(28)不穏なバレンタイン
寒くなってからも、どこで寒さをしのいでいるのか未だに分からないジョニーは、時折フラッと沙織のマンションを訪れていた。
「ジョニー様! いらっしゃいませ! 寒いですので、どうぞお早く中に」
「なぁ~ご」
ベランダから聞こえた鳴き声に、沙織が掃き出し窓に駆け寄ってカーテンと窓を開けると、まるで「邪魔するぞ」とでも言わんばかりに一声鳴いた彼は、悠々と室内に足を踏み入れた。
「さあ、どうぞ。しかし本当にジョニー様は、ミステリアスな猫ですよね」
がっつく事無く、艶やかな毛並みのまま優雅に食べている彼を見下ろしながら、沙織は何気なく今ここには居ない、自分の事を大型犬呼ばわりした人物の事を思い出した。
「そう言えば最近、ジョニー様に負けず劣らず育ちが良い大型犬も、偶にここに顔を出すようになったんですよ? でも初対面の時以降、二人が鉢合わせした事は無いんですよね」
「にゅあ~ん?」
そう言ってクスクス笑った沙織を、ジョニーが食べるのを止めて不思議そうに見上げる。しかし彼はすぐに食べるのを再開し、沙織はその様子を眺めながら真顔で考え込んだ。
「よくよく考えてみたら、年が明けてからはここに二回しか来てないかな? 今月に入ってからは、なんだか忙しそうにしていて、一緒にご飯も食べていないんだけど……」
そして頭の中で日付を確認してから、沙織は真顔でジョニーに問いかける。
「ジョニー様。私、早くも飽きられたんでしょうか?」
「にゃ~う?」
そこでタイミング良く顔を上げたジョニーが、更に首を傾げてみせた為、沙織は思わず笑ってしまった。
「こんな事を言っても、分かりませんよね? 失礼しました。でもこの状況でチョコを用意して良いものかどうか、正直迷っているんですよ……」
「な~ぅ」
そんな事を苦笑しながら口にした沙織をジョニーは再度不思議そうに見上げ、出されたキャットフードを綺麗に平らげてから、アドバイスなど当然する事も無く、悠然とマンションを後にした。
「おはよう、沙織!」
「おはよう、由良」
出社途中で前方に沙織を発見した由良が、足早に追いかけて挨拶した直後、彼女がいつもの鞄の他に紙袋を提げているのを認めて、小さく苦笑いした。
「今年も早々と預かったのね」
中身は見えなかったものの、半ば断定するように告げると、沙織が真顔で頷く。
「そうなのよ。改札を抜けてから、すぐに呼び止められて。今日一日は社内移動時も、紙袋は必須よね」
「毎年ご苦労様。それじゃあ、私のも宜しく」
毎年バレンタインデーに、友之へのチョコの受付係となっている沙織は、それを慣れた手付きで受け取って紙袋に入れた。
「確かに預かったわ。だけど本当に、課長に直接ぶち当たる人っていないわよね」
「松原課長の業務の妨げにならないように、愛でる会の通達が社内隅々にまで徹底されて、慣例化しているもの。これは何と言っても、初代会長の衣川さんの功績だと思うけど」
そこで既に結婚退職して久しい女性の事を思い出した沙織は、しみじみと感想を述べた。
「……うん、威圧感バリバリの人だったよね。並の重役より迫力有ったわ」
「沙織にそこまで言われる位、本当に凄かったわね。じゃあ職場で義理チョコを配る準備があるから、先に行くわ」
「うん、それじゃあね」
そして笑顔で手を振って由良と別れた沙織だったが、すぐに小さく溜め息を吐いた。
「例年、窓口になっている上に、お裾分けまで貰っている私が、今更どんな顔をして渡せと……」
鞄の中に入れてきた物の事を考えて、再度溜め息を吐いた沙織だったが、ここで「関本さん、おはようございます!」と声をかけられた為、笑顔で声のした方に向き直った。
結局、出社するまでに五個のチョコを預かった沙織は、かなり微妙な心境で職場に足を踏み入れた。
「おはようございます」
そんな沙織が、いつもの鞄の他に紙袋を持参している事に目ざとく気付いた者達が、おかしそうに声をかけてくる。
「おう、おはよう」
「関本、今年も早速、出勤途中で貰って来たのか?」
「はい。もう恒例行事ですから」
そのまままっすぐ課長席に向かった沙織は、既に席に着いていた友之に挨拶した。
「課長、おはようございます」
「ああ、おはよう」
「今年も複数の方から、バレンタインのチョコをお預かりして来ました。例年通り、きちんと所属先と名前を記入したカードを付けてあるのを確認してあります」
そう言って沙織が差し出した紙袋を、友之は僅かに動揺した様子を見せながらも、素直に受け取った。
「……分かった。確認してから、皆に食べて貰う」
それ以上余計な事は言わずに席に戻った沙織だったが、仕事の準備をしながら友之の顔を盗み見して考え込んだ。
(貰った人全員を把握した上で、ホワイトデーにきちんとお返ししてるんだから、本当にまめだよね。変な物が入らないように手作り厳禁とか、課長がお返しの時に困らないようにカード添付とか、衣川さん主導で進めたらしいけど)
そして、他の人間からのチョコと一緒に渡して良いものかと悩んだ挙げ句、まだ鞄に入れっぱなしになっている自分のチョコを思い出した沙織は、無意識に困った顔になった。
(一応付き合ってる身としては、他の女性からチョコを貰うのは、控えて貰うように言うべきかしら? でも付き合い自体、秘密にしているわけだしね……。あれ?)
そこでスマホが静かに震えてメールが届いた事を伝えて来た為、それをポケットから出して確認した彼女は、反射的に友之に顔を向けた。
(随分、急な話……。それに面白がってわざと関係無い書類に挟み込んできたり、即刻削除必須の暗号じみた社内メールとかじゃなくて、勤務時間中にまともなスマホへの連絡って珍しい……)
いつもとは違う連絡方法に、一瞬何事かと思った沙織だったが、すぐに気持ちを切り替えた。
(うん、まあいいか。それならチョコは、夜に渡せば良いしね)
そう自分自身に言い聞かせた彼女は、不穏な物を感じながらも、それを押さえ込みながらその日の仕事に取りかかった。
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