第19話 華龍樓 - かりゅうろう

「ハァ、ハァ!」

 最後の一発は、ここぞという場面で放つことができた瀧也タツヤの回し蹴りだった。高い打点で男の下あごにヒットさせることができ、男はその場に崩れ落ちた。

 スーリが一歩二歩、身を引く。

「身体が大きいだけのザコだったって事かしら」

「そんな風に言わないでやってくれ。おれが強すぎるんだよ」

 とはいえタバコが欲しい。それだけ瀧也も消耗しヘロヘロだった。

「強いボディーガードが居てくれてよかったわね、ちさちゃん」

「逃げる前に一つ聞かせてくれ」

 瀧也はその場を去ろうとしたスーリを呼び止めた。

「お前ら調整員は日本各地でこんな暗殺ごっこをしてんのか?」

「“事実上のレイン”は今後の脅威よ。放ってはおけないわ」

「こいつがサイコゲームの対象年齢になった時にはサイコゲームもなくなっているかもしれないじゃないか」

「そう。その時まで生きているといいわね」

 スーリは、倒れた男をそのままにして去っていく。その男が「うっ」と目を覚ましそうだったので、面倒事がまた起きる前に瀧也とちさはその場を後にした。


 華龍摟かりゅうろうは、中華街の大通りに面した大きな門を構える巨大なレストランだった。メニューとしてガラス体を通じホログラム表示されている品物の数々は、一品一品が桁を間違えているのではないかと思うほど高額だ。

「とても公務員の給料じゃ入れない店だな」

「このお店、前に来たことがあります」とちさ。「青椒肉絲がすごくおいしかったです」

 ちさはホログラムをスライドさせ、青椒肉絲を表示させる。日本のお新香のようにちょびんと小さめのお皿に乗せられたわずかな量の青椒肉絲、そのお値段四千円。こっちの金額のパンチの方が先ほどの男のものよりも強烈かもしれない。瀧也は失神しかけた。

 チリンチリンと店の扉が開き、中から伝統衣装を纏った中国人女性が二人、現れる。

「いらっしゃいませ」

「お待ちしていました」

「いや、店を間違えた」と気が引ける瀧也。

 そんな瀧也の手を引いて、ちさは女性たちの促しに従った。

 瀧也の温かい手。どさくさに紛れて握ってしまった。しかしすぐに、瀧也のさりげない動作で振り払われてしまう。

 店内は、過剰なまでに赤と黄金の装飾だった。そこで優雅に食事をしている人たちもブルジョワジーな雰囲気が漂い、瀧也はここで小一時間ほどタバコを吸って店のすべてを台無しにしてやりたい気分になった。また、彼らのうち半数ほどにはタグが見えない。それは日本国籍でないか、あるいは瀧也のようにサイコゲームを免除されている立場であるということだ。そういう意味では瀧也がこの場にいるのも周囲から見て不自然ではなく、ちさは少しだけそんな瀧也を尊敬する。ちさは瀧也の裾を掴みながら店員についていく。

 エレベーターへ案内され、デパートのような固い扉ではなく木網で遮られたそれが開く。美女二人はそこでちさと瀧也を見送った。ガシャリと扉が閉まり、個室が緩やかに上昇する。

「すげぇ店に来てるんだな、おまえんは」

「周りの家の人はみんな来てました」

「これだから横浜市青葉区は」

 カシャカシャと木網の扉が開き、そこは迎賓用の大広間と直結していた。ちさの肩の上にキネコが生じ、床に降りると、ぴょぴょこと駆け出していく。

「よく来たね」

 キネコが向かう先にはチョウがいた。僧侶の姿をした優しい表情の彼は部屋の手前で直立して二人を待っており、一礼する。キネコが足元から凋の肩にジャンプし、凋はその猫の喉元を撫でてやる。見えているようだ。

 歩みを進めながら瀧也は指を四本立てて「偽装端末を四つ――」

「まぁ待ちなさい。私は君たちを歓迎したいんだ」

 凋が一歩横にずれて背後を促すと、巨大なまるテーブルの上にたくさんの料理が用意されている。瀧也は、店の前のディスプレイを思い出した。あのつまみみたいな青椒肉絲が四千円もしたのだから、ここに並べられている料理などはもはや白目をむくレベルだろう。

「生憎そんな大金は――」

「まぁまぁ。気にするな兄弟」

 凋はゆっくり歩みをすすめ、ちさと瀧也の間に割り込んでくる。そしてそれぞれ二人の肩に手を乗せて、囁くように言った。

雫草しずくさ葉子ヨウコの弔いだ。私は何もしてやることができなかった」

 次には鼻をすする音。ちさが凋を見上げると、彼は正面を見据えたまま涙を流していた。

 いい人のようだ――とちさは思った。掴みどころがないにせよ。

 ちさと瀧也は凋に甘えて席に着いた。ほかほかの超高級中華料理が湯気をあげてテーブルに並んでいる。

「それで、どうするつもりなんだ?」凋はテーブルに肘を立て、手を組んで微笑む。「偽装端末――と言っていたかな。もっとも、私を探していたのであれば目的はそれでしかないのだろうが」

 瀧也は、自分でも気づかないうちに料理を頬張っていた。普段ならお目にかかれないレベルの御馳走だ。それを口に入れたまま、凋に応える。

「どうもこうもないな。これを手に入れたら役目はしまいだ。ただのお使いだよ」

「瀧也くんと言ったか」凋の笑みが強くなる。「まだ偽装端末を君たちに渡すと約束したわけじゃない。隠し事はしないでくれ」

「クライエントの秘密に首突っ込むと痛い目みるぞ」

「そういう流儀のビジネスマンは確かに多い。そして、そういうタイプのビジネスマンは確かに利口だ。だが、興に欠けている――そうは思わないか? 人生は楽しむためにある」

 凋はパチンと指を鳴らした。部屋の奥から色とりどりのチャイナドレスを着た美女たちが現れる。

「どうだ瀧也くん。人生を楽しまないか? 今晩、好きな子をプレゼントするよ。どれも若くていい子だぞ。赤い服の子は経験豊富でいつも私の相手をしてくれている。同じ穴がイヤなら青い服の子だ。彼女らは全くの未熟、不慣れだが手付かず。そしてもう一色の緑の服の子たちは、手付かずだが丹念に仕込みを入れている。何人でも連れていくといい」

 瀧也はテーブルを蹴飛ばした。大きく重いそれがガタンと揺れ、食器が震える。

「おれの被後見人の前だぞ」

「そうか。悪かったね」

 凋は相変らずニコニコしていた。軽く合図を出すと、美女たちはそれぞれ一礼をして部屋から引いていく。

「日本の政治家は喜んでくれるのにな」

「奴らは子供なのさ。おれたち国民が政治っておもちゃをくれてやってるからまだ大人しくしててくれるんだ」

「ねぇ」とちさが言う。

 短くか細い――年相応の声ではあるが、凋と瀧也はその静かな声に不思議な厚みを感じた。

「真面目に答えてください。偽装端末、くれるんですか? くれないんですか?」

「さて、どうしようかな」凋はちさから話しかけられてうれしそうな風だ。「お嬢ちゃん、どうだい。綺麗なチャイナドレスでも着てみないかい。はじめは青だが、よければ緑も着られるように――」

 ドンッ――と、次の瀧也の蹴りは、テーブルの食器がすべて数センチは浮くかのような激しいものだった。

「お前が誰だか知らねぇけどな。次にその汚ぇ顔からゴミみてぇな言葉吐いたら、殺すぞ」

「気を付けよう。ただし顔が汚いのは元からだ、これについては今しばらく不愉快な思いをさせることと思う、今のうちに詫びておくよ」凋は変わらず笑顔だ。

 瀧也はそんな中国人を睨みつける。「それで、端末は?」

「そう怖い声を出すな。君はもう欲しいものを持っている」

「なに?」

「隠し事を聞けたらと思ったが、それは後払いという事で手を打とう。君たちは面白そうだ。……ディスプレイを開いてみろ」

 瀧也は自身の紋白端末タトゥをポンとタップし、言われた通りディスプレイを起動させる。ちさが覗き込んでいるので、それをシャドーに投げて共有させてやる。

「四つでよかったか」

 凋の言葉に瀧也は頷きたくなかったが、ディスプレイの中から四つの龍のメダルが浮かび上がり、空中でゆっくりと回転している。

「これが……」

「偽装端末だ。使いたい者の紋白端末に移してタップすれば起動する」

「もったえぶってた癖に、えらくあっさりだな」

「まるでこの杏仁豆腐のようだろう?」と、凋は小皿に入ったそれをスプーンで持ち上げ、やや震わせてから口に運ぶ。「本来なら一つ五百万円で売っている。大事に扱ってもらいたいね」

「だ、大丈夫です! 払います! 払えます!」

 ちさは飛び跳ねるように立ち上がって瀧也を見た。

 その様子を見て、凋は笑う。「いいんだよ。葉子には世話になったんだ」

「なにか裏があるようにしか見えねぇな」

「そうでないとどう証明すればいい?」

 凋は微笑んだ。それは今までの笑みとは少しだけ違う、故人をしのぶ笑みだった。

「私はさっきからずっと、君たちをもてなしたくて仕方がないというのに」

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