(17)裏事情

 休み明けの昼休み、社屋ビル近くの定食屋で《愛でる会》の面々と顔を合わせた沙織は、椅子に座って日替わり定食を注文するなり、隣の席の由良に向かって声をかけた。


「今日は由良が食いつきそうな、課長ネタを仕入れて来たんだけど」

「何? 教えて?」

「課長が高級スーツを着ている理由。入社直後から二年目までは、そうじゃなかったのよ?」

「え? そうだったの? それは初耳! どうして?」

 嬉々として食い付いてきた由良とは対照的に、向かい側に座っていた玲奈は微妙な顔になったが、そのまま無言を貫いた。それを横目で見て何となく気になったものの、沙織は日曜に耳にした友之のスーツにまつわる話を、由良に語って聞かせた。


「……と言うわけで、課長はそういう信念の下に、ああいうスタイルを貫いているわけ」

「そうなんだ~。それは知らなかったわ~。さすが松原課長よね!」

 沙織が語り終えると、由良は想像通り惚れ惚れした表情になって感想を述べたが、ここで玲奈が少々言い難そうに口を開いた。


「関本さん。せっかく教えてくれたんだけど、その話……、私は聞いて知ってたわ。そして実は、それには裏話があるのよ……」

「え?」

「裏話?」

「私が直接見聞きした訳じゃなくて、かつて《愛でる会》に在籍していた、坂本さんから聞いた話なんだけど」

 玲奈がそう断りを入れると、揃ってきょとんとしていた沙織達は、記憶を探って素直に頷いた。


「ああ、はい。坂本さんですね?」

「確か結婚退職したのが、三年前でしたか?」

「そう、その坂本さん。当時、貴島課長が何かにつけて松原課長に絡んでいた理由の一つは、彼が木曽さんの事が好きだったからなの」

「はい?」

「え?」

 いきなり言われた内容に頭が付いていけず、沙織と由良は揃って固まった。そんな二人を見て溜め息を吐いてから、玲奈が話を続ける。 


「松原課長の翌年に、木曽さんが入社したでしょう? でもその直後から彼女は松原課長一直線だったし、同じ職場に居たんだもの。貴島課長だって、それは分かっていたわよね。……松原課長は仕事の事だけで手一杯で、全然分かって無かったと思うけど。今でも貴島課長が木曽さんに一目惚れしてたなんて、気付いて無いんじゃないかしら?」

 しみじみと告げられた内容を聞いて、由良が思わず声を上げた。


「うわぁ……、それって所謂三角関係……、じゃなくて、三竦みって奴ですか?」

「由良、それ違う。三竦みだったら、課長が貴島課長に惚れてないといけなくなる」

「二人とも、そもそも三竦みの意味が違うでしょう? 別に苦手にしてないから。一方的に好意を寄せているだけで」

「そうですね」

「失礼しました」

 呆れ気味に玲奈が口を挟んだ所で、店員が沙織の注文品が持って来た為、話は一時中断した。そして店員が去ってから仕切り直しとばかりに、沙織が根本的な疑問を口にする。


「でも木曽さんは、貴島課長の気持ちに気が付いて無かったんですか?」

 その問いに、玲奈は顔を顰めながら答えた。


「だって彼女は入社以来、松原課長一直線だし……。教えたって、どうなる物でも無いじゃない。貴島課長は貴島課長で、振られるのが分かっているから、知る限りでは告白なんかもしていなかったし」

「それで? 陰で課長に嫉妬した挙げ句、筋違いの八つ当たりをしていたわけですか? 貴島課長って、本当にちっさい男ですよねっ!!」

 友之から話を聞いた時に、彼の従姉が口にしたと言う台詞から引用して盛大に罵った沙織だったが、さすがに不憫に思った由良が貴島を庇った。


「それは私も同感だけどさ……。男って結構繊細な生き物だし、そこら辺を少しは配慮して」

「配慮? チキンなんかに配慮が要るか!」

「松原課長、こんな部下を持って、日々神経をすり減らしていそう……」

「何ですって!?」

「二人とも、お店に迷惑だから騒ぐのは止めましょうね? それにこれ以上、貴島課長が松原課長を敵視する事は無いと思うわ」

 再度溜め息を吐いてから宥めて来た玲奈に、二人は思わず顔を見合わせてから尋ねた。


「富岡さん?」

「どうしてそんな事が分かるんですか?」

「木曽さんが先週、『これから婚活する』って言ってたのよ」

「はぁ?」

「婚活?」

 いきなり脈絡の無い事を言われて、本気で戸惑っている二人に、玲奈が困り顔になりながら事情を説明した。


「木曽さんは、一人娘なの。それで実家の両親が、浮いた噂一つ無い娘の将来を心配して、地元の人との見合い話を準備したってわけ。『結婚して仕事を辞めて、帰って来い』って事ね」

「ご両親の気持ちは、分からないでも無いですが……」

「そんなあっさり、仕事を辞める話になるのはどうかと……」

 無意識に渋面になった二人に、玲奈が言い聞かせるように説明を続ける。


「それで木曽さんが、結構真剣に将来を考えたみたいなの。彼女、結婚願望自体はあるのよ? でも真面目に仕事に打ち込んでいたし、松原課長に憧れていたから後回しになっていただけで。だからこの機会に松原課長の事はすっぱり諦めて、勤務を続けながら真面目に婚活に取り組む事にしたそうよ。だから今後、木曽さんが松原課長に目を向けなくなったら、貴島課長だって松原課長を敵視する理由が無くなるじゃない?」

「そうでしたか……。一方的に見合いを押し付けられたと言うならともかく、本人に結婚する気があるのなら、婚活に付いてどうこう言うわけにはいきませんね」

「それはそうよね……。本人が納得しているんだったら、それに越した事はないかも」

 口では納得はしつつも、微妙な顔で考え込んだ由良の隣で、沙織も「う~ん」と小さく唸りながら、何事かを考え込んでいた。それを見た由良が、思わず声をかける。


「ちょっと。難しい顔で、何を考え込んでるの?」

「おせっかい極まりないと思うけど、木曽さんにはこれまで色々、社内の勘違い女性達から庇って貰った恩があるし、この際事態をすっきりさせつつ、婚活に協力しようかなと思って」

「はぁ? いきなり何を言い出すの?」

「そうなると、できれば再生エネルギー事業部に伝手が欲しいなぁ……。できれば、貴島課長の営業推進課であればベストなんだけど……」

 そこで二人の会話を見守っていた玲奈が、何気無く会話に割り込んだ。


「関本さん、確か田崎さんが今付き合っている人って、そこの所属だったと思うけど?」

「本当ですか? ラッキー! 田崎さんが《愛でる会》を抜けてから何となく疎遠になってましたけど、早速連絡を取って協力をお願いしてみよう!」

 途端に目を輝かせて声を上げた沙織を見て、由良は嫌な予感を覚えた。


「一体、何をする気? 松原課長に迷惑はかけないでよ?」

「大丈夫、大した迷惑じゃないから。課長だったら絶対、笑って許してくれるわよ」

「やっぱり迷惑をかける事前提じゃないの!? あんた本当に何する気!?」

「あ、それから、あんたには幹事をお願いしたい」

「他人の話を聞かんか!?」

 そんなどこまでもマイペースな沙織と本気で怒り出した由良を見ながら、玲奈は一人テーブルの向かい側で、笑いを堪えていた。

 そしてその日の夜、沙織は早速、明里に電話をかけた。  


「木曽さん、夜分すみません、関本です。今お時間大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫よ。あなたから電話なんて、珍しいわね。どうかしたの?」

「富岡さんから、木曽さんが婚活を始めるつもりだと、お伺いしまして」

 沙織がそう尋ねると、電話越しに笑いを含んだ声が返って来る。


「そうなの。別に隠す事では無いと思って、口止めとかはしなかったんだけど、おかしいかしら?」

「いえ、まさか冷やかしたり文句を言う為に、電話したわけではありません。木曽さん、この際すっきりした気持ちで、婚活に取り組みたいと思いませんか?」

「関本さん?」

「木曽さんが入社以来、ずっと松原課長が好きだった事も、課長が社内の人間は対象外だと公言していた為、これまで積極的なアプローチをしていなかった事も、良く知っています」

 それを聞いた明里は、小さく溜め息を吐いてから、幾分沈んだ口調で返してきた。


「本当に、意気地無しよね……。仕事の時には後輩達に、偉そうな事を言ってるくせに」

「そんな事はありません。松原課長と顔を合わせる度に、相手に気まずい思いをさせたくないという、配慮からじゃ無いですか。誰も木曽さんの事を笑いませんし、私も笑わせません」

「ありがとう、関本さん」

「それでこれまでの木曽さんの姿勢は尊重するべきものですが、やはり最後に松原課長に告白して、有終の美を飾りませんか? そうしないと本当の意味で、新しい一歩が踏み出せないんじゃないかと思うんです」

 それを聞いた明里は、沙織が言わんとする事を正確に察した。


「……この際、きっぱり振られろと?」

「振られるとは限らないと思いますが」

 大真面目に告げた沙織だったが、明里は苦笑いで答えた。


「下手に慰めてくれなくても良いわよ。百%振られるから。でも確かに……、踏ん切りを付けるには良いかもね」

「もし木曽さんがその気なら、私がお膳立てします」

「ありがとう。それなら……、お願いしても良いかしら?」

「お任せ下さい」

 力強く請け負った沙織は、互いに穏やかな口調で日時や場所についてやり取りを済ませてから、通話を終わらせた。そして安堵しつつ、早速続けざまに電話をかけ始める。


「本人がやる気になってくれて良かった。そうと決まれば、早速由良と田崎さんに連絡しなきゃ!」

 そして当事者が知らない所で、着々とお膳立てが整っていくのだった。

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