第119話 母親

 

 修行を始めて四日目、俺達は町の外でキキョウとケジローを待っていた。アカネの屋敷の庭で修行していた昨日までと違って今日は町の外での修行だ。


 前日までの主な修行内容は、俺たち五人にキキョウとケジローを加えたメンバーでお互いに相手を変えながら組手をし、それをアカネが見ながら悪い所を指摘して、時には組手で直接指導するという内容だ。そして一日の締めに魔力の流れを良くする型も行う。


 驚いた事にアカネにとっても素振りという形で型をするのは当たり前の事らしく、俺が一日の終わりに型をしたいとアカネに言うと、若いのに大したものだと感心されてしまった。


 俺達が屋敷を訪れた時に裏庭にアカネが居たのは、日課の型をしていたからだったらしい。

 ちなみにキキョウやケジローは侍という職に就いてからは型をしていなかったようで、その事をアカネに突っ込まれていた。


 昨日まではそういう風にアカネの屋敷で組手を中心に修行をしていたのだが、今日は昨日までとは全く違う修行内容になる。

 今日は一日かけてヒズールの外で魔物を狩る予定で、今から魔物狩りをしに行く所だ。


「キキョウさん、ケジローさん、今日はよろしくお願いします」


「おう、魔物の討伐は普段仕事でやってる事と変わらないからな。色々と教えてやるから俺とお嬢に任せとけ」


「ヒズールの民に危険が及ばぬ様に魔物を狩るのが本来の私の務め。今日は精一杯役目を果たします」


 門の外で待ち合わせをしていたキキョウとケジローが合流したので挨拶をする。


「そうですね、キキョウさんには俺達の都合に付き合ってもらって申し訳ないです。アカネさんとの修行はとても為になります。これもキキョウさんのおかげです。本当にありがとうございます」


 キキョウとケジローの本来の仕事はヒズール国内を巡り、魔物や盗賊を討伐する事だ。それを今は仕事を休んで俺達の修行に付き合ってもらっている。

 ヒズールでは無名で、ツテも何も無かった俺達が白銀級冒険者であるアカネに教えを受ける事が出来ているのは、ミチナガの紹介に加え、アカネの娘であるキキョウが一緒にいる事も大きいだろう、その事に対してキキョウにお礼を言う。


 するとキキョウが慌てて首を振る。


「いっ、いや!今回の件は私の未熟さが招いた結果。それに……どのような顔をして会えば良いのかわからなかった母上と久しぶりに会えたのはトーマ殿達のおかげだ。私の方こそ感謝を」


「な?俺達が何度も言っただろ?アカネ殿と一度会うべきだって」


「う、うむ、そうじゃな。母上と話をして、少しは気が楽になったのは確かじゃ」


 横から口を挟んできたケジローに複雑な表情を浮かべながら頷くキキョウ。


 キキョウは侍としての初仕事で訪れた村で、助けが間に合わず盗賊に襲われてしまった村の人達に責められた過去がある。そして間に合わなかった事に責任を感じ、自分を四年間も追い込んだ。


 その間ミチナガやケジロー達が、少し休みを取って家に帰るべきだと何度も説得したようだが頑なに帰ろうとしなかったらしい。

 だが今回、キキョウが俺達を盗賊と間違えて襲ってしまった事のお詫びに、俺達のヒズール滞在中に出来る範囲で最大限の世話をするという名目で付き合ってもらっている。

 これはミチナガの考えで責任感の強いキキョウの性格を逆手に取った形だ。


 そして俺達と一緒に実家に帰って来たキキョウは、毎晩のようにアカネと話をするようになってからはまるで憑き物でも落ちたかのように表情や態度が柔らかくなった。


 キキョウにとってのアカネ、母親という存在はきっと特別な存在なのだろうな。

 そう言えば俺は母親の事なんて何も覚えていないんだよな、母親ってどういう存在なんだろうか?


 そこまで考えて、何故かジーナの顔を思い浮かべながら馬車を走らせた。






「トーマ、その道は右に行ってくれ」


「了解です」


 荷台からのケジローの指示を受け、二本に別れている街道を右に進む。


 馬車を走らせながら、ヒズール内での移動では俺の隣が定位置になっているレイナに話しかける。


「どう?レイナもキキョウさんとは上手くやっていけそう?」


 狭い御者台の直ぐ隣に座るレイナが俺を上目遣いで見返してくる。


「はい、まだお互いに少し気を遣ってしまいますが、それでも笑顔で話せるようになりました」


 レイナはキキョウにあまり良い感情を持っていなかったのだが、キキョウから薙刀の扱い方を教えてもらっている内にだいぶ打ち解けた感がある、毎晩一緒に料理をするのも大きいだろう。


「それなら良かった。昨日の味噌汁もキキョウさんから習ってレイナとセオが作ったんだよね」


「はい、味噌の適量や豆腐の切り方を習って作りました。今日は煮干しから出汁を取るやり方を教えてくれるそうです」


「アカネさんやケジローさんもレイナとセオの腕には驚いてたからね」


 そう言うと恥ずかしそうにはにかむレイナ、だが直ぐに何かを考え込む様子を見せる。


「どうかしたの?」


「あっ、いえ……その、セオの事なんですけど」


 セオの事?そう言われ、考える。


 前から魔法を覚えたがっていたセオに、今回のヒズール滞在中でレイナが魔法を教える予定だったけれど、現状は組手が中心で魔法の事が後回しになっているのでその事だろうか?そう思っていたのだがレイナの口から意外な言葉が出る。


「セオ、ヒズールの料理を作る時、いつもより元気がないんですよね。多分、村の事を思い出しているんだと思います」


「村って、セオとテオが住んでた村の事?」


「はい、セオは味噌を使う料理も知っていたし、他にもヒズールで手に入る食材をいくつか知っているようなんです」


 そう言われると確かに、関所の方で手に入れた味噌を使って豚汁を作った時に、テオが村で食べた事があるって気付いたんだよな。


 それでセオに聞いてみるとテオとセオの村が昔、まだ豊かだった頃はよくヒズールに買い出しに行ってたって事だったよな。それならセオがヒズールの他の食材を知ってても不思議ではないな。


「セオ、いつもは本当に楽しそうに料理をするんですけど、アカネさんの家に来てからは少し元気が無くて、毎晩料理を教えてくれるキキョウさんも気を遣ってくれてるんですけど……」


 なるほど、レイナがキキョウに対しのわだかまりが無くなってきたのは、二人で一緒にセオの事を気に掛けてた事もあるのかもな。


「それに、キキョウさんがアカネさんと会って元気になったのも少し影響しているかもしれません」


 ふむ、キキョウは家に帰ってきて母親であるアカネと会ってからは明らかに元気になっている。

 それをヒズールの食材で村や両親の事を思い出しているセオがキキョウとアカネの関係を見ると何か思う所があるのかもな。


 俺も、キキョウとアカネの関係を見てから、顔も覚えていない母親の事を考えたしな。


「私とお姉ちゃんはお母さんにはもう会えないから納得するしかないんですけど、セオはそうじゃないから……」


「そうだね、俺も母親の顔なんて覚えてないから平気だけど、もし母親の事を覚えていて、母親の住んでる場所の近くまで来てるって思ったら気になるかもね」


 ヒズールは獣人界の隣だ、俺もヒズールを出たら獣人界に寄ってみたいと思っていたのでテオとセオの村も行って行けない事もないだろう。ただ、テオは何となく連れて行っても大丈夫そうな気がするんだけど、セオはどうなんだろうな。


「親との関係がどういう物かわからない俺にはこういう事は難しいな。ごめん、あまり力になれなくて」


 俺には良い考えが出せる気がしないので、素直にわからないと謝る。これがテオが悩んでるって言われたら直接テオに聞けるんだけど、セオには流石に聞けないしな。


「あっ、いえ、私の方こそすいません。トーマさんの昔の事を忘れてました」


「ん?あぁ、俺は昔の事は全然気にしてないから大丈夫だよ」


 慌てて謝るレイナに手綱を握りながら軽く返す。日本での事は辛かったけれど、ここに来てからの毎日が充実し過ぎてて全然思い出さないしな。


「こういう話はジーナさんに聞いてもらえれば良さそうなんだけどね」


 話の途中で再び顔が思い浮かんでいたジーナの名前をつい口に出してしまった。

 その名前が出た途端、申し訳無さそうな顔で俺に謝っていたレイナも笑顔を見せる。


「ふふ、そうですね。ジーナさんは何でも相談出来る人ですよね。何だかお母さんみたいです」


 あぁ、そうか。もしかして俺はジーナの事を無意識に母親とはこういうものだろうかという目で見ていたのかもしれない。それでキキョウとアカネの事、セオの両親の事を考える時にジーナの顔が思い浮かんだのかもな。


「そう言えばジーナさんって子供いないの?」


 ふと思ったので何気無く聞いてみる。


「それが、一人息子がいたみたいなんですけど、小さい頃に病気で亡くなったみたいです」


「……そうなんだ」


 何気無く聞いた事に意外過ぎる返事が来てしまい戸惑う。


「私もお姉ちゃんからしか聞いてないので詳しくはわからないんですけど、でもジーナさんやノーデンさんは昔の事だからってあまり気にしてないみたいです」


「う、うん」


 何とか言葉を返す。

 そうか、あんなに元気で明るいジーナにも色々あったんだな。むしろ色々とあったからあんなに大らかで頼りになる人になったのかもな。


 少し湿っぽくなった空気を変えるようにレイナが口を開く。


「セオの事は私も気に掛けてますし、キキョウさんと一緒に様子を見てみますね」


「うん、何が出来るかわからないけど一応俺も気に掛けてみるよ」


 そこまで話をして、それからは暫く無言で馬車を走らせた。

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