104.ブサイク仮面の御利益

 くちびるを噛んで耐えていたら、アインスがいたずらっぽく笑ってみせた。



「声、出したら? 俺、エイルのアハンウフン、聞いてみたいんだけど」


「出せるか、バカ!」


「出さぬなら、出させてみせるまで!」



 そういうのいいから!

 そこで闘志剥き出さなくていいですからぁぁぁ!!



 しかし、アインスは執拗だった。さすが十五年あたしの追っかけやってただけあって、しつっこいのなんの!


 カミュもクソしつこかったけど、まだ可愛く思えたくらいだ。


 懸命に耐えてたけど、結局完敗。今まで出したことのない声を散々上げさせられて、恥ずかしさで死にそうになった。多分三回くらい死んだ。



 それからアインスは隙を見て、ショートパンツにまで指先をもぐりこませてきた。



 もう何が何やらわかんなくなってたあたしも、それには跳ね起きた!


 ……が、アインスにぶち当たって倒れる。


 しかし諦めずにまた起きて、ショートパンツに手を突っ込んでるアインスの手首を握り、必死の形相で首を横に振り立てた。



「何でさ? よろしくっつって了承したじゃん」


「いや、あの…………怖、かったんだ。すごく」



 アインスの表情が、なくなる。



「だって仕方ないじゃん。やだっつってもやめてくれないし、母さん呼んでもお前呼んでも、誰も助けに来ないしさ!」



 脳裏に、その時の情景が生々しく蘇る。


 引き裂かれる衣服の音、冷たく燃えるカミュの瞳、初めて触れた異性の証、殴られる痛み、そしてアインスを呼ぶ自分の声。


 まさに絶望の嵐が巻き起こったあの夜――思い出したら、恐怖以上に、ものすごく腹が立ってきた。



「結局、自分で逃げ出してさ! 母さんはすぐ来てくれたのに、お前は何をやってたんだよ! お前の名前呼ぶ度に殴られまくったんだぞ、ええ!? それでも一番たくさん呼んでたのに!」



 我ながらひどい八つ当りだ。だけどムカつくんだから、仕方がない。


 アインスは黙って話を聞いていたけれど――――あたしの言葉が終わるや、すぐにいつもの悪戯を企むような笑みをくちびるに浮かべてみせた。



「何だぁ、知らないの? エイルを助けたの、俺なんだぜ!」



 あたしは目が疑問符になった。こいつに助けられた覚えなんざ、さらさらねーっすよ?



「はい、答え! 携帯電話、鳴ったろ? あいつの。あれ、俺。奴に用事あってさ、店にもいないから電話したんだよ。偶然っつったらそれまでなんだけど、あれのおかげで逃げられたんだろ? ならやっぱり、俺のおかげじゃね?」



 カミュの気を逸らした、柔らかな音楽を思い出す――あれ、携帯電話の着信音だったのか。


 恐らく、グラズヘイムからだとわかるように音を設定していたんだろう。それであんなに隙ができたに違いない。何だかんだであいつ、あの店を大事にしてるもんな。



 もしかしたら、これもあのブサイク仮面のおかげかもしれない。

 ブサイクプロデュースの魔除けパワー、マジすごい。帰ったら毎日、お祈りとお供え物とキスを捧げよう。


 ありがとう、ブサイク仮面。

 これからもよろしく頼むよ、ブサイク仮面。



「エイル、いつまで俺にお祈りしてんの?」


「お前じゃねえよ、バカ。これは、お前が買ってきたあのブサイク仮面様に捧げる祈りだ」


「あらあら、そうですか!」



 アインスはそう告げると、上半身を起こしていたあたしを軽く突き倒し、ショートパンツを引き下ろした。



 あわわわわわ!

 パパパパパパンツも脱げちゃったよ!!



 これは…………恥ずかしい!


 生まれてから今の今まで、こんな恥ずかしい思い、したことないよぉぉぉ!!




「で? まだ怖い?」


「あ……え? いや、とても、恥ずかしい……んですけれど…………」




 ――恥ずかしいけど、怖くはない。同じ行為を求められてるのに、ちっとも怖くない。


 何でだ?


 何でって……そりゃ、相手がアインスだからだ。


 アインスなら怖くない。だって、あたしが一番好きな人だから。触れてもいい、むしろ触れられたいとすら思う人だから。



「怖くないなら、続きしますよ〜」


「は、はい……お騒がせして、すみませんでした。よ、よろしくお願い申し上げます…………」



 恥ずかしさで熱々の顔を眼鏡ごと両手で覆い、あたしは素直に答えた。すると、アインスはその手をそっと解いて、またキスをしてきた。


 でも、それだけじゃ足りない。もっと触れたい、触れられたい。触れ合って、確かめ合いたい。


 アインスのくちびるを、指を、全身を、あたしのこの身でしっかり確かめたい。




 …………と思ったのは、最初だけだった。




 あたしは甘く見ていた。この男の執念を。この男の恋心の重みを。


 十五年もの長きに渡り、想いを無視され続けるという鬱憤と共に熟成したそれは、もはや怨嗟に等しかった。


 もうね、好き好き愛してる、じゃないの。

 泣け泣け許さない、なの。


 気を失うまで愛撫され、敏感になり過ぎて触れられるだけで痛いくらいになった身体を、更にまた気を失うまで愛撫する。延々この繰り返し。



 メディカル・ハンターの戦闘訓練の方がまだマシだったかも……。


 もう無理、勘弁して下さい…………。



 こうしてあたしは、十五年越しの初恋の凄まじさを、嫌というほど思い知らされた。




「…………じゃ、身体も暖まってきたとこだし!」




 死にかけた魚をいじめていた猿は、そう告げると、ついに一枚だけ残されていた布を脱ぎ捨てた。



 おおう、そうだった……まだ肝心要が残ってんのか。


 あたし、これが終わったら自転車買ってサイクリングするんだ……。



 などと自分で死亡フラグを立てつつ、あたしは重く気怠い身体を起こして――久しぶりに、一糸纏わぬアインスの姿を目にした。



 バランスの良い骨格。

 細いけれどしっかり筋肉のついた身体。

 背は小さくとも伸びやかに長い手足。

 瑞々しい光を放つ肌。

 身体のあちこちに輝く、ピアス。



 一緒にお風呂によく入った、幼い頃とはまるで違う―――立派な『男』に成長したアインスは、それでも昔と変わらない笑顔をあたしに向けていた。




 そして、ついに!

 その時がやってきた!!




「……エイル、間違っても母さんとか言うなよ? 俺、モルガナ思い出したら、さすがに萎える」


「わ、わかった。痛かったら呼ぶんだな? 呼べば召喚されるんだな!?」


「違う! お願いだからそれだけはやめてって言ってんの! 本当に来そうで怖いから!」




 緊張しながら噛み合わない会話をして、あたしとアインスは頷き合った。




 好きな人と、二人で一つになる。ずっと夢見て憧れた、この瞬間。




 なのにあたしは、眼鏡かけたままでいいのかな、とか、明日変なとこ筋肉痛になりそうだな、とか、あんまりロマンチックではないことを考えていた。


 そうでもしないと、不安で不安で仕方なかったのだ。

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