75.ゴミング劇的ビフォーアフター

 ゴールド札を数えながら、あたしはスキップで弾み弾み、一旦キタセンに戻った。


 するとその途中で、道路を走っていた赤いスポーツカーが急停車。


 またもや刺客か!? と身構えたけど、運転席から飛び出してきたのは――半泣きのマキシマだった。お、今日のお迎え当番はマキシマだったか。


「姉さん! ずっと探したんですよ!? 無事で良かっ……ああ!? ど、どうしたんですか、その腕!?」


 マキシマの悲鳴に、あたしは左腕に視線を落とした。すると、白いジャージが真っ赤に染まっている。


 ――ああ、そうだった。あたし、ナイフで切られたんだ。ざっくりやられたんだ。


 途端に戦闘モードが解除され、普段の乙女モードに切り替わったあたしは、激痛と出血量に泣いて喚いて、救急病院へと搬送された。血のように赤い車で。




 幸い傷は浅く、縫合しなくても勝手に治ります、お大事に、という暖かい言葉をいただいた。


 手当てを終えて車に乗ると、マキシマは安心半分、呆れ半分といった表情であたしに自分の携帯電話を差し出した。


「アイちゃんに電話して、姉さんの声で無事を伝えてあげて下さい。職場で待ってたのに姿見せないし、携帯電話も通じないし、探しても見つからないし、見つかったと思ったら怪我してるし……俺からも概ねの状況は説明しましたけど、心配し過ぎて死にかけてますよ」


 いけね、そういや昨日は携帯電話の充電、忘れてたわ。そのせいで電源切れちゃってたみたいね。


 マキシマに促され、あたしはアインスの番号に電話をかけた。ワンコール待つまでもなく奴は出た。



『あ、あたし……』


『バカ! バカバカバカバカバカ! バカ!!』



 予め電話を耳から離しといて良かった。これを耳元で聞いたら、鼓膜が破れるところだったよ。危ない危ない。


「仕方ないじゃん。いつものくせで、自分の家に帰りそうになっちゃったんだからさあ」


『大事なこと一つ覚えらんねえのかよ! 筋肉達磨のブサイクバカ!』


 この野郎! 誰のせいでこんな目に遭ってると……いや、アインスのせい、ばかりじゃない、んだよな。


「アインス、猿小屋にいるの?」


『ブス探し回って、今帰って来たとこだよ! ブスブスブス!』


 このバカ猿、帰ったら成敗してくれる!

 でもその前に、状況説明だ。


「なら、話ある。すごく、大事な話。だから、起きて待ってて」


『…………わかった』


 あたしの声色を察知したらしく、アインスは素直に返事をした。空気が読める、とカミュも言ってたけど、どうやらお世辞ではなかったようだ。


 通話を終えると、あたしはマキシマに聞いてみた。


「マキシマは、リリムちゃんって子のこと知ってる? エルフ系の、とんでもなく可愛い子なんだけど」


 ああ、と答え、マキシマは笑った。


「知ってますよ。アイちゃんの大ファンの子ですよね。そういや、最近見ないな……」


「ショーフェスの時、お前があの子にあたしのことを教えたんだよな?」


「そうですよ。あの時、アイちゃんが姉さんをエスコートして来たでしょう? そんなこと初めてだったからか、彼女、凄まじい目で睨んでて」


 あたしは小さく息を呑んだ。カミュとカラオケして帰った朝に見た、リリムちゃんの冷たい顔が蘇る。


「刺しかねないような雰囲気だったんで、教えたんです。あれはアイちゃんのお姉さんなんだ、って」


 リリムちゃんの天使の笑顔と冷たい表情が、交互に頭の中で明滅する。


 『憎みかけたことも』『本当のお姉さんだったら』――耳奥では、彼女の声が代わる代わるリフレインする。



 彼女を、信じていいの?


 だけどそう思ってしまうのは――――『信じたくない』って、事実から目を背けて耳をふさいで、何とか粗探しをしようとする、意地悪な自分がいるからじゃないの?



 わけがわからない。考えなきゃいけないのに、考えたくない。


 リリムちゃん、愛人、新たな命、チンピラ、そしてアインスにあたし。


 これからどうなるんだろう。どうなってしまうんだろう。


 未来が、怖い。

 元の平穏な生活に、二度と戻れない気がして――怖くて怖くて、考えることから逃げたくなる。



 黙ってしまったあたしの隣で、マキシマは大きくため息を吐き出して、呟くように言った。



「これは個人的な意見なんで、聞き流して下さい。俺、そこそこ長く接客業やってますけど、リリムちゃんとかいう子みたいなタイプ、見たことがないんですよね……何ていうんですか、言葉にするなら『理想を絵に描いたような女』。あそこまで隙がないと、どうしても穿った見方をしちゃうんですよ。言い方は悪いけど、演技なんじゃないか、って。でも、そこまで彼女が徹底して自分を『作り込んだ』のは、それだけアイちゃんに惚れ込んでたから、だと考えたら、悪いことでもない、んでしょうけどねえ……」



 やけに歯切れの悪いマキシマの物言いは、あたしの耳に奇妙な余韻を残した。




 マキシマと共に猿部屋に戻ると、玄関ではアインスが仁王立ちで待ち構えていた。


「ただいま、猿」

「おかえり、ブス」


 姉弟合戦の火花が散りかけたものの、間に入ったマキシマによってさらりと吹き消される。接客業が長いというだけあって、こういう小競り合いのあしらいも上手いようだ。


 そこで、あたしは玄関が素晴らしくきれいになっているのに気付いた。


 あれほど溢れていた靴が、きちんと整頓されている。


 玄関だけじゃない。廊下を見やれば、通路を塞いでいた不要品が全くなくなっている。


 もしやと思いゴミングに向かうと――――何ということでしょう!

 ゴミ塚ひしめく汚部屋がすっきり片付けられ、本来のリビングの姿を取り戻しているではありませんか!


 こんなに広い空間だったのか、とあたしが感嘆の吐息を漏らすと、今朝までゴミに埋もれて見えなかったソファに腰掛けていたナリスが笑った。


「マオリが頑張ったんですよ。姉さんのために、って。あいつ、やり始めると何でも徹底的にやっちゃうから、この通り。これなら姉さんも安心して住めるでしょう?」


「そうなんだ……マオリは?」


「今日は夜から出勤なんで、今は寝てます。まだやり足りないってごねてましたけど、シファーさんの期待に応えなくていいのかって言ったら、即ベッドインしてくれました。バカだから、扱いやすいんですよね」


 あたしは、きれいに整理整頓された部屋を眺めて、カミュの人を見る目の確かさにすっかり感心していた。ただの軽薄バカにしか見えないのに、マオリはやっぱりすごい奴だ。ナリスが言ったように、ナンバーワンになる素質があるのかもしれない。


 そしてあたしは、手洗いとうがいをしようと洗面所のドアを開け――一気に脱力した。


 洗面台が見えないくらい、靴やら服やら本やらゴミ袋やらが詰め込まれている。おいおい、何ぞこれ……。


「あ、そこは明日片付けるから触んなって、マオリが」


 ナリスの補足説明に、あたしはため息をついた。


 何だよ……片付けたんじゃなくて、移動しただけじゃねーかよ。やっぱりマオリがナンバーワンになる日は、まだまだ遠そうだ。

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