97.恋愛マスター斯く語りき

 そっと扉を開いて顔だけ出すと、暗がりの中、白いワンピースを着た人物がのしのし歩いてるのが目に映った。



「…………すげえ、めかしこんでったな」


「うわっ! ……何だ、エイル姉か。どこの生首かと思ったよ」



 グロスに光るくちびるを尖らせ、栗色の巻き髪を揺らしながら、五歳年下の妹、ミクルは冷蔵庫からお茶の入ったポットを取り出した。


「エイル姉も一杯やる?」


「やるやる!」


 あたしはマットレスから飛び出した。暗いこと考えてメソりかけてたところに、丁度良い暇潰しが現れたぞ!


 深夜に灯りを点けるとノエル姉に怒られるそうなので、ダウンライトだけの状態にした薄暗いリビングで、姉妹はダイニングテーブルを挟み、久々の再会を祝して乾杯し合った。


 七区にある広告会社でデザインの仕事をしているというミクルは、洗練されたムードをさらりとまといつつ、そのくせ女らしい色気もたっぷり放っている。まさに、女の中の女といった感じだ。


 何だろう、この差は。同じ血を分けた姉妹のはずなんだけどなあ?


「エイル姉、すごいガーゼしてんね。ついに整形に走った?」


「するかよ、お前じゃあるまいし」


「あたしだってしねーよ。元が良いんだから」


「そういや、またきれいになったみたいに見えるな。暗いからか?」


「きれいになったに決まってんじゃん。その眼鏡、度数合ってんの? 買い換える金も稼げねーのかよ?」


「まあ、中身は相変わらずね。ミクルさん」


「お姉様達ほどじゃなくってよ、オホホホホ」


 上の階で眠る親子を起こさないよう、あたしとミクルは声を殺して笑った。


「そうだ、ヨッシーが買ってきた酒まだ残ってるよ。せっかくだし飲もうぜ」


「あ~……浮腫むかなあ。いや、今日はもういいや。飲む」


 あっさり決断したミクルはさっさとグラスを二つ取ってくると、新たに開けた瓶からなみなみと酒を注いだ。そして乾杯もそっちのけで、一気に飲み干す。


 こいつ、可愛こぶって表じゃあんまり飲まないけど、実は相当な酒豪なんだよな。


 もちろん、あたしもそれに続く。


「エイル姉って、そろそろ三十だっけ? 全然見えないよね。高等部くらいから顔もスタイルもずっと変わってないんじゃね?」


「そうでもない。最近はやっぱり体力落ちたな〜って思うし、疲れ取れにくくなったし」


「見た目が変わらないならいいじゃん。あたしなんて、顔はたるむし体はたるむし、肌は乾くしで、キープするだけで必死だよぅ」


「そうは見えないけどなぁ」


 ミクルが昔から見栄えに気を遣っているのを知ってるから、あたしは適当に濁した。


 あらゆる化粧品を試し、様々な美容法に飛び付き、ダイエットにエステにジムと、美の追求には金に糸目をつけない。もちろん、衣類やアクセサリーだって妥協しないし、買い換えるスピードも早い。


 ファランと同じ年齢のはずだけど、落ち着いた雰囲気も相まって、ミクルの方が幾らか年上に見える。というか、あたしより大人っぽく見える。そのことも最近は気に入らないんだろう。


 次はいよいよアンチエイジングか? いやいや、ミクルのことだから、もうとっくに開始してるに違いない。


「今日の高等部の同窓会、超つまんなくてさあ。どいつもこいつも老け込んじゃって、昔は良かったみたいな話ばっかり。無駄に料金も高かったし、行くんじゃなかったよ」


「新しい化粧品でも買えばよかった、って?」


「マジそれ。学生ん時は格好良かった人がいてさ、期待して行ったわけ。そしたらハゲ、デブ、貧乏の三拍子。がっくりきたよね」


「何だよ、ミクル。あの彼氏はどうした? ほら、有名出版社に勤めてるとかいう……」


 ミクルはたっぷりマスカラを塗った睫毛を瞬かせてから、思い出したように笑った。


「やっだ、エイル姉! いつの話してんの? とっくに別れたって。そいつと別れて、こないだ別れたので……五人目? いや六人目だ、うん」


「相変わらずモテモテかよ。いい加減、一人に絞ればぁ?」


 呆れ半分羨ましさ半分で、あたしは嫌味ったらしくため息を吐いてみせた。


「まあね。そこらの女には、まだまだ負けない自信あるよ」


 褒め言葉の部分だけしっかり素直に受け取ったミクルは、自慢げに鼻を膨らませ、豊かな胸を誇示するように張った。


 やれやれ、大した自信ですこと。


「でもさ、何であの人と別れたわけ? あんなに好き好き言ってたのに」


 ミクルの空いたグラスに酒を注いでやりながら、あたしは尋ねてみた。恋多き妹にしては珍しく、かなり熱を上げていたようだったから、軽く気になったのだ。


「う〜ん……まあ、いろいろ。フィーリングが合わない、結局そこかな」


「フィーリング? 何ソレ? 性格が合わないってこと?」


 不思議そうに首を傾げると、ミクルはまた笑った。


「エイル姉には、難しいかなあ? 性格合わないってのもあるけどさ、センスが気に入らない、体の相性が合わない、浮気される、全部フィーリングが合わないせいだよ」


「浮気もフィーリングかよ。意味わかんね。てか、浮気されたこともあんのかよ!?」


「あるある! 修羅場も修羅場、ド修羅場を幾度となくかいくぐってきたよ。ひどい時には、五股かけられたこともあって、その全員の女と殴り合いしたっけね」


 あたしは唖然、とした。


「それで、よく立ち直れたなあ」


「だって、グダグダ泣いたって仕方ないもん。ま、本当の運命の人と出会うための試練ってことよ!」


 そこでミクルが、ドヤ顔を決める。あたしは吹き出してしまった。


「運命の人とか、クソ似合わねえ!」


「るさいな。女は幾つになっても、女なんですぅ〜。エイル姉こそ、早く嫁に行きなよねえ。後がつかえてんだからさ」


「あら、遠慮なさらずさっさと追い越して下さって構わないんですのよ」


「あ~、クソッ! 嫁に行きたくても相手がいねえ! 顔良し、性格良し、収入良しの三拍子揃った王子が見当たらねえ!!」


「バッカじゃねえの! そんな奴いねーわ。見付けたとして、どうやって捕獲すんだよ?」


「サシャの虫捕り網、あれいいんじゃん? 背後から忍び寄ってスポン、で捕獲完了。あれ……割と簡単そうだね!? おおおお、これなら何匹でもいける気がしてきた!!」


「で、あのお花型の虫カゴに保管しとくって? どんだけ小せえんだよ! そんな虫みてえなクソチビ王子、三拍子揃ってても要らねーよ!!」


 ぎゃっはっはっは、と二人してバカ笑いしていたら、視界が唐突に明るくなった。誰かが電気を点けたのだ。




 あたしとミクルが、恐る恐るスイッチのある方を振り向くと――そこには、ノエル姉のパジャマを着た、激昂状態のモンスターがいた。




 ノエル姉にがっつり怒られ、追い立てられるように部屋に戻ると――それでもあたしは、タオルケットの中で声を殺して笑い続けていた。


 運命の人、だってよ!

 リアルで言う奴、初めて見たよ!


 ……いや、まあね、あたしも心の中で思うくらいはあったけどさ。



 ふと、カミュのことが思い出された。



 優しくて、美形で、金持ちで、センスが良くて、気配りができて――運命の人かも、と思った。


 でも違った。


 無理矢理襲われそうになったからじゃない。最初から違ってた。


 カミュはただ、他の女と少し毛色の違ったあたしに興味を持っただけ。なかなか靡かなかったから、余計に執着してあんなことをしたんだろう。好きになろうがなるまいが、結果は同じだったろうな。


 あたしはカミュとのいろいろな思い出を、頭に思い浮べてみた。最後さえなけりゃ、完璧だ。ううん、ある意味、全部引っ括めていい経験させてもらった。


 これも、運命の人探しの試練、ってやつか。


 あたしはまた笑った。



 カミュも、アインスも、違った。



 さて、あたしの運命の人はどこだろう?

 心の翼は、いつか見付け出してくれるかな?


 見付けたら、しっかりと捕まえなくちゃだね。サシャの虫取り網を借りて。



 くだらないことを考えては笑い、笑ってはまたくだらないことを考えを繰り返して、あたしはやっと眠った。



 久しぶりに、弟だった想い人は夢に現れなかった。



 代わりに顔の見えない王子様と、お城で手を繋いでダンス……ではなく、城の中をランニングするという、摩訶不思議な夢を見た。


 ところがそいつ、とんでもなく足が遅くて、合わせるのがたるいの何の。ちんたらするのに我慢できなくなったから、結局手を振り解いて一人で走ることにした。そのままお城を飛び出して、目の前に広がる森を全力で走る爽快感は、素晴らしいものだった。



 どうやら夢の中でも、運命の人には出会えなかったらしい。

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