ブラックアウトガール

茉莉 佳

1st sense 1

『なに? なに?

いったいどうしたっていうの??

いきなり目の前ブラックアウト。なんにも見えない。


そっか。

全力で走ってて転んで、頭打ったんだ。

いやいや。

こんなところで寝っ転がってる場合じゃない。

今日こそ航平くんにラブレター渡さなきゃ。

今どき手書きのラブレターなんて時代遅れでダサいかもしれないけど、その分気持ちがこもってるはず。


浅井航平くん。

中学時代の2年間、同じ教室で勉強してて、同じ高校に通う様になって1年経つってのに、ほとんど口きいたこともないし、席が隣になったことさえない。


だけど昨日の新学年の始業式。

同じ教室のなかに航平くんの姿を見つけたときは、もう感動で息もつまりそうだった。

これはもう『運命だ』って思ったね。

2年になった早々、なんてラッキー!

この勢いで、今日こそはあたしの気持ち、知ってもらうんだ!

昨日夜なべして書いた、便せん5枚もの超大作。

おかげで今朝は睡眠不足。朝も起きれなかったのだ。


、、、やっぱキモいかな。

重すぎるかな。

こんなあたしって。


それでもいい!

振られたっていい。

あたしの気持ちを、航平くんには知っててほしい。

2年以上もずっと想ってきたことを、航平くんには覚えててほしい。

でもやっぱり、、


振られるのはイヤかも。


ううん。

クヨクヨするんじゃない、あずさ!

航平くんはあたしのこと、少しは気にしてるって。

授業中でも時々目が合うし、『あずさに気がある』って噂も、ミクや萌香から聞いたことある。

自分を信じてぶつかっていけ、あずさ!!

このラブレター、今日こそ絶対渡さなきゃ!』


ーーーーーーーーーーー


 あたしは全力で駆け出した。

街の景色がぼやけて左右に流れてく。

なにも目に入らない。

脇目も振らず、あたしは走って走って、走りまくった。



 駅前の繁華街を抜け、学校のある小高い丘へと続く、大通りの栄川交差点に差しかかる。

工場地帯の入口となるこの交差点は、ダンプやトラックがひっきりなしに走ってて、よく事故が起こる場所。

なので、『魔の交差点』なんて呼ばれてる。

その交差点の最前列に立って、あたしは歩行者信号が青になるのを、じりじりと待っていた。

と、そのときだった。


角のビルの隅にうずくまってた、シミだらけのヨレヨレスーツを着て無精髭ぶしょうひげを生やしたオヤジが、ふらりと立ち上がると、いきなりあたしの隣にいたサラリーマンらしき40歳くらいのおじさんの背中に、ドンとぶつかってきたのだ。

ぶつかられたスーツのおじさんは、勢いで車道によろけながら飛び出した。

危ない!!


“パパパパーッ!!!”


土砂をいっぱいに積んだダンプが、けたたましくクラクションを鳴らして迫ってくる。


間一髪。


おじさんはからだをエビぞりに仰け反らせ、ギリギリでダンプを避けて尻餅をつき、なんとか巻き込まれずにすんだ。

顔は真っ青。冷や汗かきながら目を剥いてる。

そりゃそうだ。

一歩間違えればトラックの下敷きだったんだから。

犯人の無精髭オヤジは、歩道に立って薄ら笑いを浮かべ、その様子を眺めてた。


「ちょ、、おっさんなにやってんのっ?! わけわかんない!!」


思わず大声が出た。

いったいなんなの、こいつ?!


オヤジはあたしを見るとびっくりした様に顔を引きつらせ、無言のまま人ごみに紛れて消えてしまう。

他の通行人は、その光景を見て見ぬふり。だれも無精髭オヤジに関心を持ってない。

みんな、自分のことしか頭にないの?!

まったく、イヤな世の中だ。




 しんと静まり返った学校の長い廊下を、あたしは忍び足で歩いていた。

教室からは先生の声だけが聞こえてくる。

もう授業がはじまってる。

完全に遅刻だ。

『2-3』と表札の出ている教室のうしろのドアを、あたしは音を立てない様にじわじわと開けた。


教壇には英語の田中先生が立っていた。

ひょろりと痩せた神経質な先生で、生徒から授業を妨害されるのをなによりもイヤがる。

見つかったらイヤミのひとつも言われちゃうかな~。

だけど田中先生は腕組みしたまま目を閉じて、授業もせずに黙り込んでいた。

机についてるクラスメイトたちも、みな固く表情を強張らせ、物音ひとつ立てない。

なんだか異様。

不気味な重い空気が、教室に立ちこめてる。

うしろのドアから入ってきたあたしは、先生に見つからないようにからだを低くかがめ、自分の席に着く。隣のミクもあたしが入ってきたことに気づかないみたい。ほっと肩をなで下ろし、あたしは何食わぬ顔で、カバンから教科書と筆箱を取り出した。


“ガラガラガラ…”


間髪入れずに教室の前扉が開き、担任の井上先生が入ってくる。泣きはらしたように腫れぼったい目元は、マスカラが禿げかかって黒ずんでる。真っ赤に充血した瞳。

みんなは一斉に、井上先生に注目した。


「先生、どうでしたか?」


田中先生が訊いたが、その声はわずかに震えていた。

井上先生は首を2、3回振ると教壇に立ち、重苦しい表情を浮かべてあたしたちを見渡しながら、沈鬱ちんうつな口調で告げた。


「酒井あずささんのお通夜は、今日午後6時からです」


その言葉で、張りつめていた教室内の空気は糸が切れたようになって、ざわざわと喧噪に包まれた。


「わあぁぁぁぁぁぁ、、、」


隣に座ってたミクは、突然声を上げて泣き出し、机に突っ伏した。


え?

どういうこと?

あたし、ここにいるじゃない?!

いくらあたしが遅刻したからって、悪い冗談はやめてよね!

思わず三つ隣の席の航平くんを、わたしは振り返った。

青ざめた表情のまま、彼も両手をギュッと握りしめて、口元を固く結んでいる。


「静かに。静かに!」


“パンパン”と両手を叩いてざわつくみんなを静めると、井上先生は固い表情のまま言う。


「詳細についてはまた連絡が入ると思いますが、通夜会場は駅裏の本町斎場。みんな制服のままでいいから出席して下さい

<は? 先生、冗談はやめて下さい! あたしここにいるじゃないですかっ!!>

「…喪章はそれまでに学校で用意しておいて、終礼のときに渡します」

<先生?!>

「香典などの準備は必要ありませんが…」

<先生っ!!>


こらえきれずに勢いよく席を立ち、あたしは抗議した。

しかし井上先生はこちらには目もくれず、あたしの『お通夜』について、説明を続けた。


いったいなんなの?!

わけわかんない!

ちょっと遅刻したからって、こんな冗談、悪質で陰険すぎる。

これは明らかにいじめだ!

先生が率先するクラスぐるみの。


いたたまれなくなり、あたしは机を蹴っ飛ばして走り出し、ドアを勢いよく開けて、教室を出ていった。だけどだれも、あたしを止めようとしないし、追いかけてもこない。


ほんっと腹立つ!

そりゃあたしは、ちょっとわがままで気の強いとこあって、ケンカもよくするけど、萌香やミクとは中学時代からの親友だし、同じクラスにいるネクラ不思議系の如月摩耶みたいな、いじめられたりハブられたりするキャラじゃないはず。


だいたい如月摩耶って子は、気が弱そうで、いつもおどおどしてる。

すっごい美少女のくせに空気みたいに薄くて目立たない存在で、陰気でなに考えてるかわかんないし、なにより言動がおかしい。

意味不明なことを口走ったり、突然怯えて逃げ出したりと、かなりキョドってる。

そんな彼女がハブられイジメられるのはまあわかるけど、ふつーの女子高生してるあたしがなぜ、、、


そのときはテンパってたから気づかなかったけど、教室の一番隅の机から、その如月摩耶が、じっとあたしの行く先を見つめていたのだった。



 わけわからずに教室を飛び出したあたしは、行くあてもなく、廊下を呆然と彷徨った。

休み時間になったのか、教室からは大勢の生徒が廊下へと溢れ出してくる。

そんな人ごみのなかを、あたしはうろついていた。

だけどだれも、あたしに気づきもしない。

何人かのすれ違った友達に声かけてみたけど、だれもあたしのことを振り向きもしない。


今、やっと気がついた。


そういえば、あたしの回りは静寂に包まれてる。

教室も廊下も、みんなの笑い声や足音なんかで騒々しいはずなのに、その音はちゃんと聞こえてくることはなく、まるで遥か遠くでこだまのように響いてるだけ。


『なに、、 どうなってんの?』


思わずつぶやき、あたしは足がすくんだ。


なにかがおかしい。

ようやくあたしは、自分の置かれた状況の異常さに気づいた。

あたしを囲む世界は、今までとどこか違ってる。

うまくは言えないけど、あたしと、それ以外の人たちは、目に見えない透明な境界で隔たれてるみたい。

存在してる次元が違うっていうか、、、

言いようのない絶望と孤独。


よく目を凝らして回りを見れば、教室の隅や校庭の端の雑草の茂みなんかに、小さいけど真っ黒な闇のような得体の知れない物体が、フワフワと漂ってる。

なんなの? これ。

その物体は、煙りのようにも見えるものもあれば、人の形をしてるものもある。

なんだか、見てはいけないものを見た感じ。

慌ててわたしは視線をそらして、教室の方を見た。

だけど、その光景も異様だった。

教室には日差しがいっぱいに差し込んでるはずなのに、まるでもやがかかったように、淡くかすんでる。

窓から見える空は灰色に濁り、遠くの町並みも重苦しいモノトーンで、この世のものとは思われない陰惨な光景。


いったい、いつからこんな景色になってしまったの?


そう……

今朝学校へ来る途中で、ブラックアウトしてからだ。


なんなの、これ?

怖い、、、

だれか、助けて。

このわけわかんない世界から、あたしを救い出して!


つづく

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