49.前を見よ、生き進め
封筒の中には、更にもう一つ封筒が入っていた。開封してみると、一枚の写真。被写体は、あたしと子ドラゴン。
あたしの胸の上で、半ば浮いた腕に甘えかかる子ドラゴンは想像以上に可愛かった。母のミニチュア版といった凛々しい外観だけれど、目を閉じて口を半開きにした表情は笑っているようにも見える。
あたしの顔は血だらけで見れたもんじゃないけど――同じように目を閉じて、薄っすらくちびるを綻ばせていた。
『あの時も、笑ってた。死ぬかもしれないっていうのに、笑ってたのよ』
ディアラ隊長の言葉を思い出す。
あたしもそう思ってた。死んでもいいと思ったし、死にたいと思うこともあった。
でも、今は違う。死ななくて良かった。
見たくても見ることのできなかった子ドラゴンの姿を、こうして目の当たりにできたんだ。それだけで、生きていて良かったと思える。
バカだな、あたし。何をグズグズ悩んでいたんだ。
しっかり全うしたんじゃないか。最後の最期まで、生死の境を超えてまで、夢だったメディカル・ハンターとしての使命を。
ニールに誓った『生物と、生物の幸せを守る』という約束のために、あたしはやれることをやった。やり遂げたんだ。
断たれた夢の苦さが消えていく。代わりにゆるやかに胸に広がるのは、使命を達成した満足感だ。
ディアラ隊長に、ううん、他の誰にどう思われたって構わない。
今なら胸を張って言える。左腕を壊しても、メディカル・ハンター生命を絶たれても、翼を失っても、あのドラゴンを助けられて良かった。『エイルズ』を守り抜けて良かった。
「…………エイル、どうした!? 腹でも痛いのか!?」
いつのまにか視界がぼやけていて、あたしはアインスの声で自分が泣いていることを知った。
悲しい涙じゃない、快い満たされた涙だ。温かくて心地良い、成し遂げた者のみに許される感涙。
眼鏡を外して、あたしは立ち上がり大きく伸びをした。伸び上がりながら、笑った。笑いながら泣いた。
満たされた達成感と報われたという万感の思いで胸がいっぱいで、いっぱいすぎて溢れた涙を流していると――――ふと、気付いた。
「…………お、まだ何かある?」
写真が入っていた封筒に、もう一枚便箋が入っている。封筒のサイズにピッタリだったから、見落としていたようだ。
開いてみると、追伸、という言葉からそれは始まっていた。
『エイル、君は本当に素晴らしい女性だ。気付けば君を目で追っていた。私は君に、恋をしていたのかもしれない』
ええええ!?
マジかよ……あたしってば、世界のブラッド・デオドア・マクレーンを虜にしてたの?
ワールドクラスの罪な女じゃん!
今からプロポーズしに来てくれても遅くないのよ、とニヤつきかけて――あたしは固まった。
『…………とバカげたことを思ったけれど、やはり勘違いだった。君を見ていたのは、君がそこらのお笑い芸人よりも面白かったからだ。毎度毎度、何かしら愉快な騒動を起こしていたからね。それに私の好みは、グラマーでセクシーで上品で女性らしい人だ。君とは正反対のね』
すごーーく長いスペースを空けて、下の方にそのように記してありました。これは確信犯ですね。ええ、間違いありません。
…………ふざけんなよ、クソジジイ。
グラマーでセクシーだぁ? 上品で女性らしいだぁ?
クソみてえな理想語ってんじゃねえよ!
あたしだってお前みたいな夢見る老いぼれ、願い下げじゃ!
涙も笑顔も引っ込み、怒りに震えていると、すぐ隣から猿笑いの追撃。アインスの野郎、性懲りもなくまた覗き見してやがった!
「ありえねえ! 思いっきり振られてやんの! すっげえありえねえ!」
「やかましいわ、猿!」
「何だよ、俺に当たるなよな。エイルの代わりに殴っといてやったじゃん。資金ネコババしようとしたバカスタッフもまとめて。何なら今度は一緒にブラッドの事務所に乗り込んで、全員しばき上げに行く?」
あたしは額を押さえた。
おいおい、リリムちゃんもいるんだよ? 見てごらん、ドン引き……あら、してない。あたしの手を握って、目を潤ませているじゃないの。
「……お姉さん、すごいじゃないですか! ドラゴンに自分の名前を付けてもらえるなんて。新種生物の命名権ってオークション方式だし、こんなに美しい飛竜種なら安いものじゃなかったと思います。けれどマクレーンさんは、必死で勝ち取ってくれたんです。お姉さんのために。お姉さんのやり遂げたことを、私達に、皆に伝えるために。それに、一つの部隊にこんなにページを割くのは前代未聞って言ってましたよね? きっと今まで出会ったたくさんの人達の中でも、お姉さんが一番素晴らしかったってことの証ですよ。冗談で濁しちゃってますけど、恋をしたっていうのも実は本音なんじゃないかな? でも本気だと知られたら、お姉さんを困らせてしまうと思ってこんな書き方をしたのかもしれませんよ?」
リリムちゃんの言葉に、あたしは何だか照れ臭くなった。
やだ、ブラッドってば実は本気だったのかな? 本気だったから莫大なお金かけて、愛する女の名を残した……とかだったらどうしよう!?
「クネクネすんなよ、気持ち悪い。偉業残したんだから、その無い胸張っとけ。にしてもオチがなきゃ俺、今頃は未来のお兄さんに挨拶行かなきゃとか言って慌ててたのかな?」
「開口一番は、お兄様、殴っちゃってすみません、だな」
あたしの軽口にアインスが笑う。あたしもつられて笑った。
そこでアインスが笑顔で提案してきた。
「よし、じゃあ今日は飲むかあ!」
「何? アインス、仕事ないの?」
「休みぃ。昨日頑張ったご褒美! リリムも飲もうよ。俺、店で奢るほど手持ちないからウチで安酒になるけど」
アインスが馴れ馴れしくリリムちゃんの肩を抱く。すると化学反応みたいに、彼女の頬が桜色に染まった。
「いいんですか? お邪魔にならないですか?」
おずおずと見上げる眼差しの、何たる可愛さよ!
「いいよいいよ。猿と飲むより可愛い子と飲む方が、楽しいし幸せじゃん」
笑いながら手を振るあたしに、アインスが組みついてきた。またまた脇固め! バカの一つ覚えみたいに、いい加減にしろっての!
「もうやらないとか言ったのに、全然嘘じゃん! 自分で言ったことも忘れたか、羽つき脳味噌!」
「うるせえ! 猿って言うなっつってんのに懲りもせずに言うからだろ、三十路甘えん坊の寂しん坊!」
「それこそ言うなって言ったろ!」
「お互い様だろ!」
恒例の姉弟戦争は、しかしまたもやリリムちゃんの優しい制止で治まった。
それから三人で、例のフリーストアにて大量の酒を購入。
エイル・クライゼ第一部隊隊長の功績を讃え、あたし達は幾度も幾度も乾杯を交し合った。
猿と美女に囲まれた酒宴を楽しみながら――あたしは、この二人にも感謝していた。
彼らがいたから、あの本の封印は解かれた。
おかげで、ずっと目を反らしていた過去と向き合えた。
それは憎むべき忌まわしいものではなく、誇るべき素晴らしいものだった。
七年もの間、くすぶり続けた苦く重い心の沈殿物はきれいに溶けた。すっかり軽くなった胸で、あたしは前に進んでいこう、進んでいける、という気持ちになっていた。
あの時に戻りたい、なんてもう思わない。逆にこれからが楽しみだ。いきなりブラッドに連絡して驚かせてやろうかな? なんて考えてもいる。
宴は深夜にまで及び、終電を逃したリリムちゃんをアインスが送ることになった。
二人を見送ると、あたしは後片付けもそこそこにベッドに飛び込んだ。したたかに酔っ払ってたし、そのせいでおかしなことを考えそうになったからだ。
あの二人、もしかしてこれから……なんて、お節介かつ下世話にもほどがある。
案の定、アインスはそのまま帰らなかった。
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