16.鬼神モルガナ・クライゼ
それからも、アインスとの生活は昔と同じように言い合い殴り合いの繰り返しで、お互いの成長のなさを披露し合うだけの日々が続いた。
毎日疲れることこの上なく、ただでさえ貧相なあたしの身体からさらに一キロ脂肪が落ちてしまった。これ以上、胸が萎んだら本気でお嫁に行けない。
でも、一つだけ良いことがあった。
アインスがグラズヘイムでの体験入店を終え、無事に本採用が決定したのだ。
マジナに来て一週間、やっと生活の土台ができあがったところで、奴はようやく第二の母であるモルガナ・クライゼ――イコールあたしの母さんに、会う約束を取り付けた…………のだが。
待ち合わせ場所は、第五マーブル地区にある老舗ホテルのレストラン。
今日ばかりはアインスもダセェ部屋着ではなく、普通の服を着ている。といっても、暑いからという理由でタンクトップとハーフパンツという軽装だ。
おかげで、ありえない場所にこれでもかとばかりにうがたれてるピアスは丸見え。耳ならまだしも、何で腕とか足とかに穴あけようと思うのか、そしてどうしてそれをイケてると思うのか、あたしにはさっぱり理解できない。超グロい。超キモい。超見たくない。
穴だらけ金属塗れのモンキーを連れて来てやったあたしを見て、母さんは不思議そうに首を傾げた。
「あんたは呼んでないよ」
とまあ、新年以来、半年ぶりに会った実の娘に対して非常に冷たい態度。ありえない。
「まあモルガナ、そう言うなって。エイル、久しぶりだなあ」
優しく声をかけてくれたのは、このレストランのシェフ長のフレイグ・クライゼ。
五年前に母さんと再婚して婿養子に入った、戸籍上はあたしの父親に当たる。
しかし母さんの恋人だった頃から仲良くしていたから、クライゼ三姉妹は誰一人として彼をパパやらお父さんやらと呼ばない。というより、今更恥ずかしくて呼べないのだ。
「フレイグ、会いたかった! あたしに優しくしてくれるのはフレイグだけだよぅ。お願い、二人で逃げて。汚い猿と怖い鬼からあたしを助けて!」
そう言って抱きつくと、フレイグはうんざりしたように上品に整えた髭を歪めた。
「はいはい、美味しいものたくさん食べさせてあげるから、離れなさいね。他のお客様の目もあるんだから」
「んだよ、フレイグのヒゲジジイ。いいよ、一人で強く生きてくから。あっちいけ」
「はいはい、俺はヒゲだしジジイです。さ、座りなさい。次来るときは、ジャージじゃなくてドレスで来なさいよ」
そんなもん持ってませんよ。つまりもう来るなってことかい。
無理矢理引き剥がされたあたしは、ふくれたまま猿と鬼のテーブルについた。
「アインス〜、久しぶりねえ。会いたかったわぁ。あら、またピアス増えた?」
母さんはふくよかな身体を揺らして笑い、アインスの鎖骨を丸い指で指差した。そこには、骨のラインに沿ってずらりとリングピアスが繋がっている。
「さすがモルガナ! よく気付いたなあ。なかなかいかしてるっしょ?」
いかれてるの間違いだろ、バカ。あたしは呆れてため息、母さんは感心のため息を洩らした。
「へえ、こんなとこにもピアスなんてできるのねえ。でも、不便じゃない?」
「慣れた慣れた。最初の頃は身体洗うとき引っ掛けて、皮膚破いたりしたけど」
あたしはそれを想像して、少し気持ち悪くなった。今から食事だってのに何て無神経な奴だ。
「まあどこに穴開けてもいいけど、絶対に顔だけはだめよ。せっかくきれいに産んでもらったんだから」
「大丈夫だって。俺がモルガナの言うことに逆らうわけねえじゃん」
お猿の仰る通り、身体は穴だらけだけれど、顔だけは母さんがきつく禁じているため、全くの無傷なのだ。
母曰く、亡くなった親友に似た美しい顔立ちに傷がつくのは忍びない、とのことで。
盛り上がる二人をよそに前菜をつついていると、母さんはようやくあたしに声をかけた。
「エイル、あんた仕事は? 今日は平日だけど」
よくぞ聞いてくれたな。あたしはじろりと猿を睨み、小海老のフリットを飲み込んでから答えた。
「仕事だったよ、こいつに休まされた。一緒じゃなきゃ行かないとか言って暴れるから」
昨夜、母さんと電話で会う約束を取り付けたというから、地図まで書いてやったのにこのバカタレ、エイルが行かないなら俺も行かないと言いだしたのだ。
おかげ様で朝一番でキタセンに電話して、弟の用事に付き合わねばならんため欠勤させていただきたいとお伝えした次第でございます。
くだらねえことで休ませやがって。社会人なめてんのか、クソガキが。
「アインスはこっち来てまだ間がないもの、仕方ないじゃない。ちゃんと面倒見てあげなさいよ」
ほら出た、アインス専用の溺愛ラブラブ甘々のバカ親っぷりが。
このせいで、昔っからあたしばっかり損してたんだよ。やんなっちゃうね!
「アインス、大丈夫? エイルにいじめられてない? ひどいことされてない?」
何ですかねえ、この猿ageあたしsageも甚だしい姉弟差別は。
もう知らん、とあたしはフォークを口に運ぶ行為に集中することにした。
「平気平気、俺、強い子だから。それにエイルの暴言なんていつもワンパターンだから、聞き流してりゃすかしっ屁みたいなもんだと思えてきて笑えるよ。マンションはまあまあ悪くないってレベルだけど、住めば都っていうし」
嗚呼…………本当にこいつはどうしてこんなに人をムカつかせるのが上手いんだろうね!
「何が都だ、バカ野郎! あたしん家を上から目線でランク付けすんじゃねえ! 何ならまあまあ悪くない動物園紹介してやろうか? 餌をたっぷり出してくれるようなところをな!」
「ああ、そうですね! 誰かさんは料理もろくに作れねえもんな! そりゃ動物園以下だよな! 女以下の筋肉ダルマさんこそ動物園に住めばいいんじゃねえの!?」
「洗濯と掃除はしてるもんね! お前の分も洗濯してやったろ、きったねえパンツまで!」
「偉そうに言うな! 畳んだのは俺だろ、色気もクソもねえババア下着まで!」
「…………いい加減にしろ、バカ姉弟! ここをどこだと思ってんだ! 場所くらい弁えろ!」
恒例の言い合いを止めたのは、あたし達二人以上の音量と鬼気迫る迫力を伴った、母さんの怒声だった。
恐る恐る視線を向けてみれば、憤怒の形相の母さんがあたし達を睨みつけている。
あたしとアインスは生命の危機を感じ、手を取り合って震え上がった。
他のお客様のご迷惑になりますので、と他人の振りしたフレイグが引きつった笑顔で嗜めに来るまで、鬼神と化した母上様の、ドスの効いた声が織り成す有り難い説教は続いた。
アインスの仕事の話やらマドケンについてのあれこれやらを語り、デザートまでフルコースという豪華な食事を終えると、あたしは席を立った。母さんが会計を持ってくれるというので、今回は甘えちゃうことにしたのだ。
だがしかし何故か、アインスまで一緒に付いてくる。
「何だよ、愛しのモルガナさんとの久々の再会だろ? ゆっくりすりゃいいじゃん。確か、今日は休みもらったとか言ってたよな? せっかくだし、デートついでにフレイグんとこに泊めてもらったら? 晩飯もフルコース出してくれるかもよ?」
「行きたいとこあんだよ。連れてけ」
あらあら、偉そうな猿ですこと。
あたしはため息をついて、母さんを振り返った。愛息子との別れにしょんぼりしてるかと思ったのに、母さんは可笑しそうに笑ってた。
「何で笑ってんの? 何か変?」
「変に決まってんじゃない。三十路チビッコと美形チビッコの凸凹チビッコンビなんて、お笑いでしかないでしょ!」
失礼な、こんなのとコンビにしおって。
「二人とも、相変わらずで良かったわ。エイル、ちゃんとアインスの面倒見るのよ。アインス、頑張ってね!」
そうだ、頑張って稼いだ金で生活費入れてもらわなきゃ。
いや、貯金させて、アパートの敷金礼金に当ててもらうのもいいな。
いやいや、それよりマドケンの方に集中してもらわないと。落ちてまた来年も、なんてことになったら困るし。
でもせめて、生活費くらいは稼げるようになってほしいかな。じゃないと、食費が保たない。誰に似たのか、チビのくせに大食いだし。
とまあいろいろ考えて、あたしもアインスに笑いかけた。
「そうだよアインス、頑張ってくれよ。お前はやればできる子なんだから、努力次第でどんな不可能も可能にできるはずだ!」
アインスはきょとんとしてから、曖昧に頷いた。
今度こそ帰ろうとした――ところで、またまた母さんが背後から声を投げ掛けてきた。
「エイル! アインスを頼んだよ!」
何度も聞いた言葉だったけれど、その声はこれまでと違って脅すような響きはなく、強くて優しい、母さんらしさに満ちた音色だった。
返事代わりに挙げた手をひらひら振って見せて、あたしは店を出た。背後霊ならぬ背後猿をくっつけて。
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