75話 今は昔

 今日ここに集まった目的は、夏輝くんのお墓参り。命日はまだ先ですが、今年は彼が亡くなって26年目、二十七回忌法要の年に当たり、こうしてみんなでスケジュールを合わせたのです。


 北御門家の菩提寺は、祖母の実家『はとぽっぽ』の近くにあり、ただ一人の墓守である冬翔くんに代わり、実花子さんがお世話をしていました。


 再開発の波で、かつて『はとぽっぽ』があった場所も今では巨大な複合施設に生まれ変わり、当初この菩提寺も移転する計画でした。


 ところが、境内の古い祠の撤去に取り掛かろうとした途端、事故が相次ぎ、以降度々工事が中断したため、祟りを恐れた関係者により、元のまま残すことになったのです。





 お盆で、お墓参りに訪れた人々でごった返す境内を、北御門家のお墓へと向かった私たち。


 山門の前で合流した実花子さんは、久し振りに会う私たちに目を細め、



「まあ、みんな大きくなって! 幾つになったの?」


「やだ、みっちゃんたら! 私たち、もう40になるんだから!」


「そうなの~!? 私も歳をとるはずよね~」



 そう言いながら、ころころと笑う彼女にとって、私たちは幾つになっても幼い子供のままなのでしょう。



「すみません、実花子さん。お墓のお世話を、任せっぱなしになってしまって」


「ふうちゃんったら、そんなこと気にしなくていいのよ~。うちも同じお寺の檀家なんだから~」


「それに、去年も…」


「それも、気にしなくていいの! ね?」


「はい」



 申し訳なさそうに答えた冬翔くんの腕を、実花子さんの手がポンと叩きました。


 じつは昨年、保さんが亡くなり、その葬儀を執り行ったのも実花子さんで、あれ以来、冬翔くんは一度も保さんと会うことはなく、葬儀にも戻らなかったのです。


 勿論、誰一人そのことを責める人などおらず、保さん自身、最期まで冬翔くんの名前を口にすることもなく、この世でたった二人きりの血の繋がった父子にも拘らず、他人よりもなお遠い心の距離が縮まることは、生涯ありませんでした。


 渡米して治療が始まると、激しい自己否定から何度も自傷行為を繰り返した冬翔くん。


 人は渦中に居るときよりも、そこから離れ少し冷静になったとき、より受けた苦痛を実感として噛みしめるもので、ひとたびフラッシュバックが起これば、それはもう想像を絶する苦しみが襲います。


 もし彼が専門機関でのフォローを受けていなければ、私たちは冬翔くんまでも失っていたかも知れず、瀬尾先生と、金銭的な部分でのフォローを続けて下さった国枝氏には、心から感謝するばかりです。


 その後、法医学の道に進み、現在はカリフォルニアの検視局で監察医の仕事に従事。毎日、何体ものご遺体を解剖するのは大変じゃないかと尋ねると、



「あれこれ聞かれない分、死体のほうが気楽なんだよね」



 とジョーク交じりに答えた冬翔くん。


 こうして私たちとは普通に話をしますが、今も人と関わることが苦痛だと言い、実の父親から受けた心と身体の傷は、四半世紀を経た今も尚、その呪縛から解放されずにいるのです。


 法要が始まり、ご住職さまの読経が流れる中、ふと思いました。もし、夏輝くんが生きていたなら、千鶴子さんや保さんのその後の運命も違っていたのだろうかと。


 時代の流れで世論も変わり、齢や経験値を重ねた今なら、あの状況を打破する手段はいくらでもあるというのに、過ぎた時間を戻せるはずもなく、私たちに出来るのは、今は亡き人を偲ぶことだけしかありません。


 その後、予約していた近くのレストランで、ささやかな食事会を開き、夏輝くんとの想い出を語り合い、この日はお開きとなりました。





 タイトなスケジュールの中、帰国前にふたたび集まったジュース・デーのメンバーたち。集合場所である我が家の外観に、誰もが目を細めました。


 この家を建てる際、特に意図したわけではなかったのですが、完成したマイホームは、かつての北御門家の雰囲気に似た仕上がりになっていたのです。



「暑い中をようこそ!」


「こんにちは~!」「お邪魔しま~す!」



 笑顔で迎える夫とにこやかに挨拶し、それぞれがリビングのソファーに腰かけた位置は、かつてのポジションと同じでした。


 ぽっかり空いた夏輝くんの席に、何の躊躇いもなく着席する夫に、内心苦笑しつつ、そういう空気が読めないところに救われているのも事実です。


 当時の事は一通り伝えてはいましたが、当事者ではない夫と私たちの間に温度差があるのは致し方ないことで、それをお互いが気にせずに居られるというのも、夫の性格が成せる業。


 そうでもなければ、なかなかこんな重い過去を背負った女と、結婚生活など続けられないでしょう。


 そもそも、私と夫が結婚するに至ったのも、情熱的な恋愛とはかけ離れたビジネスライクなもので、私の実家の御家騒動が発端で、夫の会社とリヒトホーフェン製薬との繋がりが出来たという複雑な経緯があったわけですが、それはまた、別のお話。


 今回の聖くんの帰国の目的には、仕事の打ち合わせも兼ねており、持参した書類を広げ、真剣に確認をするふたり。


 一方で、念願叶って我が家の猫たちとの対面を果たし、向こうで猫たちのために選んで来てくれたお土産のおもちゃで、嬉しそうに遊ぶカイくんとエマちゃん。


 朋華ちゃんにしっかり指導されているのでしょう。宝物のように慈しみ、大切に大切に優しく撫でる手に、猫たちも嫌がることなく、安心して身体を預けています。



「ふたりは、もうピアノのレッスンを始めてるの?」


「ううん。自主的に遊びで弾いてはいるけどね」



 今の朋華ちゃんがあるのは、小夜子さんの英才教育の賜物であることは間違いありませんでした。


 当時は、女性が未婚で子供を産み育てることや、その子供に対する偏見が強く、世間に認められるのは並大抵ではありませんでしたから、そこには小夜子さんの意地もあったのでしょう。


 小夜子さんには感謝していますが、自分が親になった今、同じように自分の子供にしたいかといえば、答えはNOだと言います。



「いつか、本気でピアノをやりたいって言ったら、その時は、しっかりレッスンするつもりよ。『そんなんじゃ遅いのよ!』って、ママには言われそうだけど」


「そっか」


「それに、ピアノよりも、科学者としての才能に恵まれてるかも知れないでしょ?」


「確かに」「あり得る」


「将来どうなるかなんて、誰にも分からないものね」



 その言葉に、誰もが納得の表情で頷きました。


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