第1話

「――ほいっ、終了」書類の山を叩きながら、義平は言い放った。そして、今現在一行がいる風紀委員専用資料室にある椅子に座り、くたびれたように手足を投げだす転に、義平は手を伸ばした。「おいおい、なっさけねぇなぁ。華(はな)なんて元気に飛び回ってんぞ」


「……あの体力幼女と一緒にしないでください。私は都会の人間です……徒歩なんて億劫なことはしません、通学も全てタクシーでした」

「自慢すんな」


 転の本土での生活その1――100m以上歩かない。

 転の本土での生活その2――食材は全て宅配。


――等々を転は自慢げに話した。


「……OK。ちょっと俺が鍛え直してやっから、今日講義が終わったら道場な」

「嫌です!」先ほどまでのだらけ具合はどうしたのか、大きな声で拒否を示した。

「……ころちゃんの腰のそれは飾りなのかなぁ?」華秀が転の腰にある木刀を指差し、肩を竦めた。「これでよっちゃんと同じ道場にいたっていうのが信じられないよねぇ」


 転は小学校に上がってから、義平と同じ道場――咲雀(さきがら)剣術道場に通っていた。

 しかし、その腕前は義平が呆れるほどであり、初心者の華秀にすら馬鹿にする始末。

 一応、振れるだけであり、転曰く、格好がつかないから木刀を持っているとのことである。


「そもそも木刀って時点で察してください。義平さんのように真剣なんて持てませんよ」

「持たせられない。の間違いだな」義平は腰から、少し高級そうな装飾がされている刀を持ち上げると、それを転の前に持ってきた。「こいつは商売道具だかんな」


「……正義の象徴を商売道具とは――風紀委員というのはそこまで堕ちましたか? 銀子、あんな風紀委員になっては駄目ですよ」


 顔を背けている華秀と銀子の両方を抱きしめながら、転は義平の刀を眺めた。


「お? なんだ覚えてたか」義平は転に見えるように刀を鞘から少し抜き、刃を見せた。「正義の象徴ねぇ――残念ながらこれは、ただ単に罪人をたたっ斬るためだけの武器だ。善悪なんてプラマイゼロ」


 義平の持つ刀――それは罪具(ざいぐ)と呼ばれており、別の呼び名は鬼場の鍵。

 この島の特徴の1つであり、悪人が畏怖する武具である。


「……それは、仏が口にするべき言葉ですよ」

「そんじゃあ、お前さんの言葉は悪魔が口ずさむのか?」

「そうかもしれませんね」転はフッと微笑み、華秀と銀子を離し、義平の手を握り、そのまま刀を鞘に納めた。「あなたが使うから、それは正義の象徴なのですよ」


「あんだよ? 随分としおらしいじゃねぇか」

 転と義平が話し込んでいる内に、華秀と銀子は話が長くなると気を遣ったのか部屋から出て行ってしまった。

「いえ、そういうつもりはないのですが……」


「まぁ、そう褒められるのは悪い気はしねぇがな。と、いうか、銀と華(はな)出て行っちまったじゃねぇか」

「話が長引くと思ったのではないですか? 昔から、私と義平さんが話し込むと長くなりますからね」

「あ~……確かにな」


 すると、義平が扉を眺めた後、ため息を吐き、1枚の書類を転に手渡した。


「それによく目を通しておけ――およそ、お前さんもよく聞くことになる連中だ」

「……ああ、これは私も知っています」


 義平が渡した書類――そこには『裏仕事委員』と、書かれていた。

 この群島では仕事をするために委員会に所属しなければならない。高校生以上からは大抵の人間がこの委員会に所属することになるのだが、1人1委員までであり、転向するにしても、前に入っていた委員会から除名しなければならない。


 しかし、ごく少数だが、2つの委員会に所属している人間がいる。

 それが、裏仕事委員会に所属している人間である。


「あいつらは様々な仕事を生業にしてやがる」義平は舌打ちをし、刀の柄を撫でた。「どんだけ尻尾を掴もうと思っても、呼び水のように消えちまう」

「……あら、火方は管轄外ではありませんか? あれは盗人でもないでしょう」

「そりゃあそうだが、やってることは凶賊どもと何ら変わりねぇよ」

「……そうですね」


 闇から闇を歩き、人々の恨みを代行する存在――それが裏仕事委員だと義平は言う。


「まっ、生徒会長であるお前さんでは交わることはねぇだろうが、場合によっちゃあ生徒に最も近いお前さんにも調査を依頼すっかもしんねぇ」

「わかりました……ところで」


 転は周囲を見渡すと、何故かワイシャツのボタンを上から2つほど開けた。


「もしかして、2人きりになれるタイミングを窺っていました?」

「なんで服を脱ごうとすんだよ?」

「ちょっとした雰囲気作りを」

「俺が悪役にされる未来しか見えんな」


 義平はため息を吐くと、資料室にある換気扇の下に行き、紙で巻かれた煙草に火を灯す。


「そんで――銀と華(はな)に聞かせるような話でもなかったからな」

「そうですね、こういう面倒くさいことは偉い人と強い人に任せるのが一番です。よって私は何も聞きませんでした」

「さっきわかりました。って、言っただろうが……」



 転と義平は資料室を出たのだが、外に華秀と銀子の姿は見えず、携帯で連絡を取ったところ、食堂にいるとのことであった。


 今はまだ講義をしている時間であり、生徒の数も疎らだが、時間を潰すのは食堂の方が良いだろう。と、いうことで、転と義平はそちらに足を進めている。


 すると、転は窓から外を眺め、春の陽気な風を体に浴びせ、欠伸を1つ。


「こう良い天気だと出来れば家に帰って寝ていたいですね」

「天気悪くても寝てんじゃねぇか」

「人を怠け者みたいに――」

「違うのか?」

「否定はしません」


 転はクルりと反転すると義平に体を向け、後ろ手を作り後ろ向きで歩きながら口を尖らせた。


「そもそも、私は学校なんて必要ないんですから、こうして顔を出すだけで感謝してほしいですよ」

「どんな身分の生徒会長だよ」


義平がまるで子どもの荒唐無稽に呆れるように、笑みが強い苦笑を浮かべた。しかし、すぐに驚いたような表情で手を伸ばした。


「おい転(てん)――」

「え、なんです――おっと」


 転の背後から現れた人間に、転は体をぶつけてしまった。そしてその際、ぶつかった拍子に倒れそうになったが、義平が手を引っ張ったことで事なきを得た。


「あら――ありがとうございます」

「まずはごめんなさいな」


 義平は転を勢いよく引っ張ったために抱きしめている。と、いう状況になるのだが、特に慌てるわけでもなく、転の体の向きをぶつかった人間に向けさせ、謝るように言った。


「――っと、そうでした。ごめんなさい、怪我はありませんでした?」

「………………」眼鏡を掛けた青年が尻餅をついていた。

「ごめんなさい」転は再度謝罪の言葉を投げると、その青年が落とした財布に手を伸ばした。すると、その財布が開いており、そこにはまだ数回しか使っていないだろう高級食券が顔を出していた。「あら――」


「――ッ!」しかし、青年がそれを勢いよく拾うと、そのまま駆けて行ってしまったのである。

「あ、あら?」

「おい、怖がらせんなよ」

「いえ、そんなつもりは……」


 転は多少のショックを受けているのか、頬に少し空気を入れた。

「こんな美人に声を掛けられたら、普通照れません?」

「他人の好みをとやかく言うなよ……」後ろから転の頭を数回はたき、義平は転の背中を押しながら歩き出す。「照れてほしいんなら、たまには俺に色目でも使ったらどうだ?」

「嫌ですよ。どうせ効かないんですから――義平さん、覚えています? あれは私が本土に行くことが決まった時なんですが、義平さんがあまりにも私に色気がないと言うものですから、最後の最後に一泡吹かせようと思い、背中を流しに行ったのですが……」


「ああ、あったなぁ――」

「……あの日、殿様は私に向かって何て言ったか覚えています?」

「忘れた!」義平は明らかにばつの悪そうに、この話題を回避したいのか、足取りを速め始めた。「なぁ、転(てん)そういやぁ、昔あった駄菓子屋――」


「おい、タオル取れよ、違和感なく男湯に入っていけるぞ。です」

「あ、あ~、そんなこと言ったかぁ? いやぁ、記憶にねぇなぁ――誰かと間違えてんじゃねぇか?」


「残念ながら、お父様を除いて私の人生では殿様としか混浴していません」

「……あ、泡姫?」

「そういう意味の殿様ではありませんよぉ?」転は、どことなく菊江にも律子にも似た笑顔で義平に非難を向けた。「まぁ、現在であるのなら、一発で悩殺しちゃいますけれどね。あの時の言葉を後悔するが良いですよ」


「……はいはい、そんならいつでも風呂にでもどこへなりとでも入って来い」

「本当に突撃しますからね」


 転はそう宣言すると、先ほどの青年が走って行った方向を改めてみた。


「あのぼったくり食券、流行っているんですか?」

「うん? なんだ、あいつが持っていたのか?」

「ええ、高いものですし、そうそうと買えるものではないと思うのですが……」

「まぁ、他人の金のことだから何とも言えんが、あれはそこそこ人気だぞ? もっとも、興味本位。で、だが」


 中村家などの富豪の家では日常的に出る物かもしれないが、一般家庭では物珍しいのだ。と、義平は言うのだが、突然頭を掻き、表情を歪めた。


「中には、あれを生きがいにしてた奴だっていたんだぜ」

「生きがい……ですか?」

「ああ、お前さんがこの学校に来るちょっと前の話なんだが、ここの大学の生徒が中学の妹2人と心中したって事件なんだがな」

「……それはまた、随分と痛々しい」

「ああ、そんでその兄貴の方なんだが、家が貧乏だからってたくさん働いててな。いつか妹たちにあの高級食券を買ってやるんだと言っていたのが印象的でな、今でもよく覚えてるよ」


「……その食券、結局買えたのでしょうか?」

「さぁな……ただ、買うとしたら3枚だが、そんなもの家には残ってなかったな。結局、買えなかったんだろう」

「……相当、困っていたんですね」


「まぁ、な」どこか含みのある言い方をする義平。「……これは確定してるわけじゃないんだが、風紀委員の調べでは、この前鬼足寄場に送られた佐塚っていうのが絡んでいたらしい」


「――? 何故鬼足寄場に送られたのに確定していないんですか? あそこは、絶対の悪人が送られる場所ですよね? 確定していない人を送るなど――」

「裏仕事委員」

「……なるほど」


 義平が言うには、教師であった佐塚が不正を働いているという情報は、神林が自殺した段階では挙がっていなかった。

 しかし、佐塚と商売委員の進藤が突然行方不明になった。と、報告があり、2人を調べてみたところ、生徒から不正に金を受け取り、それだけではなく担保として少女を連れ去ったなど、外道な行動が発覚した。


 そして、それが神林の心中と関わっていたらしいのだが、裏仕事委員に誰が依頼をしたのかもわからず、そもそも本当に佐塚が関わっていたのかもわからない。と、義平は肩を落とした。


「そう、ですか」転はどこか思案顔で、携帯の画面を呼び、先ほど来たメールを眺めていた。

「――と、長ったらしく喋っちまったが、あんまり触れ回らないでくれな?」

「ええ――」


 そうして、転たちはすぐ目の前に見えた食堂に入って行った。

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