御子は夢を視る

せせり

はじまりのおわり

ビュオオ、と荒々しい風が髪を巻き上げる。真白の髪が、陽の光に当たって眩く反射した。

「……——ツェル」

地を這うように低い声が、名を呼んだ。

「どうやら遅かったようだ」

少女は目を伏せた。髪と同じく、睫毛さえも白く染まっていた。その長い睫毛が、真紅の瞳に影を落とす。

「……」

少女が右手に持つ杖を、労わるように撫でた。赤い玉が、呼応するようにチカッと光る。

「すまない、無駄な労をかけた」

赤い玉が、また光った。

「また——私は、間に合わなかった」

眼下に見下ろすは街"だった"モノ。

家だったものは瓦礫となり、ヒトも、モノも、何もかもが炎に包まれていた。

「——お前が責任を感じることではない」

不意に、すぐそばで声がした。

振り返ると、後ろに男が立っていた。腰まで届く、長い真白な髪を風にたなびかせ、男は立っていた。いつの間にか少女が持っていた杖が忽然と消え失せている。

「ツェル、あなたは姿形を変えるのが負担だろう、大丈夫なのか」

「竜の我を心配してくれるか、アルティリアス?優しい『御子』よ、構わぬ」

男は微笑を浮かべた。

その瞳も、少女と同じく真紅の色に染まっている。

アルティリアスと呼ばれた少女は眉を寄せ、かぶりを振った。

「……御子、なんて仰々しいものはやめろ」

御子——或いは、祝福の子。

神にも等しい存在の、竜の加護を授かる人間がごく稀にいる。

竜の加護を授かりし者は髪は清らかな真白に染まり、瞳は炎のような真紅を宿す。彼らは人々から畏怖と敬意を持ってこう呼ばれる。祝福の子——御子、と。

少女はまさに、御子であった。

「アル、此処にもう敵の気配はない、退こう」

ヒトに扮した竜——ツェルは淡々とした口調で告げた。

「本当に敵の気配はないのか」

「我の言うことを疑うか?」

「いや……そうではない……だが、警戒はしておくべきだろう」

「我はお前の言いたいことが分かるぞ」

ツェルは背を屈め、アルと目線を合わせた。真紅の瞳と瞳とが、近いところで交わる。

「これでもう幾度目かの滅びだ。此度のものは小規模であったが、国も幾つか火の海となった。……お前の国も含めて」

「……」

アルは目を伏せた。

「……御子としての役割を果たせぬ、私の不甲斐なさゆえだ。私の予知はいつも間に合わない。——間に合わなかった」

幾度目かの滅び。

ツェルの言う通りだ。



——御子は予知夢を見る。

予知夢を見て、国の災いを知り、それを竜の力を借りて退ける。それが"御子"と崇めたてられる所以だ。

「炎……いつも、炎が拡がっている」

見るのは炎の夢だ。街の、国の瓦解だ。人々の命がまるでごみを放るように簡単に消し去られて行く世界。それをアルは目の当たりにする。夢だから熱くないはずなのに、見ているだけで熱さを感じるような。熱風が吹き付けてくるような。そんな光景。

自分の国が滅びる時も、そうだった。

「アルティリアス。自分を責めてはいけない」

労わるように、ツェルが頬をするりと撫でた。

「滅びは時として必然だ。そう自分を責めるものではない」

「……私の国の滅びは必然だったか?ツェル、あなたから見て」

ゴウゴウと炎が荒れ狂う。まるでアルを嘲笑うかのように風は吹き付け、炎はより一層強さを増して行く。

「我の運命はいつもお前と共にある。加護を授けたのだから」

「……私は」

アルが発したのは弱々しい声だった。

「私は……相応しくなかった……あなたの加護は、私には、あまりにも……!」

「アルティリアス」

ふわりと温かな体温がアルを包み込んだ。

視界が真っ白に染まる。ツェルに抱き締められたと気づくまで、数秒を要した。

「我がお前を選んだのだ。アルティリアス、大丈夫だ。……大丈夫だぞ」

アルはその大きい背中に手を回した。

竜も温かいのだ。まるでヒトと同じ。その温かさに身を委ねる。

ふふ、とツェルが笑う声が間近で聞こえた。

「帰ろう、アルティリアス」

温かな身体が離れて、ぽんと肩を叩いた。

途端に、ふらりとアルがよろめく。ツェルは慌てる様子もなく彼女を支えた。

「お前はもう眠った方が良かろう」

「……嫌だ」

眠るということがどういうことか知っている。

アルティリアスにとって眠るということは休息ではない。

悪夢だ。悪夢のような、現実を見るのだ。

己の無力さをまざまざを見せつけられる。それが彼女にとっての『眠る』という行為だ。

「……夢など見ない。この我が保障しよう」

ツェルが低い声で知らない旋律を紡ぎ出す。

子守唄のつもりなのだろうか。だとしたら、とんだ見当違いだ。アルはもう赤子ではない。

——だというのに、瞼は自然と閉じて行く。

「おやすみ……愛し子よ」





竜は憂う。

自分の加護を授けたたった一人の人間を抱えて。

「アルティリアス……」

柔い頬を指でそっと撫でる。

少女は目を開けない。まるで、死んでいるかのよう。

「お前はまだ絶望し切っておらぬのだな……」

少女はもうずっと目を覚ましていない。

少女が目を覚まさなくてなって、幾年が過ぎただろう。

長い指が少女の前髪を掬い上げ、左右に分けた。顔を近づけ、額同士を触れ合わせる。

ポゥ、と小さな光が灯った。

竜は人智を超える力を持つ。少しだけなら人の夢の中を窺い知ることが出来る。干渉出来る。

——それでも、竜は万能でない。

「……お前は今日も夢を視る」

眠る少女に、言い含めるように竜は言う。

「炎が全てを焼き尽くしてまた幾度かの滅びが起きる」

そして今度こそ目を覚ましてくれ。

竜は囁く。

少女はかつて『御子』と呼ばれた。

国を守るため予知夢を視、竜を操り、又夢を視る。そうして——目を覚まさなくなった。

「夢など絶望し切ってしまえばいい。お前がもう予知夢を見る必要はない」

竜は優しく少女を横たえると、天を仰いだ。

その姿が眩く輝き、ヒトならざるもの——竜へとみるみるうちへ変化していく。

「アルティリアスが起きた時に齟齬があってはならぬ」

アルティリアスは何も知らなくて良いのだ。

愛し子は腕の中で何も知らず微笑んでいればいい。


竜は一声、天に向かって吠えた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

御子は夢を視る せせり @sesenovel

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る