灯乃府群島画渡島のお仕事委員

筆々

第1章 転の色目使いは成功するか?

「う……う~~~っん!」長い黒髪を携えて、女性は豪華な窓を開け放ち伸びをする。なんと清々しい朝なのだろうか、目の前に広がるのは壮大な青――海を眼前に、潮風が鼻をくすぐるように舞っている。「あ~~~~っ! ひっさしぶりに故郷に帰って来たような気がします……」


 そう、この女性――中村 転(くるり)は僅か3年という期間ではあるが、故郷である画渡島(かくとしま)から出ており、高校3年間を別の場所で過ごしていたのである。

 つまり、転は年齢で言ったら現在大学1年生の18歳なのである。


「あ~~……随分とかったるい時間を過ごしていたような気がします。と、いうか……やっぱり急ですよねぇ」


 急――と、いうのは、今が5月を過ぎた辺りであり、大学受験をしなかった転は母親が管理していたマンションに転がり込み、日々を過ごしていたのである。


 そもそも、転はこの島に戻ってくるつもりはなかったのである。別に、この島が嫌いと言うわけでも、中学時代に嫌なことがあったわけでもないが、出来れば普通の生活をしていたかっただけなのである。


 転の故郷であるここ――画渡島は灯乃府群島(ひのふぐんとう)と呼ばれる大小様々な47ある島からなる群島で、本土とは『色々と勝手が違う』のである。


 故に転は度々、この島は面倒だと口にしており、両親の死を切っ掛けに島を出ることを考え始めていた。そして、中学卒業時に、叔母や母親の友人の協力を得て普通の生活をするために島を出たのである。


 もっとも、転にとっての普通。とは、資産家であった両親の遺産を使い、1週間に1回家を出るだけの生活。であり、ただただぐ~垂れていたいだけのものである。


「しかも……」転がここに呼び戻された理由なのだが、1つは転の母親の妹である叔母に電話で戻って来い。と、言われたこと。もう1つが母親の親友であったこの島唯一の学校――画渡総合教育機関理事長に緊急招集されたからである。「……五月蠅いババたちに呼ばれてしまいましたわ」


 再度伸びをする転――部屋のテレビを付け、着替え始める。

 テレビにはキリっとした女性アナウンサーがニュースを読み上げており、転はシャツのボタンを外しながら横目でそれを眺めていた。


『昨夜、教育委員会所属・画渡総合教育機関中等部に勤めている佐塚 真也が鬼足寄場(きそくよせば)に送られた。と、風紀委員から発表がありました。佐塚容疑者は商売委員に所属する金貸しの、同じく鬼足寄場に送られた進藤容疑者と結託し、不正を働いていた模様――』アナウンサーの話では、その佐塚という男は、進藤に違法な金のやり取りをさせ、教師という立場を使い、どうにかしてやる代わりに家族(特に若い女)を担保に寄越せ。と、迫ったのだという。アナウンサーがこの頃の教師はどうなっているのか。と、憤っていた。


「………………」転は冷めたような視線で画面を見たのだが、すぐにハッとした表情になる。時刻は11時45分――転は今日から学校に行かなくてはならないのである。ちなみに、本日8時40分から臨時朝礼があり、転はそこで自己紹介をするように頼まれていたのである。「……うん、しょうがないですね――今日は寝ましょう!」


 転は着替えの手を止め、布団を持ち上げた。

 しかし、部屋の外からとんでもなく大きく鳴っている足音――。


「お嬢様!」初老の男性が般若のような剣幕で扉を開け放った。中村家に代々仕えている執事の千石(せんごく) 八千雄(やちお)である。「今何時だと思っているのですか! 昨日、私は朝から出かけますが、大丈夫ですか? と、尋ねたではありませんか! それに、律子様はとっくに家を出ましたよ!」


「キャーエッチィ」布団を被りながら転は棒読み。


「お嬢様! どうしてお嬢様はそうだらしがないのですか! 貴方様のお母様とお父様は、それはもう聡明で、人々に好かれ、この中村家の当主として恥ずかしくないお人柄で……この千石 八千雄。この中村家に仕えている責任という物があるのですよ! お嬢様にも立派になって――」


「ええ、ええ――わかりますわかります。私もお母様とお父様が残してくれた莫大なお金でのんびりダラダラ過ごせるわけですからね、感謝してもしきれませんわ――」どうにも反省の色が見えない転。しかし、八千雄の顔が真っ赤になったことで、旗色が悪いことに気が付いたのか、今日着ていく服を手に、ピューっと、風のように部屋から飛び出した。「朝から説教なんて聞いていられませんわ」


 八千雄の「3年前のお嬢様はもっと露骨に猫をかぶっていましたよ!」と、3年前の転は親しくない人の前では猫を被っていた故に、何事も並に終わらせ、拒絶や否定はほとんどしなかったのであるが、高校生活を通し、転は楽をしてのんびり過ごしているのが、自分を最も守れる術だ。と、いうことに気が付いてしまったのである。


 八千雄の声に、転は半目で彼がいる方向を睨むのだが、今出て行っても説教されるだけであり、賢い転は脱衣所で着ている服を脱ぎ散らかすと下着と服を急いで着る。そして、洗濯籠の裏に隠されている靴を手に、風呂の窓から外へ飛び出した。

 1週間前にこの屋敷に戻ってきた転は、こういう時のために家の至る所に靴を隠している。


「――こんなところで捕まるほど、間抜けではありませんよ~だ」男性用のスーツに身を包んだ転は立ち止り、ネクタイをしっかりと締めた後、屋敷の方に舌をベッと出し、ウインクを投げた。そして、屋敷入口の隣にある守衛の人たちに声をかける。「門を開けてください。それと、昨日渡しておいたアレも」


 苦笑いの守衛から、転は刀身が少し太い木刀と脇差を受け取り、そのまま駆け出して行った。

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