58話 スケープゴート

 夏輝くんは一昼夜眠り続け、冬翔くんも学校を休んで付き添っていました。


 醜態を見られ、余程ばつが悪かったのか、仕事と称して出かけたまま、それでも夏輝くんのことは気になるらしく、一日に何度も電話を掛けては、様子を伺う保さん。


 夜になり寝支度をしていると、ドアをノックして、夏輝くんが入って来ました。



「夏輝! 目が覚めたのか?」


「うん。心配かけて、悪かったな」


「お腹空いてない? 何か作ろうか?」


「いい。それより、話がしたい」



 そう言うと、二人でベッドに腰かけ、ぽつりぽつりとこれまでの経緯を話し始めました。


 

「…いつからなんだよ?」


「さあ? 物心ついた頃から、かな…」


「そんな前から…。何で黙ってた?」


「言ったら、信じた?」



 その言葉に、黙り込む夏輝くん。


 彼自身、自分の目と耳で真実を確認するまでは、そんなことになっていたなど、一ミリも想像だにしていなかったのですから。



「ずっと一緒にいたのに、何も気が付かなくて、ごめん…」


「だから、謝んなって!」


「でも、何で抵抗しないんだよ? 今のおまえなら、力では負けないんじゃないの?」


「僕だけなら、いずれそうしてたかも知れないけど…」


「こうちゃんのこと…?」


「アイツ、前からこうちゃんのことを変な目で見ててさ。夏休みに、うちで偶然会ったときから、僕にしつこく遊びに来させるように言い出したんだ」


「じゃあ、こうちゃんに嫌がらせしてたのも?」


「彼女を守るためには、ここに来させなくする以外なくて」


「けど、階段から突き落とすってどうなの? 下手すりゃ、大怪我したかも知れないじゃん?」


「あの時は、下に聖がいたから。アイツなら、絶対に受け止めてくれると思ったからさ。ホントに殺すつもりなんてなかったけど、マジで殺されると思わせないと意味ないだろ?」


「何で?」


「おまえのこと、本気で好きだからだよ」


「冬翔…」


「あんだけされても全然めげない、手強い女だよ、こうちゃんは」



 そう言うと、呆れたように笑う冬翔くんに、照れ笑いを浮かべる夏輝くん。



「けど、もうそろそろ限界だった。聞いてただろ? 冬休みに、菊子ばあちゃんと一緒に、こうちゃんを泊まらせる計画」


「うん…」


「その手伝いを、僕にもさせるつもりなんだよ」


「何でそんなこと、おまえに!?」


「アイツは、僕が言いなりになると思ってる。反抗すれば傷め付けられることを、小さい頃から、身体に叩き込まれて来たから」



 その言葉に、冬翔くんのパジャマを捲った夏輝くんは、至るところにある傷跡を目にし、言葉を失いました。



「それに、アイツはジュース・デーのことも感づいてたから、もし、予め食べ物や飲み物に睡眠薬でも仕掛けられて、全員寝ちゃったら完全にアウトじゃん? だから、特に自分の食べるものには、厳重に警戒してた」


「そこまでしてたなんて、全然知らなかった。みんなのことを悪く言ったのも、そういうことだったんだ?」


「とにかく、こうちゃんだけは、どんなことしても阻止しないとと思って」


「聞いていい? 何でそこまで、こうちゃんのこと?」


「だって、可哀想じゃん。いくら何でも、僕ほど酷い扱いはされないとしても、あんな思いするのは、僕一人で十分だし」


「冬翔…」


「それに、女の子はさ、初めてはやっぱり好きな人じゃないと。だろ?」


「うん…」


「おまえさ、ちゃんと、こうちゃんにキスしてやれよ」


「は? 何でそれ…?」


「薄い壁一枚隔てただけだぞ? 会話、全部筒抜けだし~」



 思わず赤面して黙り込む夏輝くんを、可笑しそうに茶化す冬翔くん。



「いいよな~、僕もキスしてぇー!」


「おまえ、好きな子とかいるんだ?」


「いねーよ。ってか、キスなんてしたことないからさ」


「え? だって…」


「アイツ? そんな愛情表現なんかしないし、僕はただの処理係で…」



 そう言い掛けた冬翔くんを、思わず抱きしめた夏輝くん。淡々と話してはいますが、それがどれほど辛く、屈辱的なことかくらい、容易に想像がつきます。


 誰にも知られず、たった一人でそれに堪えて来た彼の気持ち、そして身体に残る傷跡を見ると、心が押し潰されそうでした。



「ずっと、おまえ一人に辛い思いをさせて、ホントにごめんな」


「もういいって」


「でも、僕にバレた以上、もう父さんも、おまえやこうちゃんに手を出すことはないと思うから…」


「甘いよ」


「え?」


「アイツは、そんな簡単じゃない」


「でも…」


「信じたい気持ちは分かる。でも、異常なんだよ、アイツの執着心は」



 それは、ずっと父親の裏の顔を見て来た、冬翔くんならではの言葉でした。


 そして、こう続けたのです。



「いずれまた、こうちゃんを狙って来る。どんな手段を使ってでも、自分の目的は果たす、それがアイツの本性なんだよ」


「僕が説得すれば、きっと…」


「言葉では、快諾するだろうけど。でも、約束は守らないよ」


「そんな…じゃあ、どうすれば…」


「もし、ホントにアイツがこうちゃんを毒牙にかけようとしたら、その時は…」


「その時は…?」


「僕が、自分の手でるから」



 さらりと言ったその言葉の意味が、重く心に圧し掛かる反面、どこか現実味を帯びない遠い世界の話のようでもあり、複雑な感覚で受け止めた夏輝くん。


 肯定でも否定でもなく、ただ黙って頷いた彼に、小さく唇に笑みを浮かべ、ポンと肩を叩くと、



「心配すんなって。アイツがこうちゃんに変なことさえしなきゃ、僕だって好き好んで犯罪者になんかなんねーよ」


「そう…だよな」


「させないためにも、こうして一番近くで監視してるんだからさ」



 その言葉から、冬翔くんのとてつもなく強い決意が伝わりました。



「もう遅いから、そろそろ寝ようか?」


「そうだな」



 頷きながら、冬翔くんのベッドに潜り込む夏輝くん。



「何だよ? 自分のベッドへ行けよ?」


「たまにはいいじゃん? 子供の頃は、よく一緒に寝てたし」


「つか、狭っ! おまえ、デカくなり過ぎ!」


「おまえもな! でも、聖に比べたら可愛いもんだけど」


「あいつの場合、規格外だし」


「それは言えてる!」


「って、どさくさに紛れて、足乗せんなって!」


「おまえこそ、冷たい手くっ付けて来んじゃねーよ!」



 可笑しそうに笑いながら、子供のようにはしゃぐふたり。


 不意に、夏輝くんが独り言のように言いました。



「母さんのお腹にいたときも、僕たち、こうしていたのかな?」


「そう…かもな…」


「冬翔…?」



 呼び掛けには答えず、静かな寝息を立て始めた冬翔くん。


 夏輝くんが眠っていた間、一睡もしていなかったのでしょう。



「ずっと、一人だけ辛い思いさせて、ごめん…」



 眠っている冬翔くんに向かってそう呟き、そっと彼の顔を撫でると、涙が溢れました。


 知らなかったとはいえ、酷いことを言ってしまった自分を一切責めることもせず、献身的に看病までしてくれた冬翔くん。



「お休み。ゆっくり眠ってよ…」



 これからは何があっても、自分が彼を守ると誓ったのです。


 しばらく寝顔を眺めていましたが、静かな寝息を聞いているうちに、夏輝くんも深い眠りに引き込まれて行きました。


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