第8話
「しっかし……」義平は卓に並んだ料理の数々を見て、グラスを傾けた。「相変わらず、居酒屋のメニューだな?」
銀子が傾けられたグラスに、義平と菊江が持ってきた酒瓶のどちらを先に開けようか迷いながらも注いだ。
「なんですか、嫌なんですか?」
「いんや、俺は好きだぞ。そのおかげで、酒も美味いしな」
「まだお酒飲める年齢になって1年も経っていないのに、随分と一丁前のことを言うのですね?」
「そう言うなって」グラスに注がれた酒『芋焼酎・灯渡(ひわたり)』を喉に流し込んだ義平が、疲れたような顔を浮かべ、盛大にため息を吐いた。「ガキの時分、親父が酒を浴びるように飲んでるのが不思議でならなかったが、まさかわかる日が来ちまうとはなぁ……」
「そうですよ転さん」菊江が水で割った灯渡を、まるでこの世で最後の一杯。と、でも言うような悔いの残らないような豪快な呑み方をしていた。「本当……大変なのですから」
「あらあら――ほら、菊ちゃん、今日はたくさん呑んで。もし酔いつぶれても、私が介抱してあげるからね」
律ちゃ~ん。と、菊江が律子に抱き着き、頭を撫でられながら、グラスは手放さず器用に酒を呷っていた。
「枯れる寸前の百合とか誰得ですか」
転が呟いた。
「シッ! ころちゃんは一言多いし、2人ともまだまだ若いからね」華秀がフキノトウの天麩羅を転の口に放り込んだ。そして、烏龍茶の入ったグラスに口を添えると、コクコク。と、小さく飲み、何故か赤くなった顔で、転を指差した。「ころひゃんはぁ――いっちゅもいっちゅもかっへでぇ」
「それ、烏龍茶じゃありませんでした?」何故か酔っぱらっている華秀に、転は頭を抱え、華秀のグラスを奪い取り、銀子を手招く。「銀子、この雰囲気酔いしているがうがう幼女を――」
「……わかりました」
銀子は返事をすると、飲んでいた緑茶をテーブルに置き、華秀のポケットから顔を出している片手遣い人形(サーベルらいおんくんとバーバリたいがーくん)に無表情で声をかける。
「華秀先輩、華秀先輩――分裂していたら運べません」
「……銀子、それは華秀さんのがうがう人形です。あなたが華秀さんを華秀さんたらしめているのはがうがうだけなのですか?」転はふらふらとしている銀子を横抱きし、そのまま部屋に運ぼうとする。「まったく……こんなにはしゃぐ子だったかしら――って、あら? 華秀さん?」
「ころちゃんあたしも~――だっこぉ」
「……はいはい――」
転は銀子を昔彼女が使っていた部屋に運び、次に華秀を客室に運んだ。
特に疲れるようなことをしてはいないはずだが、転の顔には疲労が浮かび上がっており、腕をクルクル回すと、そのまま義平たちの元へむかって歩き出した。
すると、そこはすでに酔っ払いの空間になっており、教育者がどのような者であるべきか。と、菊江が熱弁していた。
その横ではニコニコと律子が聞いており、八千雄が目頭を押さえながら泣いていた。
「……ここは地獄ですか?」
「おぅ、転(てん)こっち来て酌してくれ。銀がいなくなっちまって注(つ)いでくれる奴がいねぇんだよ」
「自分で注げば……ああもう――」
義平の隣に座り、転はグラスに酒を注いだ。
「こんなみっともない姿を晒せるのなら、私は大人にならなくても良いです。ピーターパン希望です」
「まぁそう言いなさんな。心が正直になれる場所っつうのは大事だぞ? そういう意味じゃ、俺も理事長も、律子さんも千石のじいさんもピーターパンさ」
「お酒の匂いをまき散らすピーターパンが他人に夢を見せられるものですか」
先ほどから水割りで飲んでいた菊江はいつの間にか、水も氷もないグラスで酒を呷っており、それに倣うようにか、八千雄も大量の酒を喉に流し込んでいた。
「酒焼けした声で、『さぁ、空を飛ぼう。大丈夫、楽しいことを考えれば飛べるさ』ってか?」
含みのある言い方をする義平が、再度グラスを傾けた。
「はいはい、入れますよ」転はこの食事会が始まって何度目かになるため息を――そして、自分のグラスにもお茶を注いだ。「それ、そのままの意味ですか?」
「酒焼けして、明らかに何かに呑まれていたら空想現実逃避の言葉かもな」
「……空想に飛ぼう。疲れているから楽しいことを考えれば、飛んで楽になる。ですか? 大人って嫌ですわぁ」
「大人だからじゃねぇよ。そういう風に追い込んじまう人間が多いってだけだ」クツクツ。と、喉を鳴らし、義平は傾けていたグラスを転に伸ばしたが、寸でのところで止めた。「――っと、未成年だったな。すまんすまん」
「あなたも大分キてますね。ちょっと待っていてください。お茶でも淹れます」
「おぅ、すまねぇな……なぁ転(てん)」
「――? はい、なんですか?」
「……さっきふと、思い出したんだが、買いもんしてる時見てたのは……え~、何だったか――華(はな)のダチか?」
「え? ええ――」
しかし、転が義平に視線を向けた時、義平の視線は鋭いものとなっていた。だが、転と目が合った瞬間、人懐っこいような笑みに戻り、酒を呷ったのが見える。
「……なんですか? 何か気になることでも?」
「ん~……ああいや、すまんすまん――戻ってきたばかりのお前さんが気にしてるのが気になってな。いや、申し訳ない。これも職業病というやつだな」少し大袈裟に見えるような笑い方をし、義平はまた転に酒を進めた。「ほれ転(てん)、呑め呑め」
「だから飲めませんって……」突き出されたグラスを押し返した転は、チラり。と、義平を覗き見る。すると、目が合った瞬間、歯を剥き出しにし笑った義平を訝しがるように表情を歪めた。「相変わらず、何と言いますか……抜け目ないですね、危うく騙されるところでしたよ? まぁ、私には効きませんが」
「………………」義平は頭を掻いた後、諦めたように両手を上げた。「お前さんも目敏いな――いや、実際そこまで気になってるわけじゃねぇよ? ただ、さっきも言った通り、尻尾が隠れている奴らの尻尾を引っ張りだせるか。と、期待してただけだ」
「……なるほど」転は傾けられてもいないが、義平のグラスに酒を注ぎ、思案顔――そして、残っている刺身を口に運ぶと、一度息を吐く。「いえ……私が食堂で華秀さんに会った時、一緒にいらしたので、多少言葉を交わした程度の仲ですが、そんなアキラさんがどうしてその問題児といっしょにいるのか気になってしまい」
転はアキラが悪い人間とつるむ様には見えない。と言う。
すると、横で酒を呷っていた菊江がずいっと身を乗り出してきたのである。
「問題児ですかぁ? わたしの学校に、そんな――」
「はいはい――菊江おば様、飲み過ぎですよ。律子叔母様も止め――あ、こっちも浴びるように飲んでいらっしゃいます」転はコップに茶を注ぎ、菊江と律子の2人に手渡した。「それでも飲んで落ち着いてください」
「………………」茶を一気に飲み干した菊江が、ジッと転を見つめた。「……アキラさん? アキラさんって、あの女の子にモテそうな子ですよね?」
「え? ええ、そうですね。どことなく男性のような喋り方をしていると思います」
「あの子は良い子ですよね。同郷というより幼馴染だったかしら? マヤさんとも仲が良いし」
「アキラちゃん?」律子が首を傾げて、菊江の肩に頭を乗せた。
「ええ。ほら、荷范(かはん)島の……えっと、そう――あの小売業の真鍋さん」
「ああ、本土や画渡島の商品を売っている……」菊江の肩から頭を離し、律子はどこかばつの悪い表情を浮かべた。「そう……華秀ちゃんのお友だちなのね」
「叔母様?」
「ああ、ごめんなさい。まぁ、ここまで言ってしまって、黙っているわけにもいかないわよね……真鍋さんのところ、業績があまり芳しくないのよ。売っている物も中古か、本土でブームの過ぎた物ばかりだし……」
商人は情報が命。と、公言している律子は、この画渡島以外の商人についてもしっかりと記憶しており、例え小さな店だろうと情報は一定数持つことにしているのである。
そして、律子曰く、アキラの実家である小売店は潰れる一歩手前なのだと言う。だが、商売であるから、競争なのは仕方がない。しかし、そういう趣もあり、島のために頑張ってきた店が潰れるのは寂しい。と、付け加えた。
「理事長の身としては、そういう生徒のために出来ることをしたいのですが……日常茶飯事と切り捨ててしまえばそれまでなのですよね」家庭の事情により学校――島を去る生徒は少なくない。故に、例外を作れないところまで来ており、今まで通り、聞かなかったことにしないとならない。と、菊江は顔を伏せた。「私に出来るのは彼女が生きていけるような教育を。ですね」
「それで菊江おば様を恨むような人はいないと思いますが……」どこか重苦しい空気が流れ、転は菊江と律子の背中をさすった。そして、あまり気にし過ぎないように。と、言うと、八千雄を立たせて部屋に連れて行こうとしている義平に視線を送った。「さっ、そろそろお開きにしましょうか? あまり遅くまで飲んでいると明日に響きますもの」
そうして、転は菊江と律子を連れて部屋を出ようとするのだが、2人が片づけをする。と、聞かないため、無理やり引っ張り、同じ部屋に投げ込んだ。
料理の方は義平が全て平らげたために、無駄にすることはなかったが、酒の匂いや食器、さらには多少こぼれた食べカスなどを転は片づけ始めた。
~
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一通り片づけを終えた転はリビングの窓を全て開け、大きく伸びをした。
そして、転は庭に出ると眼前に広がる海を眺め、吹いてくる海風に目を細め、髪をかき上げるのだが、背後から聞こえる足音に耳を傾けた。
「……おじ様に似てきましたね?」
「そうかい?」義平が転の隣に腰を下ろし、煙草盆を地面に置くとそのまま煙管に火を点けた。「俺は不真面目だからな、似ねぇと思っていたが、似てくるもんなんだな」
「ええ、そっくりです……」
暫しの沈黙――どちらかが声を発するでもなく、ただただ、そこに在った。
春一番――と、いうにはあまりにもお粗末だが、草木花、命を運ぶなどと言う仰々しさもないが、葉を揺らし、音を奏でる程度には心地の良い風が2人を撫でていた。
ゆったりとした時間である。
「なぁ……」
「なんですか?」
「俺はお前さんが変わっていないことが嬉しいぞ」
「なんですか、プロポーズですか?」
「プロポーズしたくなる女になってから言ってくれ」
紫の煙を吐き出し、義平は目を閉じた。
「お前さんが知っている範囲だけでいれば良いか?」
「……私、そこまで露骨に寂しそうにしていました?」
「いんや、全然」
「それでよくそんなことが言えましたね」
呆れたように転は言うが、すぐに髪をかき上げ、今日1日、過去――転がこの島にいた時から進んでいない時計の時刻を声にするが如く、誰もかれもが変わっていない。と、いう体で会話をしていたことを義平に告げる。
「高が3年――と、高を括っていましたが、思った以上に変わる物なんですね。華秀さんは見た目こそ変わっていませんが、凛々しくなったような気がします。銀子は綺麗になっていて吃驚しましたし、様々な表情……雰囲気を出すことが出来ています」
「そうだな、華(はな)はしっかりしてきたし、銀は俺にも見抜けない隠し事をするようにもなった。この間なんか、給料をただ貯金するだけかと思っていたが、高級食券を買ってたしな」
華秀も食べていた1枚10万の食券である。
「あら、そうなんですか?」銀子が食事にお金をかけるのは驚き。と、転も義平に同意し、屋敷を見上げた。「……2人とも、私より胸が大きくなっていますし」
「それは諦めろ、律子さんも雲母さんもペチャパイだったろうに――遺伝だ遺伝」
「ほっといてください」転はぷっくりと膨れ、自身の胸をさすった。
「まぁ、俺が何を言いたかったかっつうとだ――」義平は転の腕を引っ張り、座らせると、その頭を撫でてあげた。「おかえり。やっぱ、活気があってお前さんがいる方が良い。銀も俺には見せないような楽しそうな顔すっし、華秀もガキっぽく戻った。理事長も張りが出てきたし、律子さんも嬉しそうに屋敷に帰ってきてたしな」
「……そんなに期待されると、逃げ出したくなりますね。また本土に駆け込もうかしら?」
「今度は俺も追いかけっかね――持ってるもん全部捨てて『てん』だけ見てんのも悪くねぇ」
「……やっぱりプロポーズじゃないですか?」
「さぁ? どうだろうな」
そして、2人同時に噴き出した。
このようなやり取りは2人の日常茶飯事であり、産まれてからあまりにも近くにい過ぎた2人だからこそのやり取りであり、互いの拠り所である。
紫煙が伸びる空はどこまでも広く、空と煙の境界はまるで表裏一体――まさに、転と義平の2人のように、混じり合うように見え、まったく交わらない。
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