ひかるみち
水松
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「危なっ……!」 誰かがそう叫んだけれど。
バンッ、ベジャッ!
通過中の急行列車にのめり込んだ身体が激突し、いやな音をたてて身体がバラバラになって……。
僕はあっという間に死んでしまった。
僕を轢いてしまった気の毒な電車は、駅のホームをかなり出たところでようやく止まった。車両の先端部分は赤黒い液体でひどく汚れてしまっている。
細かい肉の欠片が線路やホームのあちこちに飛び散っていた。右腕と左脚が胴体から引きちぎれ、線路の傍に寂しく転がっている。
妻の真希が泣き叫びながら、僕の欠片をかき集めている。スーツ姿の痩せこけた中年が駅員ふたりに取り押さえられ、身をよじらせ暴れていた。多分、彼に突き飛ばされたのだろう。
人が死んだら何かが残る。
気に入っていた小説――主人公の男が、そんな台詞をつぶやいていたのを思い出す。そして現実は、その通りだったのだと感心する。
僕はその「何か」になったのだ。俗にいう霊とか魂とか、そんなものだ。きっと。
半透明状態となった現在の僕。存在すら気づいてもらえず、何人もの駅員が転がった胴体の隣に立つ僕を、あっさり通り抜けていく。
(真希!)
近づいて名前を呼んでも声は届かない。何度呼び掛けても、音を発することができない。
真希、真希、聞こえないんだね。まったくとんだ災難だ。だって、誰が想像できる? こんなことになるって。突き飛ばしたオッサンを怒る気にもなれない。突然すぎる出来事で――混乱して頭が回らないよ。
真希は僕の肉片を握りしめ、泣きじゃくっていた。透明な雫がまなじりから溢れ、真っ赤になった頬を伝い続ける。
そんなに泣くなよ……もう、元には戻れない。それより真希の身体のほうが心配だよ。ちゃんと病院に行くんだぞ。
……傍にいてやれなくてごめん。もう行かなきゃならないんだ。
先程から僕を惹きつけてやまないもの――それは青く光る、一筋の路(みち)。光る路はまっすぐな線路の上を走っている。
どうやら僕は、この光る路に沿って歩いて行かなきゃならないらしい。僕だけじゃなく、死者は皆この路の上を歩いていくのだろう。
真希、行くよ。気を緩めると足が勝手に歩こうとしてしまうんだ。元気でな。身体、大事にしろよ。
大きくなった真希のお腹にさわり、それから乱れた髪を撫でる。でも触れた感覚を味わうことはできなかった。
真希は延々と泣き続けている。
もう足が言う事を聞いてくれない。ろくに振り向くこともできないまま、青く光る路の上を僕は歩き出した。
僕が轢かれたことで電車の運転を見合わせているのだろう。何も通らない線路の上を2駅分歩き続けるが、疲れはまったく感じない。
さらに歩き、真希と来る予定だった町の駅で路は左に曲がり、ビル群の間の路地へと繋がっていた。
薄汚い小路に入り、さらに青い光を進んでいく。堆く積もったゴミの上を通り、段ボールの山も軽い足取りでのぼっていく。また小路に戻って右に曲がり、今度は大通りに出る。
光る路は大通りの向こうの公園へと続いていた。ここを抜けると住宅街になり、その先に今日真希と行くはずだった病院があるのだ。噴水周辺のベンチではOLやサラリーマンたちが昼食を食べている。
診察中の真希を待っている間、端の喫煙スペースでタバコを吸っていたのをふと思い出す。
そして僕は今、病院の前に立っている。真希は当分来ることができないだろう。
ここでもあまり立ち止まっていられない。足がどんどん前へ進もうとするのだ。それに――ここにはいたくない。
病院の窓は閉まっているのに、赤ん坊たちの泣き声が聞こえてくる。ミルクが欲しくて泣いているのか、それともどこか痛むのか。
僕が生きていれば、来月はじめに産まれるはずの我が子の産声を聞き――この手で抱いてやれるはずだった。
もう、行かなきゃいけない。声を聞くことも、抱いてやることもできないパパを許してくれ。無事に産まれて、ミルクをたくさん飲んで、いっぱい泣くんだぞ。ママと仲良く……暮らしてほしい。
さらに続く路を再び歩き出す。赤ん坊たちの泣き声が一層大きくなったが、振り向かず病院を後にした。
どのくらい歩き続けたのだろう。幾度も陽が沈み、そして昇る。
この光る路が終わるまで僕は前へと進む。ぜんぜん疲れないし、今まで様々な風景を眺めながらきたので特に退屈はしなかった。けど、いつこの旅は終わるのだろうかという不安がときたま僕を襲う。本当は終わりなんてなくって、永遠にこの路の上を歩き続けるんじゃないかとさえ思えてきた。
それでも、足の動きは止まらない。
気づくと街を抜けて草原を歩いていた。路は地平線までまっすぐ伸びている。
(………で)
かすかにだが女性の声が聞こえたのは、草原を歩いてしばらく経ってからだった。耳をすませないと、草が風になびく音でかき消されてしまう。
(は……く……で)
声は路の先から聞こえてくる。向こうに声の主がいるのだろうか。
(はや……お……で)
進むごとに声はどんどん大きく、はっきりと聞こえてくる。
風にゆれる草が煌めいている――いや、この路の光が輝きを増しているのだ。
(はやく、おいで……)
女性の声が体内に響く。もう草原だった風景は光に包まれ見えなくなっている。
僕は光の中を歩いていた。
(わたしの)
ああ。なつかしい声だ。
(赤ちゃん……)
でも不思議だ。その声は、
(無事に)
5歳の時に死んだ母さんだったり、
(産まれてきて……)
真希だったりするんだ。
ふと、後ろから誰かに抱きしめられる。とてもやさしく、あたたかく。
僕はそのあたたかさに触れていたくて、身をそっと委ねてみる。その誰かからは、甘いミルクのにおいがした。
ああ、もう歩かなくてもいいみたいだし、ここで少し眠ってもいいかな? 抱きしめられている温もりが、とても心地いいんだ。
(いいわよ……)
つぶやきを聞き取ってくれたのか、やさしい声で答えてくれる。やはり母さんか真希かは区別がつかない。
(お眠りなさい)
自分の身体が、ひどく縮んだ気がした。
(そして目が覚めたら)
子ども――いや、赤ん坊になって母親に抱かれているみたいだ。
(そこの扉をあけて)
本当に、眠い。
(私がいる世界にきて……)
うん、会いにいくよ。でも今は寝かせて。
あたたかくて、やわらかくて、いいにおいがする。こんなところで眠りにつけるなんて、最高だね……。
「おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ!」
……ああ、意識が飛びそう。
出産って、こーーーーーーんなに大変で、痛いなんて。もうこりごりだわ……。
「おめでとうございます! 元気な男の子ですね!」
看護師さんがキレイになった我が子を枕元に置いてくれる。
やっと。やっと来てくれた。待ってたのよ、私の赤ちゃん。
これからは、ずっと一緒だからね。
ひかるみち 水松 @WIND_MILL
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