桜が咲くまでに
安佐ゆう
第1話 クリスマスの気配
満員の通勤電車から見える外の景色は、ハロウィンを過ぎたとたんに仄かにクリスマス色を帯びてくる。
こんな田舎でも、満員電車ってあるのだなあとうんざりするが、それでも会社から徒歩5分の駅から電車に乗ってたったの15分。降りてから10分も歩けば、家賃を払わずに済む我が家に帰れる。都会にいた頃のどこから飛び込んで良いか分からない人波を思えば、今の生活はまあ、悪くはない。
俺が実家からも程近いこの町に住むようになったのは、親戚の爺様の遺言で、小さな家を貰ったからだ。ちょうど仕事を辞めたばかりの俺には都合の良い逃げ場所だった。
爺様は変わった人で、庭にある桜の木をいつも眺めては、にこにこしていた。生涯結婚もせず、ほとんど家から出ることもない。何が楽しくて笑っているのか分からないが、穏やかな、いい爺様だった。
大人の集まりに辟易していた俺を、さりげなく庭に連れ出してくれるのだ。どんな話も、ふんふんと頷きながらずっと聞いてくれるから、その頃よく読んでいた流行りの本のことを延々話していた。異世界だとか、エルフだとか、そんな話を聞いては大げさに驚いたり喜んだりしてくれる。
今思えば、その頃の俺の話が記憶に残っていたのだろう。爺様はこの小さな家と、不思議な手紙を一通、俺に残してくれた。裏庭の桜の木が異世界に通じているという御伽噺だ。
信じるわけじゃあない。さりとて、忘れることも出来ない印象的な手紙だった。
家に帰りついた俺は、コンビニの袋をテーブルに置いて、いつものようにパソコンの電源を入れる。
画面には、最近嵌ってるweb小説のサイト。マイページからチェックすると、一番上にマサキの小説が更新されている。
弁当を食べながらさっと読んだが、今日もいい感じで飛ばしてる。マサキは主人公とヒロインが二人で手を取り合って魔王を倒す旅に出る、そんな話を書いている。このサイトで知り合った友人だ。
さっさと弁当を口の中に放り込んで、早速感想を書いた。
「読みました。相変わらずかっこいい話ですね!明日香がとにかくいい!続き、楽しみにしています」
程なく返事が返ってくる。
「Youさん、おつー!いつも感想ありがとう!明日香、頑張ったぜー!」
続きは近況報告のコメント欄だ。
「なあなあ、Youさんは今日はカク?ヨム?」
「今日はヨムかなあ。面白そうなの、見つけたんだ」
「ふうん。残念。Youさんの書くの、楽しみにしてるんだぜヽ(`Д´)ノプンプン」
マサキとコメント欄で会話するのは楽しい。マサキはこのサイトに登録して最初に親しくなった5人のうちの一人だ。あの頃はそれこそ、何時間もパソコンの前にかじりついて6人でチャットしたっけ。しばらくすればみんな落ち着いて、だんだん交わす言葉も少なくなり、今では毎日こうして話すのはマサキくらいだ。
「そういえばYouさん、桜の木は異世界につながってた?」
「まだ検証中。続報を待てww」
俺は爺様の手紙を素材に、短編を一本書いた。マサキはそれがいたくお気に入りで、続きを催促してくる。
桜の木が異世界に通じているのかどうかを、詳しくリポートするのは気が進まない。なにより、ネットで身バレするのが怖いからだ。それでなくとも、マサキは俺の住んでいる町の隣の市にいるらしいから。
「近所のショッピングモールが、昨日セールだったんだよね。服、狩ったぞう」
「狩ったってww」
「ありゃま、間違えたw」
「俺も昨日はあそこでショッピングだったなあ。3階に100均あるでしょう?マサキのおすすめのサボテン飼ってみた」
「飼うてwwww」
じゃあ昨日は、すれ違ったかもしれねえな。そう打ち込まれたコメント欄の向こうに、マサキの笑い顔が見えるような気がした。
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