(3)酒に飲まれた女

「おい、関本!?」

「先輩、危ない!!」

 つい数分前まで、上機嫌に喋りつつ痛飲していた沙織だったが、急に黙り込んでグラスをテーブルに置いたと思ったら、いきなり前傾姿勢になった。咄嗟に佐々木が手を伸ばして沙織の肩を掴んだことで、彼女は目の前の皿やグラスに顔を突っ込まずに済み、事なきを得る。その間に向かい側の朝永と友之が慌てて皿を寄せてスペースを空け、佐々木に声をかけた。


「佐々木、取り敢えず、ちょっと寝かせておけ」

「……はい」

 朝永と佐々木は二人がかりで慎重に彼女の腕を取り、テーブルの上に軽く腕を重ねさせ、その上に沙織の頭を乗せてテーブルに突っ伏させておいた。


「完璧に潰れたか……。やはり飲むペースが早かったな。途中で止めるべきだった」

 判断ミスだったと思いながら、友之が悔やむ台詞を口にした。すると朝永が半ば腹を立てながら手を伸ばし、沙織の頭を軽く小突く。


「全面的にこいつの責任ですから、課長が気にすることではありませんよ。おい、関本! このうわばみ女が、少しは自制しろ!」

 その叱責に、沙織がピクリと反応した。


「……いですか?」

「え? 今何か言ったか?」

「うわばみ女って、鬱陶しいですか?」

「どうだろうな……」

 自分の腕に額を乗せて突っ伏したまま、何やらぼそぼそと言ってきた沙織に、朝永が困惑した表情になった。するとここで彼女が、そのままの体勢でいきなり泣き喚き始める。


「だっ、だから……、うちにジョニーが来てっ、くれなくなっちゃったんだぁぁ――っ!!」

「はぁ? ジョニーって誰の事」

「うわぁぁぁ――ん!! 私やっぱり、捨てられたぁぁ――っ!!」

「えぇ!?」

「関本!?」

「捨てられたって……、おい!?」

 いきなりとんでもない事を聞かされた男三人は驚愕したが、沙織の泣き声は止まなかった。当然彼らは、口々に沙織を問い質し始める。


「ちょっと待て関本! お前の口から男の話なんて、これまで聞いた事は皆無だったんだが!?」

「と言うか男の話以前に、普段プライベートの話も殆どしないし」

「それにジョニーって、どこの人ですか!?」

「どこって……、アメリカじゃないの?」

 俯いたままどことなく自信なさげに沙織が答えたことで、尋ねた佐々木の顔が一気に強張った。


「どうして疑問系なんですか? まさか先輩、その人がどこに住んでるかも知らないなんて言いませんよね!?」

「知らないわよ……。時々ひょっこりうちに来て、ご飯食べてゴロゴロ寝て、どこかに帰っていくだけだし……」

 力無く沙織がそう続けたのを聞いて、友之と朝永は無言で険しい顔を見合わせる。しかし一番若い佐々木は、怒りを露わにしながら反射的に腰を浮かせた。


「先輩、何てタチの悪い男に引っかかってるんですか! 普段の先輩は、どこも隙がなさそうなのに! そうだ警察、警察に行きましょう!」

 今にも外に駆け出しそうな後輩を、朝永が渋面になりながら宥める。


「落ち着け、佐々木。関本が実際に何らかの被害を受けていないと、警察も動かないだろう。どうやらこの話しぶりだと、関本は自分の意志でその男を部屋に入れているしな」

「そうだろうな。明らかな窃盗とか結婚詐欺が立証できるのなら、話は別だが」

 友之も、難しい顔で付け加える。それを聞いた佐々木が、慌てて沙織に尋ねた。


「先輩、そいつに巻き上げられた物とかないんですか? それとも結婚費用に充てるとか言われて、大金を渡したりしていませんか?」

 その問いかけに、沙織は俯いたまま自問自答するように言い出す。


「やっぱり……、気の利いたアクセサリーとか、渡すべきだったのかなぁ……」

「はい?」

「だってそんなの、特に欲しいなんて素振りは見せなかったし……」

「渡さなくって正解ですから! 駄目ですよ、そんなブランド物の時計とかポンと贈ったりしたら! そういう一見気のない素振りが、奴らの常套手段なんですよ!?」

 佐々木が語気強く言い聞かせたが、沙織は構わず話を続けた。


「それに……、ジョニーは舌が肥えていたから、いつ来ても大丈夫なように、最近は高級品を常備してたのに……」

「俺の話、ちゃんと聞いてます!? 何いそいそと高級食材を用意して、黙って来るのを待ってるんですか!」

「それに……、色々勉強して頑張ったのに、大して気持ち良くなかったのかなぁ……。私の撫で方、そんなに下手だったとか……。やっぱりそれで、愛想を尽かされたのかも……」

 そこまで聞いた佐々木は、盛大に顔を引き攣らせた。


「先輩……、一体なんの勉強をしていたと……」

「ブラッシング」

「はい?」

「ジョニーは短毛種だから、豚毛のソフトタイプの一番良い奴を買ったのに……」

 てっきり店内で話題に出すにはきわどい内容なのかと思いきや、咄嗟に言われた内容が理解できなかった佐々木が、困惑しながら問いかけた。


「あの……、短毛種って、なんのことですか?」

「だってジョニーは、アメショーだもん。アメショーは短毛種だし」

「『だもん』って……」

「アメショー?」

「要するに、猫……」

 沙織の話を聞いた男三人は茫然と口の中で呟いてから、三者三様の反応を示した。



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