(6)スパイ疑惑勃発

「あら……。こんな時間に誰かしら?」

 既に事前の約束無しに他家を訪問するには遅い時間帯であり、義則と友之が顔に警戒の表情を浮かべる中、真由美はいつも通り壁に設置してある操作パネルに歩みより、ボタンを押しながら門の向こうに居る人物に応答した。


「はい。どちら様でしょうか?」

「夜分、恐れ入ります。沙織の父の、一之瀬和洋と申します」

 恐縮気味にモニター越しに頭を下げた和洋を見て、真由美は驚いた声を上げ、義則と友之は無言で顔を見合わせる。


「まあ! 沙織さんのお父様ですか? 今開けますので、どうぞお入りください」

「ありがとうございます。お邪魔します」

「……あなた。友之」

 不審者がわざわざ沙織の父親の名前を名乗るはずもないと、咄嗟に門を解錠した真由美だったが、一応腰を上げて側にやって来た二人に、メモリーに残っている男性の画像を確認して貰った。それを見た二人は、真顔で頷く。


「確かに一之瀬氏だ。私達は彼の顔を知っているから、一緒に出迎えるぞ」

「だが、いきなり夜に押し掛けるなんて、どういう事だ?」

「いらしても沙織さんは寝込んでいるし、どうしましょう」

 三人とも困惑しながら玄関に向かい、玄関の鍵を開けて和洋を招き入れた。


「松原さん。お約束も無しに夜分に押し掛けまして、誠に申し訳ありません」

 玄関に入るなり、自分に向かって深々と頭を下げた和洋を見て、義則は困惑を深めながら事情を説明しようとした。

「一之瀬さん、私どもは構いませんが……。どうかなさいましたか? 沙織さんに、何か急用でしょうか。実は彼女は、今日」

「体調不良で早退して、インフルエンザが陽性反応だったのですよね? それで見舞いに来てみたのです」

 それを聞いた松原家の面々は、驚いて目を見張った。


「既に、ご存知でしたか……」

「それではお茶を差し上げようと思いましたが、沙織さんがご心配でしょうから、まずはお部屋にご案内いたしましょうか?」

「そうしていただければ、ありがたいです。こちらは取り急ぎ持参しました果物です。食べられそうなら、食べさせてやってください」

 立派な果物の盛り合わせ籠を差し出された真由美は、それを笑顔で受け取り、すぐに背後に立っている息子に言い付けた。


「分かりました。友之、あなたは台所にこれを持って行って。それでは一之瀬さん、どうぞお上がりください」

「失礼します」

 そして真由美に先導されて和洋が進み、何となく義則と友之もそれに続いた。


「それでは、沙織さんの部屋はこちらです」

「はぁ……。しかし、あの、これは……」

 さすがに『男性限定立入禁止』のプレートを見た和洋が戸惑った表情になったが、真由美が笑顔で解説する。


「沙織さんは真面目な性格ですから、社長と管理職である夫と息子に自分の病気を感染させないように、完全に回復するまでの入室を拒んでおりまして。それに私も賛同したものですから」

「なるほど。そういう事ですか」

「ですが沙織さんを心配して、わざわざ足を運んでくださったお父様を、夫や息子と一括りにするわけには参りませんわ。だってお父様は“特別”ですもの」

「特別……」

 にこやかに告げられた言葉に、和洋がピクリと反応する。それを見た真由美は、満足げに言葉を重ねた。


「ええ。父親の深い愛情故、わざわざお見舞いに来られたのですもの。ですからお父様だけはお入りになっても、一向に構いませんのよ?」

「重ね重ね、ありがとうございます」

「まあまあ、そんなに畏まらなくても。人として当然の事ですし、沙織さんのお父様なら私達の身内も同然ですわ」

「本当に、貴女のような物の道理を弁えておられる方が、沙織の姑で安堵致しました。これからも娘の事を、宜しくお願いします」

「勿論ですわ。さあ、沙織さんのお顔を見ていってください」

 感激した風情で深々と頭を下げた和洋を真由美は促し、二人はドアを開けて中に入って行った。


「沙織さん、起きている? お父様が心配して、わざわざお見舞いに来てくださったわよ?」

「……え? えぇぇっ!? まだ誰にも連絡していないのに、何でここに居るの!?」

「だって沙織ちゃん! 昔から滅多に寝込む事は無かったし、就職してからも体調不良で早退なんかした事は無かったのに、よほど具合が悪いのかとお父さん心配で心配で!」

 そこでドアが閉められ、中の会話の詳細を聞き取れなくなったが、義則と友之は僅かに顔をしかめながら確認し合った。


「沙織さんは『まだ誰にも連絡していない』と言っていたが、お前は一之瀬氏に連絡したのか?」

「まさか。事故とか入院したと言うならともかく、インフルエンザで一々連絡なんかしないぞ?」

「そうだろうな……。しかも『早退なんかした事無かったのに』とまで言っていると言うことは……」

「明らかに営業部内、最悪うちの課内に一之瀬氏と繋がっている人間がいて、沙織の入社以来、彼女に関する情報を流していたという事だよな?」

 その結論に達した二人は、憂鬱な表情で溜め息を吐いた。


「よほど娘が可愛くて大事らしい……。沙織さんは知っているのか?」

「知っていたら、確実に激怒すると思うぞ?」

「それなら、憶測で物は言わない方が良いだろうな」

「そうするよ」

「しかし万が一、お前が沙織さんを泣かせたりしたら、彼に刺されかねないな」

「縁起でもない冗談は止めてくれ」

「本気で言っているが」

「…………」

 父親から、真顔でろくでもない事を言われてしまった友之は、憮然とした表情でリビングに戻った。

 それから少しして沙織を見舞って満足した和洋は、玄関先で見送りをしようとした三人に、満面の笑みで礼を述べた。


「今回はいきなり押し掛けましたのに、快く招き入れていただき、誠にありがとうございます」

「いえ、沙織さんのお父上なら、当然の事ですから」

 そんな父親同士の会話を、友之は半ば聞き流していたが、ここでいきなり和洋が自分の手を取り、迫力のある笑顔を向けてきた事で一気に警戒度を高めた。


「友之君。君には色々と言いたい事があるし、君も同様だと思ってはいるが、そんな些細な事には拘らず、沙織の事をわざわざ知らせてくれて嬉しいよ」

「え? 俺は別に」

「今後も沙織に何かあったら、どんな些細な事でも今回と同様に知らせてくれるとありがたい」

「……はぁ」

(これはあれか? 俺達と同様に不審に思った沙織に対して、この人は俺が知らせてきたと嘘八百をついたから、その話に合わせろと言う事か?)

 笑顔のままギリギリと自分の手を締め上げてくる和洋の意図を悟った友之は、半ば呆れながら舅の話に乗った。


「ご心配なく。今後も何か変わった事がありましたら、すぐにそちらにお知らせしますので」

「それを聞いて安心したよ。それでは失礼する」

「お気をつけて」

 そして友之に口止めをさせた和洋が足取り軽く帰って行き、玄関を施錠した真由美が振り返りながら息子に苦言を呈する。


「友之、あなた都内のお父さんだけじゃなくて、名古屋のお母さんにまで沙織さんがインフルエンザで早退したと連絡したわけではないでしょうね? 大袈裟だし、過剰に心配をかけるのはどうかと思うわ。沙織さんのお母様はきちんとお仕事をしている方だし、名古屋から出てくるとなったら、一日潰れるでしょうし」

「……いや、さすがにお義母さんの方には、まだ連絡していないから」

「それなら良かったけど……。とにかく友之。今回、『お父さんだけ特別』という事にして、一之瀬さんのご機嫌を取ったんだから、回復するまでこっそり沙織さんの様子を見に行ったりしたら駄目よ? 隠し事は、いつかは必ず露見しますからね。お義父さんの心証を、悪くしたくは無いでしょう?」

「分かった……。言う通りにするよ」

 真顔で言い聞かせてきた母親に、友之は完全に諦めながら頷き、義則は部下のスパイ疑惑まで発生してしまった息子に、憐れみの視線を送った。

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