(13)平常運転の日常

 事実婚後も友之と沙織は職場では通常通り勤務を続け、当初はさすがに緊張した沙織も、金曜には完全に平常心で勤務を終えて帰宅した。


「お義母さん。今夜のご飯も、とても美味しいです」

「ありがとう。そう言って貰えると作り甲斐があるし、嬉しいわ」

「本当に……、友之さんと結婚して良かった……。家に帰ると何もしなくても、温かくて美味しいご飯が待ってるなんて……。働き始めて、今が一番充実しているかも」

「そうなの? それは良かったわ」

 一家全員が顔を揃えた夕食の席で、沙織が実にしみじみとした口調で語る内容に、真由美はおかしそうに笑いながら応じ、友之は軽く俯きながらボソッと呟く。


「……俺は母さんの添え物か」

「拗ねるな、友之」

 妻同様、笑いを堪えながら息子を宥めてから、義則は視線を沙織に向けた。


「そう言えば沙織さん。結婚してから最初の週が終わったが、職場では何か困った事や、心配になった事は無かったのかな?」

 この間、何も言っていなかったので大丈夫だろうがと思いながら問いかけた義則だったが、予想通り沙織は冷静に返してきた。


「そう言った事は、特にありませんでした。今のところ友之さんとの関係は、誰にも気付かれていない筈ですし」

「それなら良いんだがな」

 それで二人の会話が終わったと判断した真由美が、笑顔で沙織に提案してきた。


「沙織さん。例のお菓子作りの件だけど、早速、明日か明後日の午後にやってみる? 仕事の疲れが溜まっているなら、来週以降でも構わないけど」

 それに沙織が笑顔で頷く。


「今週は外回りは少なかったですし、出張も無かったので大して疲れていませんから。大丈夫ですよ?」

「良かった。じゃあアップルパイでも作ろうかと思っていたの」

「是非、お願いします」

 そんな風に笑顔で会話している彼女達を、義則は勿論友之も、微笑ましく見守ったいた。


「うふふ……。明日は沙織さんと一緒に、お菓子作りよ」

 夕食を食べ終えると、友之と沙織が部屋へと引き上げた為、真由美と義則はリビングへと移動してお茶を飲んでいた。そして向かい側に座って嬉しそうに予定を口にしている妻を見て、義則がおかしそうに笑う。


「随分とご機嫌だな」

「ええ。だって嬉しいし、楽しみだもの」

「それは良かったな。しかし今後、どうしたものかな……」

「あなた?」

 急に真顔で考え込み始めた夫に、真由美が訝しげに尋ねる。それを受けて義則が、懸念事項を口にした。


「その……、取り敢えず本人達が納得しているのだから、事実婚もそれを周囲に公表しない事も、周りがどうこう言う筋合いは無いんだが……。やはり、後々の事を考えるとな」

「それは確かにそうだけど……」

「とはいえ『社長が身内の為に、人事に関わりかねない話を持ち出した』という形になると、さすがに公私混同と言われかねない。別に、職場結婚自体を禁じているわけでは無いしな……。結婚前にも友之達と少し議論した事だが、そこら辺を少し本気で考えてみようと思う」

「お願いね、あなた」

「ああ」

 真剣な顔つきで述べた義則を真由美は頼もしく見やり、その視線を受けた彼は少々照れ臭そうに頷いて応じた。



「沙織、入って良いか?」

「良いですよ?」

 入浴も済ませ、パジャマ姿でベッドで寛いでいた沙織は、ドアをノックする音と呼びかける声に、すぐに了承の返事をした。しかし友之がドアを開けて入ってくるまでに、若干のタイムロスが生じた為、不思議に思いながら尋ねる。


「何をごそごそやっていたんですか?」

「ドアのプレートを『在室中』から『立入禁止』に変えてきた」

 それを聞いた沙織は、思わずベッドに突っ伏して呻いた。


「本当に……、先週あの話を聞いた時には、半分位はからかうネタか冗談だと思っていたのに……。お義母さんから現物を見せられた時には、ちょっと現実逃避したくなりました」

 それを聞いた友之は、ベッドに腰を下ろしながら同意しつつ謝る。


「俺も全く同じ心境だった。すまない。本当に、母さんには悪気は無いんだ」

「それは分かっていますから、本当にもう良いです」

「さて、それじゃあプレートを有効活用するべく、夫婦らしい時間を過ごすとするか」

「あ、ちょっと待ってください。忘れないうちに、タイマーをセットしておかないと」

 そこで沙織に向き直った友之だったが、ここで彼女は素早く跳ね起きて、枕元のアラームに手を伸ばした。それを見た友之が、些か不満そうに問いかける。


「明日は休みだし、特に出かける予定も無いだろう? どうしてタイマーをセットす必要があるんだ?」

「平日は毎日、朝も夕も食事の支度をして貰っているので、休みの日位、朝食の支度を任せて欲しいと、お義母さんに言ってあるんです」

「……まあ確かに、それ位はな」

 軽く頷き、傍目には同意を示した友之だったが、そのアラームに向けられた視線には良い悪戯を思い付いたという子供のような光が混ざっていた。

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