91.苦痛で制す者、恐怖で制す者

「電話でも伝えたけど、ほとんど片付いてたんだ。俺がやったことといったら、知り合いの何人かに声をかけただけ。そこから、グリフ・モーガンっていう、大きなギャンググループの取締役をやってる人が、俺と同じ目的で動いてることを知った。だから直接会いに行って、話を聞いてきたよ」


 あのオオカミ兄さんは、ギャング達の中では一目置かれる、ちょっとした有名人なんだそうな。


 グリフはカミュに、おおまかな事情を話した。


 あたしがある人物から理不尽な反感を買って、狙われるようになったこと。

 それには『サブリミナル効果』というものが使用されたこと。

 そこで信頼できる仲間達と共に、あたしの名前に反応を示す者を探し出し、彼流の『処置』を施したということまで。


 曰く、『痛みで教えを叩き込むのは、サブリミナルなんかより効果が高い』そうで――グロい話っぽいから、そこは省略していただいた。


「その『仲間』というのが――どうも、彼の手下だけじゃないようでね」


 カミュが、あたしを真っ直ぐに見つめる。逃げることを許さない、強い目だった。


 視線を逸らしたくなる衝動を懸命に堪え、あたしは覚悟を決めた。もう、観念するしかない。


 カミュは、もう処理は終わったというグリフの言葉を聞いても、そのまま引き下がらなかった。

 あたしを狙う者の存在を、突き止めなくては、また同じことが繰り返されるかもしれないと考えて。


 グリフが口を割らなかった、もしくは『知らされていなかったため語るに語れなかった』ため、カミュは暗示にかけられていた奴らを片っ端から訪ね歩いた。


 そこで気付いたのは、グリフが一人で動いていたのではなく、誰かと協力して情報を共有し合い、処理に当たっていた、ということ。


 暗示をかけられた者にあたしとグリフの名を出すと、反応が大きく二つに分かれたそうだ。


 グリフ・モーガンの名に、怯える者。

 そして、エイル・クライゼの名を聞くだけで卒倒しそうな勢いで激しく取り乱す者のニ種類に。


「後者は、誰もが口を開かない。相手がどんな奴だったか、殴っても殴っても話さない。よっぽど怖い目に遭ったんだろうね…………グリフは苦痛で、そいつは恐怖で、『エイル・クライゼに手出ししようなんて二度と考えるな』と、暗示を書き換えたんだ」


 再度グリフに尋ねたけれど、彼は頑として知らぬ存ぜぬで押し通したという。そりゃそうだ、思い出すのも嫌だって言ってたくらいだもんね。


 だけど、答え合わせなどしなくても、カミュにはそれが誰なのか、わかってしまったのだろう。


 だってあたしは、あの出来事の前に、カミュに電話してる。そこに弟はいるかと、必死な声で。


 なのにすぐ後には、縁を切った、なんて白々しいことを抜かして……矛盾だらけじゃないか。


 リリムちゃんやスキュマ、それにこの怪我については、どこまで予想がついてるかは、わからない。


 けれどもう、嘘はつけない。隠し続けることは、できない。



「…………そっか、バレちゃったか」



 あたしは小さく、呟くような声で白状した。


「暗示をかけていたのは、リリムちゃんだったんだ。あの子、実は魔道士見習いで……本当は催眠魔法で効率良くやりたかったんだろうけど、マジナじゃ禁止されてる魔法の一つだし、それにあの子も、マドケン一級受験中だったんだって」


 我ながら、取り留めのない説明だ。それでもカミュは頷き、伝わっていると意思表示してくれた。


「あの子、本当にアインスのこと好きだったんだよ。でも同時に、ライバルとして蹴落としたいとも思ってた。ねえ、彼女も同じ病院にいたの、気付いてた?」


「…………随分、前からね」


 そうか。カミュは、首謀者がリリムちゃんだということにも勘付いてて――そして、彼女をあんな目に遭わせたのが誰かということにも、行き着いていたんだ。


「見たなら、わかるよね? 彼女は、ちゃんと罰を受けた。だから、もういい。そっとしておいてあげて」


 カミュがまた頷く。それを確認してから、あたしはもう一度、口を開いた。質量はさっきまでと変わらないはずなのに、急にくちびるが重くなったような気がした。



「…………アインスと、縁を切ったのは本当だよ。でも、あんなことをしたからじゃない。あたしが、切り捨てられたの。あたしのせいで、迷惑かけたから。邪魔しか、できなかったから。ずっと、アインスを傷つけてきたから。それに気付かないまま、姉貴面してた、バカだったから」



 あたしは俯いて、自嘲を込めて小さく笑った。涙が出そうになった。


 何も言わずにいてくれた、何も聞かずにいてくれたカミュの優しさを実感して、嬉しいより苦しくなった。


 カミュの優しさは、アインスの冷たさを際立てる。あの冷ややかなアインスをより重く、より深く、より辛く感じてしまう。



「…………エイルさんは?」



 不意に、カミュが問いかけてきた。思わず顔を上げる。


 カミュは、とても悲しい瞳をしていた――幻で見た少年のように。



「エイルさんも……傷ついたんじゃないの? ずっと、自分が我慢してることに気付いてる? 今だって、泣き出す寸前みたいな顔してるのに」



 考えたこともなかった。

 あたしが傷ついたか、なんて。


 ただ、自分はバカだと、見限られて当然だと、そればかりで。



 あたし、傷ついたの? 傷ついてたの?


 だとしたら、何で傷ついたの? 何に傷ついたの?


 わからない。わからないけど、一番痛かった言葉は。



『…………二度と会わない』



 涙があふれた。


 あたし、あの言葉に傷ついてたんだ――傷ついたことにすら気付かないくらいに。どこが痛むかもわからないほどに。


 カミュの手が、慰めるようにあたしの肩にかかる。あたしは泣いた。ただ、開けられた傷口に気が付いたら、痛くて痛くて泣いた。無色透明だけど、これは確かに心の傷が流す血だった。


 あたしはあれからずっと、血を流していたんだ。


 カミュがスツールを降りる。そして座るあたしの目の前に少し身を屈めて、キスをした。あたしは涙目のままそれを受け入れた。



 けれど、そのキスはとても長くて――頭の中で警告音が鳴り響き始めた。



 カミュが、ぐっとあたしを抱き締める。抱き締めたまま、キスを続ける。



 待って……違うよ、これ。

 挨拶とか慰めとか、そういうのじゃない。



 そこであたしは、前にカミュとのキスで覚えた『違和感』を思い出した。



 引き剥がそうとカミュの肩を押し戻したけど、どれだけ力を込めても歯が立たない。


 その時、ふと、視界の隅に、バーカウンターと隣接するベッドが映った。



 まさか、そんな……いや、ありえない。



 これはカミュの悪い冗談に決まってる。離れたら、『びっくりした?』なんて言って笑うんだ。きっとそうだ。



 だって、そんなこと、あるわけがない。


 カミュがあたし相手にそんなことを考える……なんて、あるわけがない。



 そう言い聞かせながらも、あたしの心臓は危機感に激しく躍った。高速で打つ鼓動が、早く逃げろと急かす。


 やめろと叫ぶ口の中に、カミュの舌が絡みつく。何とか逃れようと、あたしは思い切り噛み付いた。


 するとカミュは身を引き、やっと離れてくれた。言い訳など待たずに、すぐにスツールを飛び降りる。


 けれど、あっさり捕まった。


 捕まった勢いのまま、あたしはバーカウンターの背後に待ち受けるベッドに突き飛ばされた。

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