108.永遠のバカ輪廻

 バカ達が合流し、父さんへのお祈りと報告を終えると、次は少し離れた場所にあるアインスの母親のお墓へ移動した。


 アインスと母さんが丁寧に石を磨き上げ、周囲を掃除する。


 ここだけは、あたし達は手出しが許されない。



 アインスのことを我が子のように思っているけれど、アインスの本当の母親はこの人なんだと、本人だけでなく、あたし達にも忘れてほしくないんだろう。



 太陽光を跳ね返して輝く墓石を見つめながら、あたしは彼女にたくさん言いたいことがありすぎてわからなくて、結局『ありがとう』の一言を、心の中で伝えた。



「アインス……マイミに、ちゃんと報告した?」



 母さんの言葉に、アインスが笑顔で頷く。



「したした。産んでくれてありがとうって伝えたよ!」



 すると母さんはほろりときたらしく、目頭を拭った。



「良かった……本当に良かった。マイミ、喜んでるよ。最期まであんたのことを気に病んでたから。あんたにひどいことをしたって……あんたを愛してるって……きっとすごく喜んでるよ、喜んでるよ」



 モンスターの目にも涙、か。



 感涙にむせび泣く母さんとそれを抱き締めるアインスを見つめて、部外者のあたし達は顔を見合わせて苦笑いした。



「泣くなよ、モルガナ。俺が泣かしたみたいじゃん。ママが俺を愛してたなんて、とっくに知ってたよ。エイルが教えてくれたから」


「エイルが?」



 母さんがあたしを見る。


 ありゃあ、やばいな。あれ、口から出任せだったんだよな。



『ママはアインスのことがずっと好きだったって』



 怒られるかな、と思ったけど、母さんは何も言わずに頷いただけだった。あたしも曖昧な笑顔を返す。



 そこで、アインスがあたしに近付いて来て――信じられねえ! このバカ、皆の前でキスしやがった!



「何しやがんだ、このバカ猿!」


 思い切り頭を殴ると、抱き上げられてからのモンキープレス!


 苦しい! 朝の御飯が出ちゃう! あんまり食べてないのにもったいない!


 腰を締め付けられ藻掻くあたしに、アインスはあの悪戯っぽい笑みを向けた。



「だって、こんなに人がいたらママ、どれがエイルか、わかんないじゃん?」


「身体的特徴を伝える言葉すら入ってねえのか、この付いてるだけの空っぽ頭には!」



 抱きかかえられたまま、あたしはまたアインスの頭を殴った。さっきは平手だったけど、今度は拳だ。



「ってえな! ああ、そうですね! チビッコ筋肉マンって言や伝わりましたね! すいませんでしたね!」


「そのあだ名やめろっつってんだろうが! この頭にはくだらねえもんしか詰めらんねえのか!? ただのゴミ箱か!? このゴミの回収日いつ!?」


「叩くな! ミクルにセットしてもらったのに! てかてめえの彼氏が髪型変わったことにも気付かねえのか、ブスッコ筋肉マン!」


「ああ、悪かったな! お猿は毛並みが命でしょうけれど、あたしは人間ですからねえ! 人間に進化するくらいの大変化じゃなきゃ、気付きませんねえ!」


「その猿と交尾したんだから、お前も猿だろ! これから死ぬほど可愛がってやるよ! 楽しみにしとけ、眼鏡猿!」


「処女失ったって人間まで失ってねえんだよ! お前なんかと二度とやるか! 次なんかあると思うな、色ボケ猿!」



 恒例のバカバカしいケンカに終止符を打ったのは、アインスの頭を叩いた母さんと、あたしの尻を叩いたノエル姉。



 けれど憤怒に激昂していた朝と違って、二人は大笑いしながら、声を揃えて言った。




「お前ら、少しも変わってないな!」




 墓所巡りを終えれば、あとはクライゼ家へ戻るのみ。


 ホテルと墓所だけというショボい内容でも、クライゼ家では皆が楽しみにしている夏恒例の一大イベント。もちろん、家に帰るまでが旅なのであります。


 復路では、車に乗るメンバーが大幅にチェンジ。


 ヨッシーの車には、ノエル姉と母さんに加えてミクルとサシャ。

 アインスの――正確にはカミュのものなのだが――車には、あたしが一人乗せられた。ババア二人の粋な計らいによって。


 小腹が空いたから何か食べてこ、なんて話してたんだけど、ところがバカアインス、道を間違えやがった。


 どうしてこうなったのかよくわからないまま、どこかの山に入り込んで、ぐいんぐいん登る! ぎゅんぎゅん下る!


 崖に落ちそうになったり、急カーブで追突しそうになったりする度に二人で悲鳴を上げ、過ぎれば罵り合うという繰り返しを経て、あたし達は何とか地上に降り立ち、取り敢えずは無事、クライゼハウスに到着した。


 何か食べに行くとか、無理だったよ。二人共、そんな気力なかったよ。



 ご近所さんにお願いして空き地に車を停めさせてもらうと、あたし達は玄関ではなく、裏手から庭に回って、ニールの眠る木に水を遣った。


 二人揃っての、五年ぶりの儀式。


 この後、アインスは一日だけ、あたしのお願いを一つ叶える。仲直りした時に決めたルールだ。


 五年前は確か、一日静かにしてくれ、と頼んだっけ。



「よしエイル、このアインス神に願いを申せ! 何がいい? あ、いいこと教えてあげる。アインス神の得意分野は、実はエッチ系だよ!」



 へーそうなんだ。滅びていいよ、そんな腐れ神。


 あたしはバカを無視して、頭をひねった。いつものことだけど、なかなか思いつかない。だってこいつ、毎回裏をついて腹立つことしてくる、バカの天才なんだもん。


 ちなみに静かにしろと言った一日は、無言でちょっかいかけまくってきたよ。死ぬほどウザかったなあ、あれ。



 今年は――ああ、そうだ。一つ、気になってたことがあったんだ。



「…………何でも、いいんだよな?」



 確認するように、ブルーグレーの澄んだ瞳を見つめる。アインスは笑顔で頷いた。



「それじゃあさ、教えてほしいんだけど……アインスは、自分の父親のこと、どう思ってんの? 簡単でいいから、聞かせてくれると嬉しい」



 カミュの話、リリムちゃんの妊娠、ノーリちゃんの過去、父さんとの思い出――いろんなことがあった中で、あたしはずっと気になっていた。


 殆ど記憶に残っていないだろう、父親の存在をアインスはどう思ってるのか。


 母と自分を捨て、今どこで何をしているのかもわからない、アインスの唯一の肉親。


 その人に、アインスはどんな思いを抱いているんだろう。その思いに、苦しんだことはないんだろうか? もしかして、苦しみ続けているんじゃないだろうか?



 だとしたらあたしは、ひどいことを聞いているのかもしれない。でも、今じゃなきゃ聞けない気がしたから――。




「え、ディランのこと? おもろいおっさんだと思ってるよ」




 人懐こい笑みを浮かべたまま、アインスはあっさり言ってのけた。




 な、ん、で、す、と?




 あんぐりと口が開きっぱなしになってしまった。だって……だってだってだってだってだって!



「あ、話してなかったっけ? 初めて会ったのが……十一か十二歳の時だったかな? ビックリしたよ、学校から帰ったら普通に家に上がり込んでて、普通に俺の漫画読んでゲラゲラ笑ってたから。二人して漫画読んでゴロゴロしてたらオルディンも帰ってきて、ぶったまげてた」



 そこでやっと、オルディンによってお互いを紹介された二人は、互いにジロジロ眺め回し合ってから同時にこう言ったという。



『悪くないじゃん』



 初の親子対面なのに、この台詞――今のあたしと同様に、オルディンもさぞ唖然としただろう。



「で、二人して遊びに出かけて、また遊ぼって言って別れた。カッコ良くターンしようとしてゴミ箱に躓いて、生ゴミまみれになってたよ! 面白い奴だろ? で、二回目はオルディンの葬儀の時。一緒に暮らそうって言われたけど、断った。ディランなら、今オルディンん家に住んでるよ。今度会いに行く? 俺に似て、なかなかイケてるよ。まだ三十八だし」



 いやいや、おかしいだろ。


 何、このあっさり具合……普通もっと泥沼じゃない?


 『お前が俺を捨てたからこんな目に!』

 『許してくれ、息子よ!』


 とか、


 『会いたかったよ、パパ!』

 『寄るな、お前なんか俺の子じゃねえ!』


 とか、ないの? 何もないの?



 何なの、このライト感…………あたしには理解できない!



 アインスは笑いながら、呆然とするあたしの肩を抱いた。



「まあ、普通ならキレたり泣いたり、いろいろあるんだろうけどさ。俺もディランも、そういうのあんまり気にしないみたい。そういうとこ、似てんだよな。何たって親子だし!」



 気にしなさすぎ通り越してるだろ!


 ウソ……バカって、こんなにしっかり遺伝するの?

 じゃ、こいつの子供もトンデモバカになるの? バカの輪廻は巡り続けて、エターナルバカとなるの? 永遠すら超越するバカなの?



「それに、ママとディランのおかげでエイルに会えたわけだし。二人が仲良しだったら、俺、今頃こんなとこいねえよ。顔もいいし頭もいいし、性格もいいし要領もいいし。マギアで王国の一つくらい築いてたかも。やべ、雲の上の人じゃん!」



 すげえ自信だな。


 てかマギアと言わず、今からでも野猿集めて『ウキッ★お猿だらけ王国! バナナもあるよ!!』っての作ればいいじゃん。お猿王国の王様になればいいじゃん。



「あ、金持ち美女に見初められるってのもアリかな! で、上流階級の仲間入り!」



 まあ、ペットの猿としてなら可能かもしれんな。



「あれ、待って……じゃ俺、不幸なんじゃん? 今頃は金も権力も何もかも手に入れて悠悠自適の生活してたはずなのに。こんなチビッコ筋肉マンに、十五年振り回されてさ。やっぱディラン、殴りに行かなきゃ」



 こんの、ガキ……人が黙ってりゃ、宇宙の果てまで付け上がりやがって!



 あたしは盛大なため息をつき、肩を抱くアインスの手を振り解いた。




「あたしが代わりに行ってきてやるよ…………お前の屍を越えてな!」




 あたしの渾身の右ストレートが、アインスの鳩尾にがっつり決まった。

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