(3)予想外の訪問者

 二十八歳の誕生日を、二日後に控えた昼下がり。沙織は前日急遽連絡を貰った相手と、社屋ビルのエントランスで顔を合わせていた。


「悪いな、沙織。仕事中なのに、時間を合わせて出て来て貰って」

「時間を調整して昼休み中だから、それは構わないんだけど……、急にどうしたの?」

 相手の平身低頭っぷりに沙織が首を傾げると、一之瀬豊は大きなスーツケースの上に乗せていた、機内持ち込み用の鞄から、小さめの紙袋を取り出した。


「誕生日が明後日だろう? だからその日に会いに来るつもりだったんだが、社長の横槍が入ってな。プレゼントを届けに来たんだ」

「和洋さんが? それに横槍って何事よ?」

 ブランド名がプリントされているその紙袋を受け取りながら沙織が瞬きすると、豊が深々と溜め息を吐く。

「昨日急に出張が決まって、今日と言うか、今から飛行機で札幌に行くんだ」

 それを聞いた沙織は、完全に呆れ顔になった。


「あの人は、一体何をやってるの……。だけど、豊も豊よ。私への誕生日プレゼントはともかく、柚希さんにこれ以上のプレゼントを、ちゃんと贈ってるんでしょうね?」

「それは大丈夫だから、心配するな」

 自信満々に言い切られて、沙織の溜め息は益々深くなった。


「なんだかねぇ……。変に嫉妬されたく無いんだから、本当に勘弁してよ。大体、宅配便で送れば良い物を、どうしてわざわざ職場まで持って来るわけ?」

「当日渡せないんだから、尚更、直に渡さないと駄目じゃないか」

「本当に、訳が分からないから……」

 段々うんざりしてきた沙織に向かって、ここで豊が勢い良く頭を下げる。


「それに例の件、マジで頼む! あちこち目上の人に頼んで、それとなく意見して貰ってみたが、本人がどうしても聞く耳を持たなくて。もう本当にお前しか、頼れる人間がいないんだ!!」

 その本気ぶりをみて、(どう考えても、これは賄賂含みなわけね)と紙袋を見下ろしながら納得した沙織は、仕方がないかと納得しながら声をかけた。


「やっぱり、そっちが本題なわけか……。もう本当に、仕方が無いわね。近いうちに私から電話して頼んでみるか、直接会いに行くわ」

「やってくれるか!? すまん、恩に着るぞ、沙織! 柚希も今度手料理をご馳走したいって言ってるから、今度来い! いつでも大歓迎だからな!」

「はいはい。首尾良く問題を片付けたら、その戦果を手土産替わりに、新居にお邪魔させて貰うって言っておいて。まあ、これからも色々あると思うし、頑張ってね」

「おう! それじゃあな! 宜しく頼む!」

 無理難題を引き受けて貰った豊は、感極まって沙織に抱きつき、彼女も苦笑しながら背中を叩きつつ激励してあげた。その後すぐに豊は身体を離し、手を振りながら上機嫌に去って行く。


(はぁ……、全く面倒な。だけど仕方がないか。でも、豊が本当に結婚するとはね。私以上にドライだった筈なのに……。柚希さんって、どんな猛者なんだろう?)

 色々あって、生涯独身主義を公言していた彼にそれを撤回させた女性について、沙織はそのまま考え込んでいたが、実はその少し前から、その光景の一部始終を眺めていた人間がいた。


「あれ? あそこに居るのは関本ですよね?」

 外出先から帰社した所で、少し離れた所で見かけない男性と立ち話している沙織を見かけた汐見は、同行していた上司に話しかけた。対する友之も反射的に足を止めて、二人を眺める。


「そうだな。来客か?」

「でも、商談では無いですよね……。何なんだろう? あのスーツケース。あ、何か渡してますけど」

「おい、プライベートだろう? そんなにじろじろ見るものじゃ無いぞ?」

「あれ? 何か抱きついてますけど」

「…………」

「へぇ? 関本にしては、ああいう笑い方って珍しいな」

「…………」

 汐見は独り言を呟きながら意外そうに観察していたが、その間友之は面白く無さそうに無言を保った。そうこうしているうちに、豊を見送った沙織が職場に戻ろうとして歩き出し、二人に気付いて歩み寄りながら頭を下げてくる。


「お疲れ様です。東和プラクターとの商談はどうでしたか?」

「俺達二人で逃すとでも?」

「ですよね~」

 沙織と汐見がカラカラと笑いながら歩き出し、自然に友之も足を進めた。すると汐見がさり気なく話を切り出す。


「ところでお前、例のストーカー野郎の騒ぎの時、『今付き合ってる男は居ない』とか言っていたが、実はさっきの男と付き合ってたのか? なかなかのイケメンじゃないか。隅に置けない奴」

 からかう気満々で尋ねた汐見だったが、沙織はキョトンとした顔付きで言い返した。


「はい? 豊とは付き合ってませんし、あの人、れっきとした既婚者ですよ?」

「…………」

 親しげにあっさりと名前呼びしている沙織を見て、友之は無意識に眉間にシワを寄せたが、汐見は上司のそんな様子には気が付かないまま質問を続けた。


「だってそれをさっき貰ってたし、人前でハグしてただろ?」

「別に、こちらから要求したわけではありませんし……。まあ、子供の頃からの長い付き合いですし、あれ位のスキンシップは。それに毎回、どうしても貰って欲しいと言われるもので。可愛いって罪ですね」

「…………」

 大真面目にそんな事を言われた男二人は黙り込み、沙織と共にやってきたエレベーターに乗り込んだ。そして中に三人だけなのを幸い、渋面になりながら汐見が言い出す。


「……おい、関本」

「はい、何ですか?」

「無表情で『可愛い』とか言われても、リアクションに困る。遠慮無く言わせて貰えば、今のお前は全然可愛くないぞ?」

「それはそうです。ここはもう、ビジネスエリアですから。公私混同はしない主義です」

「なんだかなぁ……」

 呆れ顔で汐見が呟いたところで、沙織も手にしていた紙袋を軽く持ち上げて独り言を漏らした。


「ところでこれ、売ったら幾らになるかな……。アクセサリーって、本当に気に入った物じゃないと付ける気しないんだよね……。このブランド、全体的にデザインが派手だし」

 それを聞いた汐見が、盛大に噛み付く。


「お前、本当に可愛くないよな!? くれた男に失礼だろうが!」

「だから面と向かっては、こんな事言ってませんよ! 幾ら何でも『親しき仲にも礼儀あり』って言葉は知ってますし!」

「そもそもお前と親しくなる男って、自虐癖でもあるんじゃないのか!?」

「何ですかそれは! 失礼じゃないですか! 課長、何とか言って下さい!」

「そうですよ、課長! こんな男心を解さない奴に、ガツンと一言!」

「……五月蝿い、二人とも今すぐ黙れ。フロアに着いたぞ」

「…………」

 明らかに怒りを内包させた声で訴えをぶった切られた二人は、おとなしく友之の後に続いてエレベーターを降りた。そして自分の席に戻った友之は、早速黙々と仕事をし始めたが、内心では向かっ腹を立てていた。


(ブランド物に目もくれないのは予想通りだったが、あんなに気安くハグさせたり、プレゼントを貢がせる男がいたのか。あいつの感覚は、一体どうなってるんだ?)

 密かにそんな事を考えながら、それでも滞らせずに仕事をこなしていた友之は、「何か課長、機嫌悪くないか?」と部下達に囁かれながら、その日の勤務を終えた。

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