(5)第2ラウンド

「沙織からのお誘いだから、今日は朝から落ち着かなくて顔が緩んでいてな! 秘書に一日中、変な顔をされてしまったよ!」

「……そうなの。秘書さんに、変な気を遣わせてしまったかもね」

 某所で待ち合わせをしてから二人で料亭の門をくぐった時点では、和洋の機嫌は最高潮だった。そんな父親の姿を見て後ろめたさ全開の沙織は、微妙に彼から視線を逸らしながら、小さく相槌を打つ。


「今日の支払いは俺がするから! 好きなだけ飲んで、食べて良いからな!」

「今日は一応こちらから呼び出したし、私達が支払いをするから」

「そんな遠慮なんかしなくて良いんだぞ? 太っ腹なお父さんに、ドーンと任せなさい!」

「……それどころじゃ無くなりそうだけど」

 料亭に入り、担当の中居に先導されて廊下を進んでからも、和洋のテンションは上がる一方だった。そこでさり気なく沙織が自分達以外の参加者について言及してみたものの、あっさりスルーされて思わず溜め息を吐く。


「うん? 沙織、今何か言ったか?」

「できれば今日は最後まで、気持ち良く飲んで食べて欲しいなと思って」

「勿論、楽しく飲んで食べるぞ? 沙織と一緒なんだからな!」

「どう考えても無理よね……」

 同席する人物について正直に告げた場合、出向いて来ない可能性も考えられた為、和洋には秘密にしていたが、沙織は早くもその事を後悔し始めていた。


「こちらでございます」

 そこで押さえてある個室に到着し、出入り口を指し示した中居に、沙織は頷いて声をかけた。


「ご苦労様です。すぐにお酒と料理を運んで貰えますか?」

「はい、お連れ様からもそう伺っておりますので、お客様のご到着と同時に準備させております」

「連れ?」

「さあ、和洋さん、入って入って!」

「あ、ああ……」

 笑顔で頷いた中居が静かに襖を開けるのを見ながら、和洋が怪訝な顔になったが、そんな彼の背中を押しながら沙織が一緒に室内に入る。そこで予想外の人物の姿を認めた和洋は、一気に顔付きを険しくした。


「お久しぶりです、一之瀬さん」

「やあ、親父。五時間ぶり」

「……どうしてお前達がここに居る」

 大きな座卓越しに、向かい合って座っている友之と豊から声をかけられた和洋は、二人に凄んでみせた。それで否応なく緊張を増幅させた友之に代わり、豊が疲れたように父親と妹を促す。


「取り敢えず店に迷惑だから、喚き散らさずに座れよ。沙織、お前もだ」

「そうね」

「…………」

 そして友之の隣に沙織が、豊の隣に和洋が座ると同時に、先程とは別の中居達がやって来て、手際良く酒や料理の皿を座卓に並べ始める。その間、四人は無言を貫いていたが、彼女達が一礼して部屋を出て行ってから、豊が手酌で酒をグラスに注ぎながら告げた。


「それじゃあ、ひとまず乾杯といくか」

「止めろ。とにかく、この茶番の説明をして貰うぞ」

「それでは、若い俺達の明るい未来に、カンパ~イ」

「豊! 俺を無視するな!」

 恫喝した父親を丸無視しながら明るい表情で乾杯の動作をし、さっさと一人で飲み始めた豊を見て、場を和ませる為か単に面白がっているだけか、咄嗟に判別できなかった友之は、息子に食ってかかっている和洋を横目で見ながら沙織に囁いた。


「……お兄さん、結構いい性格をしているんだな」

「そうですね。『性格がいい』のと『いい性格をしている』では、かなりニュアンスが違う事は確かですね」

 早くも頭痛を覚え始めた沙織だったが、ここで真顔になった豊が軌道修正を図った。


「それじゃあ、ふざけるのはここまでにして、真面目な話に移ろうか。今日はそっちの二人から親父に報告があるから、この場を設けたんだ」

「報告だと?」

「はい」

 親の敵を見るかのように睨まれた友之だったが、全く動じずに相手を見返しながら、徐に話し出した。


「一之瀬さん、本日はお出でいただきありがとうございます。この度、私と沙織は結婚する事になりましたので、一之瀬さんにもそのご報告を」

「結婚だと!? 貴様と沙織が? ふざけるな!! セクハラパワハラ野郎との結婚なんぞ、誰が許すか!」

 友之の口上を遮りながら和洋が激高して座卓を拳で叩いた為、沙織が冷静に口を挟んだ。


「和洋さん、まだ友之さんの話が終わって無いんだけど」

「だが沙織!」

「それに、許すも許さないも無いわよね? 何を喚いているのよ。営業妨害よ?」

「……え?」

「だって私はれっきとした成人だから、結婚するのに親の同意なんか必要無いし、そもそも和洋さんとは親子でも無いし。でも友之さんが『お母さんには話をして、和洋さんに挨拶しないと言うのはどうだろうか』って気にしているから、わざわざ時間を取ったんだけど」

「…………」

 僅かに顔を顰めながら沙織が淡々と告げると、それを聞いた和洋の顔から表情が抜け落ち、豊と友之は彼女の容赦の無さに揃って頭を抱えた。


「うわ……、ちょっと待て沙織」

「幾ら本当の事でも、そこまでストレートに言わなくとも……」

 そこで無言で蒼白になっていた和洋は、何やら振り絞るように声を出した。


「………さっ」

「さ? 何?」

 首を傾げながら不思議そうに問い返した沙織の視線の先で、和洋がいきなり号泣した。


「ざっ、ざおりぢゃあぁぁ~ん! ひどいよおぅ~っ! おとうざん、ないぢうよぉお~っ!」

「……もう泣いてるし」

 うんざりしながら沙織が溜め息を吐き、さすがに放置できなかった友之と豊が声をかける。


「あの、お父さん? 少し落ち着いてください」

「沙織。親父は対外的にはともかく、家族に対しては精神的に脆いんだから、あまりストレートに口にするな」

「そうね。よくよく考えてみれば、戸籍謄本になら父親の名前は載って……。あれ? そこら辺、どうだったかな? 豊、覚えてる?」

「ふおぉうお~っ!」

 そこで沙織は本気で首を傾げて考え込み、そんな娘の反応を見た和洋は、座卓に突っ伏して更に泣き叫んだ。そんな状況下、豊は横から手を伸ばして倒したりひっくり返しそうな食器を父親から離しながら、妹に呆れ顔を向ける。


「沙織……。お前、それでフォローしたつもりなのか?」

「だってずっと離れて暮らしていたのに、父親面で人の結婚相手にケチをつけるのはどうかと思うわ。私の判断まで貶しているのと同じ事よね?」

「うぉおぉ~ん!」

「それは確かにそうだが……」

 ここで渋面になった豊に代わって、友之がやんわりと言い聞かせる。


「沙織。まだ結婚の報告だけだが、詳細を聞いたらふざけるなと罵倒されても仕方が無い訳だから、お父さんにあまりきつい言い方をしないでくれ」

「そう言われても……」

「ちょと待て。聞き捨てならん。『罵倒されても仕方がない』だと? どういう事だ? 貴様、俺の娘に何をした?」

(気持ちの切り替えが早いな。さすがは沙織の父親。しかも威圧感が半端じゃないぞ)

 自分の台詞を耳にした途端、瞬時に泣き止んで怨念の籠もった眼で睨み付けてきた和洋を見て、友之は思わず感心してしまった。そこで気合いを入れ直し、話の口火を切る。


「私達の結婚ですが、通常の入籍の形は取らず、事実婚の形になります」

「はぁ? 事実婚だと?」

「はい。それで既に私の両親には了承を得ておりますが、沙織のご親族にもご説明しておくべきかと思いまして」

「何をふざけた事を抜かす!! 冗談じゃないぞ! 俺の娘とまともに結婚しないと言う気か!?」

「いえ、ですから」

 般若の形相で座卓を叩きながら中腰になった和洋に対して、友之が話を続けようとしたが、ここで豊が厳しい口調で父親を制した。


「親父、黙れ。そしてきちんと座れ」

「黙るのはお前の方だ、豊!」

「キレるのは勝手だがな。沙織は母さんに説明しておけば良いだろうと言っていたのを、松原さんがやはり父親である親父にも話をしておくべきだろうと判断して、わざわざこの場を設けたんだぞ? その上で彼の話を聞かないとかほざくなら、今後一切親父が親族付き合いするつもりが無いと先方に判断されるが、本当にそれでも良いのか?」

「……っ!」

 口調は穏やかながらも眼光鋭く睨み付けられた和洋は、呆れ顔の沙織と困惑顔の友之を見て、悔しそうに歯軋りした。しかしここで喚いても何の徳にもならないと判断できた彼は、仏頂面で元通り腰を下ろす。それを確認した豊は安堵の表情になりながら、友之に向かって軽く頭を下げた。


「父がお騒がせしました。始めてください」

「それでは説明させていただきます」

 仕切り直してくれた豊に改めて感謝しながら、友之は落ち着き払って自分達の状況についての説明を始めた。

 そして一通り話して友之が口を閉ざしたタイミングで、それまで顔をしかめながらも黙って耳を傾けていた和洋が、面白くなさそうに言い出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る