかもしれないから、鍵をちゃんと掛けてほしいよ。

 そういえば、扉を開けたとき……あいつ、何て言っていたっけ?


「もう、どうしてリビングに行こうとするの? ずっと待っていたんだから! 一緒に入ろうよ!」


 俺は栞奈によって強引に洗面所に引きずり込まれる。


「私と入るの……そんなに嫌なの?」

「嫌じゃないけど、お互いに高校生にもなって兄妹で一緒に風呂に入っていいものなのか不安で」

「大丈夫だよ。だって、私も嫌じゃない。お互いに嫌じゃないんだから、兄妹で入ったって何の問題もないよ。それに、昔みたいに一緒に入りたいと思って……さ」


 栞奈はニコッと笑った。本人が嫌がっていないのが幸いだけど。


「……妹と風呂に入るのは、俺が小学生の間に卒業したんだけどな」


 あの頃に比べるともちろん、栞奈の体も俺の体も成長しているわけで。そんな2人が裸のお付き合いをしたらどうなるか……。


「そういうことを言うから、彼女も一切できないし、童貞も卒業できないんだよ」

「うるせえ」


 彼女ができないことも、童貞を卒業できないことも気にしていないけど、栞奈にそのことで馬鹿にされることは本当にむかつく。ウインクまでしやがって。


「ひさしぶりに入ってもいいかなって思ったけれど、お前がそういう態度を取るんだったら絶対に入らない」

「ごめんなさいごめんなさい!」


 栞奈は俺の手をぎゅっと握ってきた。手がかなり温かいってことは、もしかして、栞奈は既にお風呂に入ったんだろうな。よく見てみると髪も湿っているようだし。


「お前、一度入ったんだな」

「髪と体を洗って、湯船には浸からずにお兄ちゃんのことをずっとここで待ってた。お兄ちゃん、毎日だいたい10時くらいに入るから……」

「へえ、俺のことを結構気に掛けているんだな」

「……え、えっと、その……」


 そう言うと、栞奈は顔を真っ赤にして視線をちらつかせる。


「ド、ドアの開く音が大体その時間に聞こえるから! 別にお兄ちゃんのことが気になって仕方ないとか……そういうわけじゃないんだからね!」

「はいはい」


 理由は特に何でもいいけれどさ。それにしても、ツンデレな妹もかわいいな。

 考えてみれば、部屋の中が静かなら、栞奈の部屋の扉が開く音は聞こえる。毎日同じくらいの時間に扉が開く音が聞こえれば、風呂に入るのはいつもこのくらいの時間なのかもって推測できるか。


「それよりも訊きたいことがあるんだけどさ」

「な、なに?」

「……どうして今になって一緒にお風呂に入りたいだなんて思ったんだよ。こんなこと、今までにもできただろう? 単にそんな気分になったから?」

「ひさしぶりに入ってもいいかなって思ったし、でも……普通に誘ってもお兄ちゃんは一緒に入ってくれないじゃん」

「いや、今も栞奈と一緒に入ろうと思ってないよ」

「……だから、さっきの……宿題を手伝ってくれたお礼に、一緒にお風呂に入ろうと思ったの。髪と体を洗ってあげよっかな……って何言わせてるの! 恥ずかしいよ……」


 笑顔になったり、怒ったり、恥ずかしがったり……感情豊かな妹だな。それらも可愛く思えてしまうんだけど。


「ねえ、お兄ちゃん」

「うん?」


 すると、栞奈は俺のことをじっと見つめてきて、


「……一緒に入りたくないの? 私はお兄ちゃんと一緒に入りたいよ」


 甘い声でそう言ってくる。まったく、あざとい妹だ。

 栞奈がお礼をしたいという気持ちは嬉しい。そんなことをしてくれるのはこの先あまりないかもしれないから、ここはたった1人の妹のご厚意に甘えるとするか。


「分かった分かった。一緒に入って栞奈のご厚意に甘えるとするよ。ええと……俺の髪と体をできる範囲でいいから洗ってください」


 流れで言っちゃったけれど、どうして俺の方からお願いしているんだろう。

 栞奈はとても可愛らしい笑みを浮かべて、


「分かったよ、お兄ちゃん! 私がお兄ちゃんのことを気持ち良くさせてあげるね!」


 誰かが聞いていたら誤解されそうな言葉を使ってきやがる。微妙に上から目線の物言いがちょっとイラッとさせるけど、可愛らしい笑顔と髪や体を洗うことが宿題のお礼とのことなので今は何も言わないでおこう。

 それにしても、俺と栞奈が数年ぶりに一緒に入ったことを両親が知ったらどう思うかな。仲がいいんだね、って終わればいいけど。


「……それじゃ、よろしくお願いします」

「うん! 私に任せて! じゃあ、さっそく服を脱いで……」

「脱ぐことくらいは1人でやらせてくれ。それに、ここは寒いから浴室の中で待ってろ」

「はいはい。もう、恥ずかしがり屋さんなんだから、お兄ちゃんは……」


 既に何度も恥ずかしがっているお前には言われたくない。


「あっ、そうだ。私の服とか下着の匂いを嗅がないこと!」

「……そんなことするわけないだろ」


 どれだけ変態だと思われているんだ、俺は。まさか、彼女が一度もできず、童貞が卒業できないのは異常なシスコンが原因とか考えているんじゃないだろうな。


「ふふっ、そんなことしないよね。ちょっとからかってみただけ」


 栞奈は浴室の中に入っていった。

 浴室と脱衣所の扉がしっかりと閉まっていることを確認して、俺は服を脱いでいく。すると、ちょっと寒く感じられた。栞奈の奴……風邪を引いていなければいいけれど。

 1人でゆっくりと入りたかったのが本音だけれど、小さい頃に栞奈と一緒に入ったときは楽しかったので、きっと同じような気持ちになれるのだろうと信じ、俺は栞奈が待つ浴室へと入っていくのであった。

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