第1話
「今日の臨時朝礼、なんかおかしかったよねぇ?」赤茶の肩まで伸びた髪で、エプロンドレスに身を包んだ活発そうな小柄の少女が、テーブルに置かれたどこか豪華な食事にスプーンを運びながら言った。「臨時の割に、いつもの朝礼と何ら変わらない内容だったし、何より――」
この少女――土屋(つちや) 華秀(かほ)が一度体を震わせると、首を横に振り、まるでそれを忘れたいかのように昼食のオムライスを口に運んだ。
「……理事長、鬼のような顔してたよねぇ」
今朝の出来事である。突然、予告もなしに大学と高等部に通っている生徒は講堂に集まるように言われ、朝礼が開かれた。
しかし、突然開かれた朝礼であるにも関わらず、内容は日々の注意事項や校長の話、それに近くで起きた大事でもない事柄の数々――集まった生徒は不満を口々にしていたが、手に持った携帯電話を握りつぶした理事長を見て、その朝礼は海が凪ぐ如く静まり返っていたという。
「あ~……怖かったぁ。理事長が鬼の子っていう噂は本物だよねぇ」華秀は一緒に昼食を取っている友人に声をかけた。しかし、一人は薄型の携帯端末をどこか熱っぽく、それはもう恋に恋する乙女のような視線で操作しており、もう一人はそんな乙愛を保護者のような温かみのある瞳で眺めていた。「……あたしをそっちのけでイチャつくとは」
「いやいや、イチャついてんのはマヤだけだから」
「――ふぇ? あぅ? えっと……アキラちゃん、土屋ちゃん、呼んだ?」
ベリーショートの髪型に、どこか男性っぽい声と雰囲気を持っているのがアキラであり、携帯端末を操作している、長い髪に幸の薄そうな顔をしているのがマヤである。
「うんで? ヒデはなんだって? 理事長が鬼の子なのは確実っつったのかい? うんなもんみりゃあわかんぜ」
「……あ~、理事長、朝怖かったもんねぇ。携帯――しかも折り畳み式を粉々って」携帯端末から目を離すことなく、体を震わせるマヤ。
「いきなり会話が再開された! というか、ヒデって言うなぁ!」
「あんたの名前は読みにくいんだよ。最初に名前見た時、カヒデって変な名前だな。って、思ったしな」
「もうちょっと頑張れば『愛された者』だったのに……」
「え? なに『ラリされた者』?」
「『ダ』は『愛』じゃないよぉ! それと点々はどこいったぁ!」華秀がハフっとため息を吐く。しかし、すぐに子どもっぽい笑みを浮かべ、アキラとマヤを眺める。華秀にとって、2人は大学に入ってからの友人になるのだが、アキラとマヤは別の島からやってきた人であり、関係は幼馴染――華秀は羨ましそうな瞳を浮かべた。
「なんだよヒデ、このハンバーグはやらねぇぜ?」
「いらねぇぜ!」ベッと舌を出し、華秀は可愛らしい表情でアキラを見た。「……でも、羨ましいなぁ」
「ヒデのランチの方が羨ましいけどな」
「ハンバーグじゃないって!」
マヤの頭を撫でるアキラ――そんな仲睦まじい二人を、華秀はどこか遠くを見るように――。
「そうやって甘やかしてくれる。甘えさせてくれる。って関係が良いなぁって」
「ヒデ、ボッチだったっけ?」
「違うから! ちゃんと高校の時の友だちもいるよ? でも、1番の仲良しはいないかな……」
華秀が深くため息を吐くのだが、別に人間関係が苦手だとか、そこに気を遣って生きているわけではない。しかし、小中。と、最も仲の良かった人間は今おらず、そのせいか、2人に羨望の眼差しを向けてしまうのだろう。
「あ~、あたしもナデナデギュってしてくれる友だちはいないものかぁ」
「……それ、最早友だちの枠じゃねぇだろ」華秀の額にデコピンを放つアキラは、少し思案顔を浮かべる。「まぁ、ヒデって変わってんもんなぁ」
「え! どこが?」
「まずはそれだよな?」
アキラは華秀が食べている食事を指差す――オムライスもこの食堂にある既存の、ケチャップライス、ケチャッププレーンオムライスと違い、ふわふわのオムレツをバターライスの上で割り、掛かっているソースはデミグラスかトマトベースのどちらか。さらに高い肉を使っているらしい厚めのカツレツ。無農薬やら有機栽培やらやらのこだわりの野菜のサラダ。1からコンソメを手作りし、それを使った日替わりスープ。タマゴ小麦粉砂糖から素材にこだわったデザート――量が少なく作られているが、これが華秀の昼食である。
「それ、確か1か月用の食券で、1枚10万くらいしたよな?」
アキラの言う通り、華秀の昼食は1か月使える特別食券を買わなくてはならず、値段は10万。1日に1回使用することができ、大体20回使う。つまり、1日1食5000円ほどの昼食を取っているのである。学生にとってはそんな高いものを買うのは難しい。
「え? あ、ほら! あたしは人形劇で儲けているから――」華秀は演劇委員会に所属しており、人形劇をして生計を立てているのである。「あたしってば売れっ子だから!」
「売れ残りの間違いだろう? ヒデの人形劇っつうと、肉食獣でガウガウしてるイメージしかねぇんだけど」
「誰が売れ残りだ! してるよしてる――」鞄からライオンとトラの、手を中に入れるタイプの片手遣い人形を取り出した。「これこそがぁ――弱! 肉! 強! 食! ガウガゥ!」
「ヒデの人形劇、絶対誰か食われんじゃん」
「え?」素っ頓狂に可愛らしく首を傾げる華秀。「だってサバンナの掟――」
「ヒデはどんな世界に生きてんだよ……」
アキラが心底面倒くさそうに、華秀の頭を叩くと、ジッとテーブルに並んだ食事を見た。
「しっかし、あれだな……ヒデの食事見てっと、この間亡くなった――そう、神林を思い出すな」
「……あ~。うん、大変だったんだっけ?」マヤが携帯端末から顔を上げ、顔を歪めた。「一家心中……だよね? 神林君、すっごく優しかったのに、妹さん2人と自殺しちゃったんだよね」
「………………」
「ずっと言ってたもんな、家は貧乏だけど不満はない。けれど、いつかその昼食を妹たちに食べさせてあげたい。って」
神林 誠――それはここ最近で起きた事件であり、大学入学と妹の中学入学、さらにはもう一人の妹が起こした事故により発生した賠償金。それらで首が回らなくなり、一家心中を選んだ。
――と、学校側からは報告されているが、噂では長女が起こした事故は仕組まれたものであり、金をだまし取られたのではないか。そして、長男が中心になって心中したのではなく、責任を感じた長女が自殺したのではないか。と、陰謀論が実しやかに囁かれていた。
「……神林が死ぬ3日前くらいに話したんだけどさ、そんな困ってたようには見えなかったし、食券がやっと買える。って、嬉しそうに話してたんだけどな」世の中ままならない。と、呟いたアキラは、華秀がスプーンを強く握り、泣きそうな顔でオムライスを口に運んでいたため頭を下げる。「――っと、悪い。別にヒデにそれ食うなって言ってるわけじゃないぜ? 食事中にする話じゃなかったな」
「……ううん」華秀はゆっくりと首を横に振ると、自身の昼食に目を向けた後、そっと目を閉じた。「誠君ね、食券、買ってたよ」
「お? そうなのか……」
「妹さんたちと一緒に食べたのかなぁ」大量のマヨネーズをキュウリに付けて食べるマヤ。
「………………」華秀は何も答えず、ゆっくりとオムライス、カツレツなどを噛みしめた。「――っと、お昼にあんまり暗くなるのは良くないよね! お昼は明るいんだから――がぅがうっ!」
「まっ、そうだな。ほれほれ、ヒデの人形劇で笑かしてくれ」
「あ、土屋ちゃんの人形劇? 突拍子過ぎて面白いよね」
「大自然の感動系なんだけど! もう、しょうがないなぁ――」再度片手遣い人形を取り出した華秀は、ライオンとトラの口を動かし始めた。そして、トラのぬいぐるみをライオンに近づけると――。「ライオンがぅ~~~~っ!」
「あ、やっぱ良いや」
「開始2秒で終演!」
「何でいきなりトラがライオンに襲い掛かんだよ」
アキラは冷ややかな視線を華秀に送っているが、マヤは笑いを堪えているのか、腹を抱えながらプルプル体を震わせていた。
ちなみに、華秀の人形劇ではセリフはほぼなく、ガウガウ言っているだけである。もちろん、社会人や高校生、中学生小学生にも見向きもされないが、児童にはウケが良く、度々幼稚園と保育園に顔を出しているのである。
「汚れちまった大人って、大自然のサバンナに感動出来ないんだよねぇ」
「ヒデは1回サバンナに行ってくるか、感動って言葉を辞書で引いた方が良いぜ?」アキラは華秀のパペットの頭を掴むと、息を吐いた。「ヒデの人形劇は絶望的につまらん。儲ける気ないよなぁ」
「もうちょっとオブラートに包んでくれない!」華秀はパペットが持っている空いた手で、アキラの腕をがぶがぶ。「あたしは面白いと思ってるもん。それに……それなら何が儲けられるか教えてよぉ」
「そうだなぁ――」
「華秀さんのような童顔で可愛いちっちゃな女の子なら、股の下から被食者パペットの顔を出して、食べ頃だよぉガゥガゥ。食物連鎖だよぉガゥガゥってやればたくさん稼げますよ? そして、お客さんには捕食者パペットを配ってですね――」
「下ネタじゃねぇか!」アキラが声のした方に手の甲を向けて手首のスナップを利かせ払った。しかし、すぐに首を傾げ、声の主をまじまじと見つめた。「って――?」
「む、無理だよぉ! そ、そんなので誰がお金払ってくれるって言うのさぁ。それに、それ人形劇関係ないし」
「竹夫人。と、いうものがありましてね? 大丈夫、華秀さんに欲望ぶちまけたいおっきなお子様はたくさんいらっちゃいますから」
「それ! 英語に戻した時、日本で使われるようになった意味じゃないよね!」
「あら? 性別人形と呼ばれた方がお好みでしたか?」
「あたしの人形劇は健全なの! が~ぅ~っ! ――って?」
ふと、華秀はアキラと同じように首を傾げた。最初、華秀とアキラ、マヤの3人で昼食を取っていたのであるが、今聞こえてきた声の主はいきなり現れたのである。しかも、アキラとマヤは初対面なのか、口々に「誰?」と、話していた。
しかし、華秀はその黒髪ロングでスーツ姿の女性に覚えがあるのか、クリクリと大きな目を点にしていた。
「え? あ、え?」
「ヒデ、知り合い?」
女性――中村 転が「ガゥガゥ」と、両手で狐を作りながら華秀の額をつついていた。
「こ、ころちゃん?」
「転(くるり)ですよ」転は華秀の頭を撫でると、そのまま抱きしめた。「お腹が空いて食事の匂いに釣られ――懐かしい声に誘われて来てみれば……華秀さん、ご無沙汰です」
「う、あ――ふぇ」大粒の涙を瞳に携える華秀がぐりぐりと転の胸を頬でこすった。「う~――このパイプ椅子のスポンジの方が柔らかいんじゃないかっていう胸の柔らかさ――紛れもなくころちゃんだイタタタタタタタっ!」
転は「ウフフ」と、微笑みながら華秀の頭を、手に青筋が浮かぶほどの力で握る。
「う~、ころちゃんだ……痛い痛い――えへへ――」
「泣くのか痛がるのか、どっちかにしろよ……」アキラが呆れていた。
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