17.追憶の愛読書

 アインスが連れてけ、と言ったのは、特別な場所でも何でもなく、ホテルに行く途中で見付けたという大きな本屋だった。


 こんなとこ一人で来れるだろ、とため息をつきながらも、新しい玩具を見つけた子供みたいに目を輝かせるアインスについていく。


 あちこちうろうろしながら、雑誌をめくったり表紙を眺めたりするおバカは放置することにして、あたしも広々とした店内を適当に歩きながら本を物色した。



 すると――専門書籍のところに立てかけてある、一冊の分厚い本に、目が吸い寄せられた。



 ああ、今年の分がもう出ていたんだな。

 毎年発売される、貴重な成果の結晶。


 全世界にいる数多の生物をネイチャー・リサーチャーが調査分析し、生態系の未来予測をバイオ・オペレーターが弾き出す。そのデータを元に、メディカル・ハンターは希少生物を保護しつつサンプルを採取、危険種や有害種は捕獲もしくは討伐する。


 マギアとマジナが、それぞれの世界存続とそれぞれの世界生物を尊重するために古来より行ってきた、両世界合同で行う大プロジェクト。


 まあ簡単に言うと、世界の健康診断みたいなもんだ。ネイチャー・リサーチャーは身体検査、バイオ・オペレーターは検査結果の分析、悪いところがあったらメディカル・ハンターが手術する――例えるなら、こんな感じか。


 この一冊に、多くの命が危険に晒され、多くの命が救われてきた。


 無意識に腕が伸び、気付けばあたしは両世界が結託してまとめ上げた成果を記したその本『マギアマジナ両界生物録』の懐かしい重みを味わっていた。


 初めて手にしたのは、確かまだ十歳にもなっていない時。安い本ではないから、母さんに一生オヤツ抜きでいいからって頼み込んで買ってもらったんだっけ。

 それからは毎月のお小遣いを少しずつ貯めて、毎年の発売日を心待ちにしてた。ずっと愛読していたのに、存在すら忘れてたなんて。


 いや、忘れようとしたってのが正しいかもしれない。


 気になって財布を見ると――二千ゴールド弱。ウッソ……こないだ一万ゴールド下ろしたばかりだってのに。


 クソ、食費に生活が圧迫されまくってるせいだ。このままじゃ猿と仲良く餓死しちゃうよ。やだやだ、笑えない。


 あたしはずっしり重いそれを元の位置に戻して、大食らいで役立たずの居候を探した。


 奴は簡単に見つかった。ファッション誌のコーナーで、女子高生数人と楽しそうに話していらっしゃいますよ。


 こんの野郎、本屋行きたいっつっといてナンパかよ。財政難に苦しむ姉の気も知らないで!


「何をやってるんだよ、お前は!」


 プラチナベージュの頭を叩いて、あたしは四人組の女子高生達に向き直った。


「すいません、弟が失礼しました。田舎者なんで許してやって下さい」


「え~? 何もされてないよ~?」

「てかぁ、普通に喋ってただけだしぃ」

「せっかく楽しく話してんだから、邪魔しないでくれるぅ?」

「そうそう、部外者はすっこんでろって感じぃ!」


 揃いも揃ってはだけた制服に股下ギリギリのスカート、派手に染めた色とりどりの髪、そしてがっつりメイクに塗れた顔が四つ、甲高く笑う。


 こんの、くそガキどもが! 若けりゃ偉いってもんじゃねえんだぞ!


 怒りに震えているとあたしの肩を叩き、アインスが笑った。


「∞ ∝ † ' ↑ P ∝ я я Σ ,  I ↑ ' ∫ ∝ ✝ г Σ ↑ н ∝ ∫ м ∞ F 門 † B ∫ F ↑ ' Σ ↑ F ∫ < ◇ .(そんな心配すんなよ、ちょっと喋ってただけじゃん)」


「P H F ↑ ? ↑ ∝ x ∝ ↑ ∝ ↑ н м в ∝ ↑ ↑ ∝ 門 ∝ キ ↑ н l Σ F キ キ F l я l ↑ ' ∫ B м ト F ∏ Σ м ↑ キ Σ ∝ ト ! キ ∏ ト ◇ ∫ н l ↑ н м F ∞ !!(ああ? 貴様のせいでクソほどムカつかされたですけど! とっとと死ね、クソ野郎!)」


「Σ ∝ ∏ ' я м F キ ∏ ト ◇ ∏ † 門 F † F x м F B г м B l ↑ ト н !!(ふざけんな、クソはお前だろ!)」


「∞ ∝ † ' ↑ P F † ↑ ↑ ∝ ∫ F Σ ∝ † Σ Σ ∝ ∏ !!(お前にだけは言われたくないし!)」


 掴み合いながら口汚く罵り合いを始めると、何故か女子高生達は必死に謝りながら、あたしにしがみついてきた。見ると、全員揃って泣いている。


「ごめんなさいぃぃ……お姉さんもマギアの方だなんて知らなかったんですぅぅ……」

「本物のエルフに会えて、浮かれてただけなんですぅぅ……悪気はなかったんですぅぅ……」

「お願いだから、魔法で殺したりしないで下さいぃぃ……お店も壊さないで下さいぃぃ……」

「生まれた時からここ通ってるから、なくなったら親が悲しみますぅぅ……あたしが死んだらもっと悲しみますぅぅ……」


 派手な見た目してるけど、意外にも地元と親を愛する良い子達のようだ。


 にしても、マギアに対する偏見ひどすぎじゃね? しかも、このお猿はリアルエルフじゃなくてエルフの紛い物ですよ?


 あたしがマギア民じゃなかったから良かったものの、エルフにだけ優しくするなんて差別はやめようね。本物のマギア民にマジギレされる前に、少しは態度を改めましょうね。


 涙で滲んだマスカラやらアイライナーやらで汚れた目元を見ていると説教する気も失せて、あたしはアインスから手を離してやった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る