【距離:離れ離れ】それぞれ別の相手と進展するレベル
50.我、新たな道を往く
明くる翌日。
夏の匂いが色濃くなった朝の爽快なランニング、シャワーの後にコーヒーとパンの朝食、本数が少ないせいで朝は常にラッシュの通勤電車といつものパターンを経て、あたしはおよそ一週間ぶりに出勤を果たした。
「エイル、おはよう! 体はもういいの? 大丈夫?」
あたしの姿を見付けたファランが、受付カウンターから身を乗り出す。痛む良心に苦笑しながら、あたしも手を振り返した。
「おう、心配かけたなあ」
「本当に? 弟さんの話だと血を吐いたとか言ってたけど……」
「平気平気。何も食べてなくて、吐くもんなくなっただけだから」
笑いながら席に着こうとすると、ファランが思い出したようにそれを手で制し、声をひそめた。
「マネージャーが、出勤したらすぐ来るようにって。また例の話じゃないかな?」
あたしはため息をついて、不安そうに顔を曇らせるファランの肩を軽く叩いた。
「人に教えるなんて、あたしに向いてるとは思えないから断ってきたけど……新しく人が入るまでの繋ぎでいいならって思ってんだ」
ファランの表情が、雲が晴れるように輝く。
「……ハンター・インストラクター、やる気になったの?」
はにかみながら頷くと、ファランは立ち上がってあたしの肩を抱いて揺さ振った。
「いいじゃんいいじゃん! そうだよ、ハンター資格持ってるんだから活かすべきだよ! それに、エイルはこんなとこで座ってるより現場仕事の方が似合うって。あたし、応援してる!」
「現場仕事が似合うって、何だよ。レディに対して失礼な。見てろよ、ケインの客奪って、死ぬほどデートする時間作ってやるからな!」
友人の暖かい声援は嬉しくて、柔らかな気持ちに包まれて、だけどちょっぴり照れ臭い。
軽口を叩きながら、それでも小さな声でありがとう、と伝えると、あたしは恥ずかしさを振り切るようにマネージャーの元へとダッシュした。背中に、ファランの優しさに満ちた眼差しを感じながら。
あたしのハンター・インストラクターの臨時採用は、その日のうちに決定した。
各種手続きと会社支給のジャージの注文、そしてシフトの調整などを終えると、暇な時間帯を見計らい、ベテランのインストラクターにくっ付いて、見学がてら各種武器の取り扱いについてのお勉強。
受付では物覚えが悪くてファランを困らせてばかりいるあたしだが、ハンター・インストラクター見習いとしては優秀な生徒だった。だって、腐っても元メディカル・ハンターだったんだから、大抵の武器は扱える。メインはストブラだったけど、刀剣、銃器、特殊武器、何でも来いだ。
なので教わるのは、練習用武器との相違と保管場所くらい。
熱心にメモを取るあたしに、古参の部類に入るインストラクターのローランドさんはため息混じりに笑った。
「クライゼに教えるのはやりにくいね、どうにも」
そう言って、四十代半ばを過ぎたとは思えない見事な筋肉と白くきれいな歯を輝かせる。
はぁ、やっぱり素敵。実はあたし、ここに勤め始めた時、ちょっとローランドさんにときめいていたのよね。年上でカッコ良くて、大人の男の渋さに溢れてるなんて、あたしの好みどストライクだもの。ま、妻帯者と知ってソッコー諦めたけど。
「何でですか? こっちは新人、ローランドさんはベテラン、普通も普通、やりにくくも何ともないじゃないですか」
さっくり終わった淡い恋心の苦味を噛み締めつつ、愛想なく返事すると、ローランドさんはまた笑った。
「ハンターBクラス取得するだけでやっとだった俺が、気後れするのも仕方ないさ。数年頑張ってもAクラス落ち続けて、結局諦めちまったんだ。なのにクライゼはメディカル・ハンターの資格まで取得して、あの過酷な職に就いていたんだろう? 俺にとっちゃ、雲の上みたいな存在だよ」
「ほほう、じゃ今度から女神とお呼びなさい」
あたしはお笑いで誤魔化して、それから小さく呟いた。
「活動できたのは、ほんの三年でしたけどね。でも短いなりに、やり遂げた感はありますよ」
「羨ましいな、誇れるものがあるって。俺の誇りは、やっぱり息子かな。あいつ、腕白だから、もしかしたら俺の夢を継いでハンターになりたいとか言い出すかもしれんなあ……」
ローランドさんは一人、しんみりと感慨に耽り始めた。
やれやれ、おっさんは自分の世界に入ると長いからなあ。
刀剣道場に客がいないのをいいことに、あたしは適当な模擬刀を手に取って試し斬りすることにした。ローランドさんが現実に帰ってくるまでの暇潰しだ。銃みたいに弾を消費するわけじゃないから、刀剣ならよほど酷使しない限りは遊んでも大丈夫だ。的にしたって射撃なら穴開くけど、こっちのは低反発性ゲル素材だから斬りつけてもムニュンと元に戻るし。
軽めのロングソードで、スパコーンスパコーンとデカい正立方体の的相手に縦斬り横斬り斜め斬りと遊んでいたら、ローランドさんが突然大きな声を上げた。
「そうだ、クライゼ! この可哀想な落第生のオジサンに、お手本を見せてくれよ!」
驚いて、あたしはソードを思いっ切り的に突き刺してしまった。ソードはそのまま見事に貫通。しかしあたしの方は、ぼにょん、と的に弾き返され、盛大に引っくり返った。これは痛い! そして恥ずかしい!
文句を言う前に、ローランドさんはあたしを優しく抱き起こしてくれた。しかしオッサンの懇願は続く。
「無理しない程度でいいからさ。できたら、ストリング・ブラスターを使うところを見てみたいんだ。な、頼むよ」
「いいなあ、俺も見たい!」
背後からバカでかい声が浴びせられたせいで、あたしはびっくりしてローランドさんに抱きついてしまった。いや、これ不可抗力だし。わざとじゃねーし。でもせっかくだから逞しい胸は堪能させてもらうし。
声の主は、ケイン。いつのまにやら道場を覗いていたらしい。ほう、彼女とデートする暇はないくせに、同僚の乙女を目で愛でる時間はあるってか? こいつ、やっぱりビシッとシメたらなアカンな。
嬉しそうに目を輝かせているケインに、あたしは笑顔で告げた。
「いいよ。お前が相手するならな!」
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