第五夜 記憶と追憶 3
「クローバー」で食事を終えた僕らは、これまた彼女の提案(というよりはほとんど強制的に)で午後の余った時間を彼女曰く”親睦”を深めるために費やすことになった。さらば、僕の幸せな読書の時間よ……。
「さっきから元気ないね?どうかしたの?」
「どうかした、というほどのことじゃないけど、インドア派な僕は長時間外にいると疲れてしまうのさ」
「何それ、超貧弱なんだね君は」
わははとあまり馬鹿にしたような言い方ではないが、言葉は完全に見下した言い方のそれだったので少々ムッとする。
「そんなことより、いったいこれからどこに向かおうと?」
「それは着いてからのお楽しみだよ」
好きなものを好きなだけ食べられるという喜びを感じているかの如く、というよりはいたずらを仕掛ける前の悪い顔で喜びを表現するのは彼女しかできない芸当だろう。本当に悪魔の手先なのではないか、というぐらいには悪い顔をしている。ある意味では優れている能力の一つなのだろう。
結局どこに向かうのかもわからないままに彼女が行く方向へついていった先には”3000円で遊び放題!運動不足も解消!”とおおっぴろげに書かれてある広大な商業施設だった。もはやどこにでも連れていくがよい、と諦めていたが、実際こんなところに連れられるとは全く予想できなかった。ノストラダムスでも無理だろう。いや、彼は見事に予言を外しているわけだけれども。
様々な遊びをしていて気づいたことは2つある。一つは彼女の運動神経のレベルの高さだ。バッティングでは110㎞のボールをヒットに打ち込み、ピッチングでは9枚中7枚という高得点。バドミントンにおいて僕は彼女から一セットも取ることができなかった。このご時世電子化が進んでいるなかでよくもまあここまでアウトドアに長けた人間に育ったものだ。もう一つのわかったこと。それは単純で僕はやはり運動が苦手だ。反射神経測定器でその日の最高記録をたたき出した彼女はだいぶ満足したようで
「疲れてきたよ」と無尽蔵の体力を惜しげもなく使い切った口調で僕に訴える。
「じゃぁそろそろ帰ろう。僕はもうだいぶ前から体が悲鳴を上げている」
「発言がおじいちゃんみたいだよね。そんなんだと老けるの早くなるよ?」
「童顔だから多少老けた方が大人びて見えるだろうからその発言は僕にとって効果はいま一つだよ」
「ねぇ、おなか減らない?」
いったいどんな胃袋をしているのだろう。消化能力が高いとかそういう次元の話じゃない気がする。宇宙が拡大しているように彼女の胃袋も一分一秒ごとにひろがっているのだろうか。それともブラックホールでも胃に備えているのか。そしてなぜ僕は断らなかったんだろう。数々の疑問を頭に浮かべたまま僕らは早めの夕食を食べに来た。時刻は17:30。最後に食事をしてから3時間しか経過していない。普段から運動をしないような僕は食費の浪費も懸念して少食だ。それに燃費も良いため、その少しの食べ物だけで多くの時間を過ごすことができる。非常にエコな存在というわけだ。「いやぁ、何を食べようか迷うよね。ピザとスパゲッティはさっき食べたから、今度は和食がいいな」という彼女の提案、という名の連行を受けて僕たちが来たのは和食がメインの定食屋だ。
「決めた!このシャリアピンステーキ定食にしようかな。君は何にするの?」
「僕はお腹減っててないから食事はいいかな。飲み物だけにしておくよ」
「えー、痩せちゃうよ、そんな少食だと」
「胃に無理をさせたくないんだよね。ほら、僕自分に優しいから」
「嘘つけ―。まぁいいや、すみませーん」
てきぱきと店員さんにオーダーを済ませて「シャリアピンステーキって日本独自の料理らしいよ」なんて食に関する豆知識を喋りながら、遠足前の子供の用にワクワクして料理が来るのを待っている彼女に、本当、よくこんなにまっすぐに育つことができたな、と彼女の良心への関心も含めて心の中で脱帽する。
他愛のない話を咲かせながら、料理をみるみる平らげていくその食べっぷりは本当に驚異的で、感心したし、同時に少しだけ本当に大丈夫なのだろうか、と彼女の胃を心配した。本人には絶対に言わないけど。
食後の一服、というようにセルフサービスのお茶を飲んでいると、まだ喋り足りないようで、様々な話をした。ご飯について、運動について、学校の勉強について、友達について。いろいろなことを話したけど、初対面で聞いた彼女の家族のことは一度も話題には出なかった。まぁ僕が意図的に避けたんだけども。
彼女と話すことで少しずつだが彼女のことがぼやっと見えてきた。彼女は僕とは全く別の生き物だ。そりゃ生物学上は、なんて野暮なことを言うつもりは全くない。要するに性質が、ということだ。ご飯を大量に食べることや、食事に楽しみを見出すこと。運動が得意だったり、勉強は苦手だったり、学校の勉強は嫌いなものと好きなものの差が激しいとかだったり、友達は多ければ多いほどいい、とは思っていないだったり。大体の人間の性質とはおおよそかけ離れているように感じる彼女の回答は僕の予想を少しずつ超えていき、たまにとんでもない場所から回答を出したりする。僕は基本的に人間が好きではない。しかしその浮いた考えを隠すために人に合わせて生きている。トラブルは簡単に避けられるけれど、どうしてもその人の悪い面をみてしまう。嫌な部分に近づいて気分を害さないためだ。そうして生きてきた経験からか、僕は無意識的に人を系統別で判断するようになった。自分と合わないだろう人間、自己中心的な人間、構ってほしい目立ちたがり屋な人間、誰ともかかわらないほうがかっこいいと思っている人間、誰かとかかわらないと生きていけないような人間。僕は大体悪い方が目に付くのでその分野での分類をしてきた。しかし彼女はどこにも当てはまらない。笑顔や発言にイラっと来ることはあってもそれは決して負の感情側で起きたものではない。彼女はいつもさりげなく相手を不快にさせないように立ちまわっていた。けれど距離をおかず、詰めてくる。迷路で正しい道を一本選ぶかのような地道なことを、彼女は恐らく誰に会ってもやってきたのだ。やっと気が付いた。なぜ僕は初対面に等しい彼女にこうも素で話すことができたのか。僕は彼女という人間に興味を持っていたんだ。無論人間という枠内でだ。人のために行動できるような人間では僕自身違う。そして分類してきた人間でも自分がまず害されないことを望んでいた。しかし、彼女は違う。人と関わろうとし、しかし人のために行動する、自分を殺すことなく。なんて器用な人間なんだろうか。人生上はじめて会った稀有な人間であると判断せざるを得ない。認めよう、僕は彼女という人間が嫌いではない。決して彼女には打ち明けないけれど。あの憎たらしくもなんだかんだ愛嬌のある顔が目に浮かぶようだ。
「何考えてるの?話聞いてた?」
「あ、ごめん。ボーっとしてた」
「失礼しちゃうわぁ。まぁ素直に謝ったことを評価して許してしんぜよう」
わはは、と豪快に笑う彼女はやはり良い方向で人間味にあふれている。上から目線なのに不快にならないその言い方は彼女でしかできないだろう。人間の良い一面を僕は彼女に教えてもらった。
会計をして外に出る。駅までは同じ道のりだし、行きに来たルートを戻っているだけなのに、不思議と違う景色に見えた。世界は何かに気づくだけでこんなにも変わるのか。
駅改札口で少し話をして、レポートをどうするか、内容は今日あったことそのままでいいのか、という程度の会話を交わしてから解散となった。
次の週、授業とレポートのために学校へ行き、教室に行く。あと5分ほどで授業開始だが、人数が少ない。レポートが間に合わなかったのだろうか。そんなことを考えながら、本を読み時間をつぶしているうちにチャイムが鳴り、授業が始まる。ふと教室を見渡してみると彼女が来ていない。寝坊だろうとたかをくくっていたのだが、授業終了間際になっても彼女は対に現れることはなく、しばらくして、箕輪あやめという女子学生が家庭事情により、学校をやめたということを聞いた。
帰りの並木道に咲いていた桜はすでに散っていた。
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