56話 葛藤

 その日から、ふたりは自宅でも学校でも一切口を利かず、登下校も別々という徹底ぶりに、一番困惑したのは聖くんでした。


 あれほど仲が良かった兄弟の確執は、周囲も引くほどで、この険悪な状況を作り出した一端が自分であることに責任を感じ、夏輝くんに話を聞くと、



「聖が言った通りだった。罠を仕掛けたら、アイツ、こうちゃんの首を絞めて、殺そうとしたんだぜ?」


「マジか!?」


「それだけじゃない。みんなのことも、能天気だとか、いなくなればいいだとか、ホントにあんな最低なヤツだとは…」


「冬翔、何かあったのかな?」


「知るか! アイツこそ、いなくなればいいんだよ!」



 余程腹に据えかねているらしく、しばらくは冷静な話など出来そうもない様子。


 もう一方の当事者である冬翔くんにも話を聞こうとしたのですが、



「別に」



 と答えるだけで、こちらは取りつく島もありません。


 この日は掃除当番だった聖くん。掃除を終えて教室に戻ると、すでにふたりとも帰宅した後で、一人淋しく帰路に就いたのですが、いつものターミナル駅で、不意に目に留まった藍玉の制服。


 よく見ると、それは木の実ちゃんでした。どうやら同じ電車に乗り合わせていたらしく、走り寄って声を掛けました。



「木の実!」


「おう、聖! 久しぶり!」


「今帰り? こうめたちは?」


「先に帰った。今日、三者面談だったんだけど、うちのおっ母さんドタキャンしてね。しかも連絡なし。最終組まで待ったけど、来なかった」


「そっか、大変だな」


「ま、いつものことだから。聖はどうしたの? 今日は、夏輝たちは一緒じゃないんだ?」


「それがさ、僕のせいで、あの二人、大喧嘩したみたいでさ」


「大体のことは、こうめから聞いてるけど、喧嘩のほうは、どんな状況?」


「立ち話も何だから、あそこに入ろう」



 そう言うと、ふたりは以前にも入ったファストフード店に入り、聖くんはハンバーガーとポテトとコーラのセット、木の実ちゃんはシェイクを注文し、話を聞くことにしたのです。


 あの日のことは、木の実ちゃんと朋華ちゃんにも、私から伝えてありました。


 正直、廊下での一件を聖くんに目撃されていたことに気付かず、彼が直接夏輝くんに相談したのは大誤算でした。なぜなら、ふたりは冬翔くんが虐待されていることを知らないからです。


 聖くんの話を聞く限り、相当拗れてしまっているようで、やはりそこには、その事実を知らない故のすれ違いがあることは間違いありません。


 何も知らない聖くんが、良かれと思ってこれ以上掻き回さないためにも、伝えることを決断した木の実ちゃん。



「あのさ、私からも話したいことがあるんだけど」


「何?」


「驚かずに聞いてくれるかな?」


「いいよ」


「冬翔のことなんだけど、夏輝は知らないんだよね」


「は? 何、その複雑な状況?」


「だから、このことは夏輝には秘密にしておいて欲しいの」



 ひとつ話すにも、いちいち前置きが長い女子特有の話し方に、ちょっとイラっとし始めていた聖くん。



「分かったから、前置きはそれくらいで、冬翔がどうしたって?」


「冬翔、虐待されてるんだよ」



 その言葉に、思わずハンバーガーを食べる手が止まる聖くん。



「え…? 何言って…」


「それも、自分の父親から」



 さらに、もう片方の手で持っていたコーラを、危うく落としそうになりながら、



「嘘だろ…? だって、アイツらのオトンって…えぇ~???」


「だよね。そう思うよね…」


「ちょっと待て。それって、冬翔だけなの? 夏輝にも?」


「冬翔一人だけ。夏輝は何もされてないし、そのこと自体知らないみたい」


「何だ、それ…? 意味分かんねー…」



 頭が混乱し、冷静になろうとコーラを口に運ぶ聖くんに、追い打ちを掛けるように木の実ちゃんが言ったのです。



「それだけじゃないんだよね。父親から受けてるのは、性的虐待も含まれてるみたい…」



 思わず、コーラを吹き出しそうになるのを、寸でのところで耐えたものの、頭が真っ白になり、しばらくの沈黙の後、やっとの思いで尋ねました。



「マジ…?」


「茉莉絵さんと瀬尾先生が、間違いないって…」


「何それ? ブスから何も聞いてねーぞ? てか、それは冬翔が言ったの? それとも…」


「こうめが、子供の頃に目撃してたんだよね。ただ、それが性的虐待なのか、イマイチ私たちには分からなかったんだけど…」


「聞いていいか? 冬翔は、いったい、どういう…?」


「冬翔の名誉のためにも、絶対に口外しないって誓う?」


「分かった。誓う」


「あのね…」



 隣の席に、コーヒーのお代わりを注ぎに来た店員さんの視線を気にしつつ、木の実ちゃんから聞かされた内容に、絶句する聖くん。


 今でこそ、そうした映像はインターネットで誰でも簡単に閲覧出来ますが、当時はまだ、いかがわしいビデオくらいしかなかった時代。


 恋愛におけるABC程度の認識しかなく、耳から入る情報のみで妄想を広げるだけの私たち女子とは対照的に、視覚的情報を有する聖くんには、すぐに言っている意味が理解出来ました。


 というのも、男子校の裏の踏襲で、上級生や兄から譲り受ける『バイブル』と称するエロビデオを、誰かの自宅で数人から多い時には十数人で集まっては、『勉強会』という名目の上映会を開いている彼ら。


 その中には、かなり際どいものや、アブノーマルなものも含まれていて、木の実ちゃんが話した内容の多くは、そうした物を連想させました。


 勉強会には、大抵一緒に参加していた仲良し三人組み。興奮したり、熱心にガン見したりと、興味津々で視聴しながら、皆一様にはしゃいでいたのです。


 その時、冬翔くんがいったいどんな心境でそれを観ていたのかと考えると、胸が張り裂けそうになり、自分の軽薄さを呪い殺したい気持ちでいっぱいになります。


 自宅に戻り、先に帰宅していた茉莉絵さんに尋ねました。



「さっき、木の実から全部聞いた。なあ、どうすればいい? 夏輝に、事実を伝えたほうがいいのかな? そしたらあの変態親父から、冬翔のこと夏輝が守ってやれないかな?」


「やめとけ」


「じゃ、せめて冬翔をうちに避難させてさ…!」


「何て言って? アイツのプライドのことも考えてやれよ」


「じゃあ、このまま放っとけってか!?」


「下手におまえが動いて、良いことあったか?」


「それは…」



 茉莉絵さんに核心を突かれ、返す言葉がない聖くん。



「瀬尾先生がさ、冬翔にはまだ何か隠してることがあるんじゃないかって」


「隠してること?」


「おまえさ、親友なら思い当たることとかないの?」


「そう言われても…」



 もともと、あまり自分のことを表に出さないタイプの冬翔くん。


 それ故、ここまで酷い虐待にも気付いてやれなかったのですから、それ以上の秘密など、分かるはずもなく。



「考えてみる…」


「死ぬ気で頑張れ。あ、それと先生が、何か異変がないか、注意して見てろって」


「分かった…」



 そう言うと、自室に籠ったままご飯も食べず、これまでの経緯を必死で回想し始めたものの、いくら考えても何も浮かばず。


 どれくらいそうしていたのか、いつの間にか眠りに落ち、夢の中でもずっとそのことばかりが堂々巡りしていたのでした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る