第32話 揺るぎない信念を

 闇の牧場は、闇の精霊の力が働いているのか、夕暮れのように辺りは暗さを帯びていた。

 周辺に咲いている小さな花が淡く発光している。それはまるで夜空の中に浮かぶ星のようだった。

 クロは、草むらに紛れて周辺の様子を伺っていた。

 兎って本来は臆病な生き物らしいし、好奇心旺盛なクロにも兎らしいところがあるんだなって思うとちょっぴり微笑ましい。

「クロ」

 僕がしゃがんで呼びかけると、クロはたっと地面を跳ねて僕の膝の上に飛び込んできた。

「相変わらずだなぁ、お前」

 クロの背中を撫でてやる。

 その手の上を横切るように、ふわりと漂う黒いものが。

 闇の精霊だ。

 もうこんなに、此処には精霊がいるんだな。

 この調子で闇の精霊が増えたら、この世界にも此処と同じように夜が来るようになるのかな。

 やっぱり、昼と夜はきちんとあった方が嬉しい。赤一辺倒な世界なんて見ていて気が滅入るし、時間の区別が付かないのは困るからね。

 僕はクロを地面の上に下ろして立ち上がった。

 エルたちは僕がいない間もこうしてのびのびと暮らしているんだって知ることができたので、満足だ。

 さあ、満足したら牧場主としてのお仕事だ。神果を収穫しに畑に行かないと。

 日課になっている畑の世話をするべく、僕は荷車を取りに家の方へと向かった。


 荷車に、収穫した神果を積んでいく。

 毎日やっていることなので、勝手は分かる。一人でも作業に困ることはない。

 黙々と作業をこなしていると、背後から近付いてくる者の存在が。

「でっかい神果だな。エルは飯をよく食うから、でかい実ができると嬉しくなるよな」

 アラキエルだ。

 彼女は小脇に青色の卵を抱えて、僕が畑仕事をする様子を見物していた。

 と、彼女は辺りを見回して、訝しげな顔をした。

「メネがいねぇな。どっか行ってるのか?」

 黙っている意味はない。僕は額の汗を拭って立ち上がり、アラキエルの方を向いて答えた。

「……喧嘩しました」

「……はぁ? 喧嘩?」

 僕はアラキエルに、僕とメネが喧嘩したいきさつを話した。

 アラキエルは黙って僕の話に耳を傾けていたが、話を聞き終えると、ぷっと吹き出して肩を揺らし始めた。

「そりゃまた随分としょうもねぇ理由だなぁ。魔法の有無で人の価値が決まるかどうかとか……くだらねぇ」

 くっくっと笑って、目尻に浮かんだ涙を指の先で拭う。

 くだらないって……これでも僕は真面目に話したつもりなんだけど。

 僕の暗い視線に気付いたのか、アラキエルは悪い悪いと謝ってきた。

「誰が魔法を使ったっていいじゃねぇか。大事なのは為し得たことがお前たちにとってどれだけの価値があるかだ。魔法なんてモンは、人間が使う道具と一緒でひとつの手段でしかねぇんだよ」

「……僕が魔法を使いたいと思うのは間違いなんでしょうか」

 僕の問いかけに、アラキエルはいいやと首を振った。

「そんなことはねぇよ。実際にお前がラファニエルの加護なしで魔法ができるかどうかは天性の才能があるかどうか次第ではあるけどな。魔法を使いたいと願うこと自体は誰にでも許されてる権利だよ」

 アラキエルは畑に入ってきて、僕の肩を優しく叩いた。

「お前がこうだと決めたなら、やり遂げろ。それが男ってモンだ。お前が揺ぎねぇ信念を持ってるなら、メネにもそれはちゃんと伝わるさ」

 抱えていた卵をそっと僕へと差し出して、彼女は微笑んだ。

「俺はお前のことを応援してやるよ」

 僕は卵を受け取った。

 青い卵……見たことのない卵だ。色がエルの属性を表しているのなら、これは氷か水のエルの卵だろうか。

 また新しい牧場を作らなきゃ……って、肝心のメネがいないんだっけ。

 このままメネが戻って来なかったら牧場作りが頓挫してしまう。それは困る。

 僕が黙していると、ああそうだとアラキエルが思い出したように言葉を発した。

「お前たちに頼まれてたこと、調べといてやったぜ」

 ……ああ、そういえばアラキエルにカエラの主人について心当たりがないかどうかを訊いてたんだっけ。

 アラキエルが言うには、カエラの主人に当たるのはヴォドエルという神らしい。

 ヴォドエルは神界には滅多に現れず、神たちもその姿を見ることは稀なのだとか。

 普段から神界にいない神……か。如何にも下界で何かをやっていそうな雰囲気だな。

 今もこの世界の何処かで、この牧場のことを見ているのだろうか。

「神には下界に手を出しちゃならねぇって掟があるから直接何かしてくることはねぇだろうが……ひょっとしたら、姿を見せることくらいはあるかもしれねぇな」

 もしもヴォドエルが直接僕の前に姿を現したら……僕はどうすればいいのだろう。

 相手に屈服する気はさらさらないけれどね。

「この世界の滅びを望むなんざ、この世界の神としたらあっちゃならねぇことだ。もしも神界でヴォドエルに会ったら話してみるよ。まあ……無駄だろうとは思うけどな」

 お前も相手に翻弄されないように気を強く持てよ、と言い残して、アラキエルは神界に帰っていった。

 僕は卵に目を向けて、よしっと気合を入れて頷いた。

 色々と考えることはあるけど、今は今できることをやるのが大事だ。

 畑作業を終わらせて、卵を生命の揺り籠に置こう。何事もなく一日を終えるのが今の僕のやるべきことなのだ。

 そうと決まったら、畑仕事の続きだ。

 僕は卵を荷車に置いて、神果の収穫作業を再開したのだった。

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