95.地元上等、実家最高

 時は、夏季休暇の真っ只中。


 しかし帰省ラッシュのピークは超えていたようで、電車はそこそこ混み合っていたけれど、一人なら座れるくらいの余裕があった。


 まだ仕事がある母さんは、一緒には来られない。片付いたら飛んでいくから、と最後まで心配する母さんに、あたしは手を振って、無理しないでね、とだけ伝えて駅で別れた。


 実家のあるマーブル第八区は、はっきり言ってクソ田舎だ。その距離、あたしの暮らす三区から電車でおよそ五時間。とんでもなく遠い。

 でもおかげで、昨日の分もしっかり睡眠を摂ることができた。長い時間同じ姿勢で固まってたせいで、体はバッキバキになったけど。


 何とか寝過ごすことなく実家の最寄り駅で電車を降りると、あたしは構内にあるスイーツショップでドーナツを購入した。十個入りを二箱分。これがないと家に入れてもらえないんだ、マジで。


 一緒に買ったアイスコーヒーのカップを手に、あたしは駅を出て、久々に真夏の太陽の下で生まれ育った街を見渡した。


 五年ぶりの、夏の帰省だ。


 実家へは駅から、更にバスで十分くらいかかる。けれどあたしはバスに乗らず、いつも歩いて帰ることを選ぶ。本数少ないから、ダラダラ待ってるより歩いた方が早いのだ。


 栄えた土地でないとはいえ、昔に比べると、街並みは随分と様変わりした。降りた駅も改装されてきれいになったし、新たな建物が建築されていたり、逆に取り壊されてなくなっていたり。


 けれど小さな頃よく遊んだ公園は少しも変わってなくて、くすんだ外堀の無駄に大きな噴水も、座ればコントみたいに潰れそうな数々のベンチも、記憶と同じ姿のまま健在だ。家並みも、ほとんど変化がない。


 今年は春に帰らなかったから、冬季休暇以来――といってもあの時は寒くてバスを使ったから、こうして歩くのはおよそ一年半ぶりになるのか。


 長年見慣れた景色をあちこち確かめるように歩けば、ここで過ごした半生が蘇ってくる。


 時折、アインスとの思い出も頭を掠めたけれど、そんなに気にならなかった。それよりももっとたくさんの思い出が胸の中を奔流して、懐かしくて甘酸っぱくて、くすぐったいような温かい心地が胸に広がる。


 特に、学生時代ランニングに明け暮れた河川敷の景色は、あの頃の真っ直ぐな気持ちを鮮やかに蘇らせてくれて、温かさを超えて熱さすら覚えた。


 変わるものもあれば、変わらないものもある――この街に、この景色に、『お前の居場所はちゃんと残ってるよ』って元気づけられたような気がして、少しだけ気持ちが楽になった。


 地元パワーすごい、超すごい。

 あのまま家に引きこもってたら、今頃まだウジウジグズグズ泣いてただろう。無理矢理でも送り出してくれた母さんに、感謝しなきゃだ。


 密集する住宅郡から控えめに一歩引いた微妙な位置――そこに、あたしの実家はある。


 亡くなった本当の父親が建てた家は、奥行があるわりに幅がないという、へんてこな形をしていた。だから前からだとすごく大きく見えるんだけど、横に回るととんでもなくペラいのだ。


 ちなみに煉瓦造りの我が家には現在、ノエル姉親子三人と妹のミクルが住んでいる。


 ショボい門を開き、ショボい数段の階段を上がり、錆びかけたチョコレート色のドアを開くと、あたしは五年ぶりの夏季帰省を果たした。


「ただいまあ!」


 クライゼ家では、どんな時も挨拶は元気良く。これを破ると、何度もやり直しさせられるのだ。


「おう、おかえりい!」


 間を置かずして、あたしに負けない大声が返ってきた。

 それと共に、玄関から奥へと真っ直ぐに続く廊下の途中――キッチンのある場所から、母さんに似た丸い顔がひょっこり出る。


「おい、宿賃は?」


 あたしは黙って、二箱のドーナツを掲げた。するとノエル姉は廊下を駆けてきて、そいつをさっと奪い取り、中身を確認しだした。食い物奪いに現れたモンスターかっつうの。


「うむ、よろしい。『リゾートホテル・クライゼ』へようこそ!」


「『安宿・暗いぜ』の間違いだろうが」


「生意気言うと、減量コースに変更だよ。さ、上がりな。サシャ達は今、出かけてる。今の内、ゆっくりしとけ。帰ったら、地獄の無限式遊んで攻撃が待ってるぞ」


 口の悪いのも相変わらずだ。あたしはスニーカーを脱ぎ、帰省した時いつも寝床にしている客間に向かった。あたしが使っていた部屋は、ノエル姉の愛娘のサシャに譲ってしまったので。


 リビングダイニングに隣接したその場所に荷物を下ろすと、背後から、ノエル姉の静かな声が降ってきた。



「…………母さんから、話は聞いた。気が済むまで、のんびりしていきな」



 母さん、ノエル姉に話したんだ。


 そうと知ると、あたしは振り向くこともできず俯いた。


 軽く暗い気持ちにはなったけど、それでもノエル姉の不器用な優しさが嬉しかった。顔の怪我に触れずにいてくれたのも、傷ついた妹にどう接しようか一生懸命考えてくれたからなんだろう。


「ありがと、ノエル姉。お言葉に甘えて、ゆっくりしてく」


 珍しくあたしが素直なものだから、ちょっと恥ずかしくなったらしい。


 ノエル姉はそれ以上何も言わず、勢い良く客間の扉を閉じたかと思ったら、照れ隠しにドカドカと足音を立てて遠退いていった。逃げ惑うモンスターかっつうの。


 取り敢えず、一人にしてやる、ということか。


 置いてあった扇風機を点け、あたしは横になった。カーテンは開いていて、狭いながらも手入れの行き届いた庭が見える。その中にどっしりと佇む一本の木を、あたしはじっと見つめた。


 あの下には、ニールが眠っている。


 あたしが拾い、あたしが世話し、あたしが愛した、白い大きな鳥の亡骸が。


 ボロボロだったくせに、拾い上げようとするとニィニィ鳴いて『このくらい大したことねーし』とでも言いたげに威嚇してきた。なのに差し伸べた手を引っ込めれば、またニィニィ鳴いた。『拾わねーのかよ』ってツッコミ入れるみたいに。


 本当にふてぶてしい奴だった。母さん達の前では『自分、物静かで高貴ですから』とばかりに気取って、でもあたしにだけは、遊べ構えと子供みたいにワガママ言って。


 あたしが修学旅行に行った時は、餌を食べなくなって栄養失調になった。帰ると、しつこくクチバシで突き回されたっけ。だけど就寝時間になるとベッドに降り立って、あたしの上にドスンと乗っかってきた。あたしがまたどこかに行かないよう、防ぐために。


 そんなニールが可愛くていじらしくて、重たくて大変だったけど、そのまま一緒に眠った。



 大好きだったニール――それを奪った、アインス。



 …………そっか。あたし、アインスのことが好きだったんだ。



 そう思うと、切なくなった。カミュに襲われかかったことなんかより、あたしにとってはそっちの方がよっぽどショックだった。


 知らないまま、忘れた方が良かったのに――現実はどこまでも過酷だ。


 その過酷なる現実について考えたくなくて、あたしはガーゼをした右側の頬を軽く押さえ、痛みで気を紛らわせた。カミュに散々殴られたせいで、腫れが増している。


 貴重品の入ったバッグを置いてきたことが、今更になって悔やまれた。携帯電話はあいつのだから構わないけど、財布の中には身分証や社員証が入っているのだ。逆恨みで、悪用されなきゃいいんだけど。まあいいや。そんなことになったら、ディアラ隊長にでも相談しよう。きっと鮮やかに討伐してくれるに違いない。


 電車でたくさん寝たはずなのに、また眠気が襲ってきた。まだ昨夜の疲れが残っているらしい。これでもかってくらい暴れて、これでもかってくらい走ったもんね。


 これ幸いとあたしは眼鏡を外して目を閉じ、今度は夢の世界へ逃げることにした。


 ゆっくりと暮れなずんでいく空気は懐かしい匂いに満ち、扇風機の柔らかな風は肌に心地良く、そしてニールの眠る木のさざめきが優しく耳を撫でる。


 精神的疲労と肉体的疲労に任せて、あたしは深い眠りに落ちた。

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