44.読書会、開催

 あああ、あのバカ……。


 顔面蒼白になってフローリングにへたり込むあたしに、リリムちゃんがソファの上から顔を寄せてきた。


 美少女と至近距離!


 ああっ谷間が見える! 見ちゃいかん! なのに心とは裏腹に目が吸い寄せられてしまうよ! パフパフしたいよ!


「驚きました……メディカル・ハンターなんて職に就かれていたなんて。確か、両世界中で希少な生物を保護したり、ハンターじゃ退治できない危険な生物と戦ったりする、大変なお仕事ですよね? 資格を取るためにもたくさんの資格が必要だって、聞いたことあります。お姉さん、すごいんですね!」


 スケベ親父みたいに鼻の下を伸ばしている自分を叱咤し、あたしは苦笑いしてみせた。


「いやいや、つっても三年だけだよ。腕ぶっ壊しちゃってね。ほら、これ」


 そう言ってタンクトップの左側を軽くずらし、背中を向ける。


「元はマギアレッドだったとは思えないくらい変色してるでしょ? 何回も手術繰り返したせいで、退印も押せないくらい皮膚が歪んじゃって。見せられたもんじゃないから、昨日もずっとボレロ脱げなかったんだ。これから暑くなるってのに、困ったもんだよ」


 おどけてみせたけど、リリムちゃんが息を呑む気配を感じた。少しの沈黙。ドン引きされたかな、と落ち込みかけたところで、背中にそっと差し出された手が触れた。


「…………思い出させてしまって、ごめんなさい。すごく、痛かったですよね? 辛かった、ですよね?」


「過ぎたことだよ」


 あたしはへらへらと笑ってみせた。でもリリムちゃんは、真剣な顔で首を横に振った。


「私なんかじゃわからないのに話してくれて……でも、安易な言い方だけど、生きててくれて良かった。生きててくれたから、私、お姉さんに出会えたんです。自分本意な考えかもしれないけれど、本当にそう思うから……」


 温かな指先と掌の感触とそれ以上に絞りだされるような暖かな言葉に、あたしは不覚にも泣きそうになってしまった。


 確かに、あたしの痛み苦しみ辛さは、彼女に理解することはできない。それでも、理解できなくても手を差し伸べて包み込もうとしてくれる優しさが、あたしには嬉しくて、そして、少し切なかった。


「あったよあったよ、ありました! 盗られないようにしまっといたら、どこしまったかわかんなくなっちゃったよ」


 けたたましい喚き声と足音と共に、アインスが戻ってくる。くそ、いい雰囲気だったのに邪魔者めが。


 アインスが嬉しそうに掲げてみせたのは案の定、二十歳の誕生日祝いにくれてやった、『メディカル・ハンター名鑑』第十八版だった。はあ、ため息しか出やしない。


「なくしたら殺すよ、マジで」


「なくさねえって! ほらリリム、見てみ」


 何!? リリムちゃんを呼び捨て!?

 猿め、生意気な!


 それでもリリムちゃんは怒るどころか、これまで以上に嬉しそうな顔をしてアインスに寄り添い、奴の指差す本を見つめる。アインスの指には、彼女の愛がたっぷり込められたリング。


 ソファでくっついてる二人を、フローリングから見上げていると――自分こそが邪魔者みたいに思えてきた。


 お似合いな美男美女。

 二人と一人。

 若さと輝きに満ち、前途ある未来が開かれた、眩しい二人。

 そして地べたに落ちた、老いて朽ちていくだけのあたし。


 …………何、この感情。すごく、自分が嫌らしい――。


「すごい、ブラッド・デオドア・マクレーンのサインが入ってる! しかも宛名入り! お姉さん、もしかしてモデルさんとしても見初められたんじゃないですか!?」


 リリムちゃんの明るい声に、あたしは我に返った。いかんいかん、せっかく楽しんでくれてるのに、何考えてんだろ、あたし。


「まさかぁ。そんなオファー、もらったことないよ。あ、でもこれから来るのかも? 期待して待ってよっかな!」


「あるわけねーだろ、鏡見ろ。そうだ、コレ開けようよ! 未開封で取っとくつもりだったけど、やっぱり見たい!」


 うわ、そう来たか。さらりとかまされた暴言に怒ることも忘れて、あたしは額を押さえ、呻くように呟いた。


「マジすか? 実はあたし、一回も見たことないんだけど……」


「なら尚更いいじゃん! どのシーンでどんなことあったか、裏話教えてよ。リリムも見たいよな?」


 リリムちゃんが満面の笑みで頷く。


 ああ、この笑顔に逆らえる奴がこの世にいるだろうか? いや、いまい。


「よし、じゃあエイルに開けさせてやるよ。早く開けろ」


「何だよ、えっらそうに。これは元々あたしのもんだ!名前も書いてあんだろ、猿!」


「今は俺のだろ! 返せっていったって返さねえからな、ブス!」


「生意気言いやがって、小猿の分際で! あたしに楯突こうなんざ十年早えんだよ、類人猿!」


「んだと!? 三十路甘えん坊のチビッコ筋肉マン!」


「そのあだ名やめろっつってんだろ! 猿顔鳥頭の一人動物園!」


 恒例のように額を突き合わせ、火花を散らしていると――天使の囀りのように可愛らしい笑い声が響いた。見ると、リリムちゃんが口元を押さえて大笑いしている。


「ご、ごめんなさい、笑っちゃって。だって、二人ともすごく楽しそうに言い合いしてるから……ほら、もうケンカはやめて、仲良く本を見ましょう、ね?」


 リリムちゃんの窘めるような口調に、あたしは彼女が教師を目指していると聞いたことを思い出した。きっと、教え子の子供みたいに見えたんだろうな……いい年こいて、本当に恥ずかしいよ。


 仕方なく仲直りしたあたしとアインスは、協力し合って分厚い本を包む薄い膜みたいなビニールを切り裂いた。


 そしてあたしを挟んで三人でソファに座り、左側にいるアインスが一つ頷いてから表紙を開く。


 長い眠りから覚めた本は、あたしの封印された過去を披露し始めた。

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