・平和な村に澱むもの

第18話「万物の王の謁見」

 晴れ渡る空はどこまでも高く、白いかんむりを頂いた遠景の峰々みねみねまではっきり見える。

 ラルスは今、モルタナ村より出て数時間……早朝から山中へ分け入っていた。

 側のリンナは望遠鏡の筒を目に当て、真っ直ぐ背筋を伸ばして立っていた。

 見心地がいいスタイルをぼんやり眺めてると、彼女は振り返って望遠鏡を渡してくる。


「少年も確認してみてください。……小規模なとりでですが、落とすのは容易よういではなさそうです」


 リンナから望遠鏡を受け取り、それを構えて片目をつぶる。

 先程リンナが立ってた位置から、森の向こうに不格好な城塞じょうさいが見えた。

 改めてラルスが、これから始まる任務に身を引き締めていた、その時。

 不意に視線を感じて、横を見下ろす。

 そこには、土地勘のある案内人としてついてきたヌイの姿があった。


「えっと……み、見る?」

「いいんだか!? み、見してけろ!」


 ラルスが望遠鏡を渡してやると、ヌイがニッカリと笑顔になる。

 ラルスは今しがた見据みすえた方向を指差し、改めて敵の拠点を確認する。肉眼でも、動き回るゴブリン達がかすかに見えた。あの砦は過去、何度もいろいろな騎士団がゴブリンを討伐してきたのだという。だが、モルタナ村程度の経済力では満足な報酬が払えず、砦事態の陥落と破壊までは至っていない。

 常にゴブリンの駆除のみという、対処療法だけが行われてきた場所だ。

 だから、時間を置いて再び、別のゴブリンの群れが住み着いてしまう。

 ふむ、とうなってラルスは再びヌイを見下ろす。


「よく見えるだろう? あれがゴブリンの砦で、って……あれ? ヌイさん?」


 ヌイは、望遠鏡をしっかり両手で握っていた。

 しかし、それをゴブリンの砦へは向けていない。

 彼女にとっては、望遠鏡そのものが珍しくらしい。感嘆に目を丸くしながら、伸ばしたり縮めたりして、目を当てては周囲の森に視線を振りまいてゆく。


「あ、あの、ヌイさん……ゴブリンの砦は、あっち……」

「すんげえな! ホントに遠くがよく見えるだ……ん? ああ、砦くらいだったらいつも見てるし、ここからでも普通に見えるだ。でも、これはすんげえ道具だやな」


 ここからでは砦は、小さな構造物でしかない。

 望遠鏡で覗き込めば、ようやくゴブリン達の装備や数が確認できる、それくらいの距離があった。

 ヌイは、フスー! と鼻息も荒く望遠鏡を返してきた。


「あの砦さ、オラが生まれる前からあそこにあるだ。この辺は一人でウロウロしちゃなんねえことになってる。ラルスも気をつけてなあ? あと、騎士様も」


 ヌイが騎士様と呼んで目を輝かせるのは、リンナだ。

 地図を開いていつもの澄ました顔をあげたリンナは、ぎこちなく「ありがとう」と礼を返す。どうやら微笑ほほえもうとしたらしいが、無表情に変化はない。

 彼女はペンを取り出し、地図にメモを書き込んでゆく。

 手元を覗き込む距離に近付けば、真っ白な髪から柑橘系かんきつけいの匂いが漂った。


「それ、なんです?」

「周囲をざっと見て、地形的に弱い部分に印をつけてるんです」

「そういうの、わかるんですか?」

「少しなら。それに、さっきヌイさんが教えてくれました」


 常闇の騎士ムーンレスナイトともなれば、剣の腕は勿論もちろん、指揮官としても有能でなければいけない。それは式典時の作法や礼儀、立ち振舞や教養などよりも遥かに大事だ。

 その点ではラルスは、なんの心配もしていない。

 遠くから眺めるのと違って、俯瞰ふかん視点の地図を見れば色々と新しいことがわかってくる。ゴブリンの砦は、立地上の理由もあってあの場所にあるのだ。

 そのことを自分でも確認するように、リンナが説明してくれる。


「この森があるので、大規模な攻撃は難しいですね。ゴブリン側の待ち伏せにあえば、かなりの損失が出そうです。そして、その奥の砦ですが……左右の断崖に挟まれ、実質的に谷間にあるような立地です」

「包囲戦も難しい、ってことですよね」

「ええ。まあ、五人では包囲戦自体が選択できる戦術ではありませんが」


 広がる森の向こうで、ゴブリン達の砦は小高い丘に挟まれている。守るに易く、攻めるに難しい要衝だ。ゴブリン達は正面を固めることに、ほぼ全ての兵力を集中できるからだ。

 また、背後には大河が流れており、回り込んでの奇襲も難しい。

 モンスターにも知性があるのが、それとも神の気まぐれないたずらか。

 難攻不落とも思える砦は、小さくとも堅牢けんろうな要塞たりえるものだった。

 だが、リンナのいつもの玲瓏れいろうなる無表情は、さして困った様子を見せない。こういう時、彼女の天然のポーカーフェイスは頼もしく見えた。


「さて、やりようはいくらでもありますが……五人という人数を逆に活かすのであれば」

「やっぱり、奇襲での電撃作戦じゃないですか? 虚を衝き、ゴブリンたちに反撃を許さず電光石火で攻略する。混乱を増長させる要素もあれば……あれ? リンナ隊長?」


 気付けば、リンナがじっとラルスを見詰めていた。

 その横では、ラルスの言葉が上手く理解できないのか、ヌイが腕組み首を傾げている。


「よぐわかんねえだ、ラルス。もっとわかりやすく話してけろ。なあ? 騎士様」

「ええと、つまり、不意打ちを仕掛けて、ゴブリン達が慌てふためいてるうちにやっつけてしまおうという話です」

「さっすが騎士様だあ! それならオラでもわかる。うんうん、それはいい考えだなあ……突然襲われたら、誰だってびっくらするからな!」


 ヌイは頭も顔もわかりやすくて、また満面の笑みを浮かべる。

 その無邪気な表情に、ラルスも不思議な安堵感を得ていた、その時だった。

 不意に、風が止んだ。

 そよぐ森の木々も、枝葉でかなでる音楽をやめてしまう。

 空気が突然、奇妙な沈黙に沈んでいった。


「あれ? なんか……妙だ」


 突然の異変に、即座にラルスは緊張感をみなぎらせる。

 ヌイだけが、不思議そうにずっと呑気な表情を浮かべている。

 そして、リンナが腰の剣に手を置いたのと同時だった。


「あれぇ? なしただ、騎士様。ラルスも」


 それはあたかも、戦場を知らぬラルスに戦場の空気を想起させる。

 謎のプレッシャーが、突然この場を支配していた。

 リンナの端正な表情にも、心なしか緊張が見て取れる。

 そして、耳をつんざく絶叫が響く。

 それは、この世界では摂理せつり化身けしんとも言える、暴君タイラント咆哮ほうこうだった。


「少年っ! 空を!」


 リンナが天へと向けた指の、指し示す先をラルスは見上げる。

 空を奪い合うように広がる緑が、上空で吹き荒れる暴風に揺れていた。

 そして、切り取られた空を一瞬、巨大な影が舞う。

 ごう! と、遅れて叩き付けられた風圧が大地を震わせた。

 咄嗟らるすにラルスは、リンナをかばってその細い身体を支える。リンナもまた、阿吽あうんの呼吸で身をていしてヌイを守っていた。

 突然現れた圧倒的な覇気が、空を飛び去っていった。

 森は徐々に、吹き荒れた嵐を見送り、忘れてゆく。

 草木や花々、虫に鳥も普段のいとなみを思い出していた。

 ただ、ラルスたち三人だけが、身を低く伏せて固まっていた。


「……な、なんだったんだ、今の。まさか、大型のモンスターがこの辺りに?」


 ラルスのつぶやきに対して、すぐ側で静かな声が返った。

 ヌイに覆いかぶさるようにして伏せた、鼻先のリンナの横顔に汗が浮かぶ。


「モンスター、という定義は少し不適切ですね。あれは、魔物のたぐいでもなく、かといって神々のような不確かな存在でもありません。強いて言うなら、大自然……森羅万象しんらばんしょうつかさどる、最強の生物」


 ――

 王国を含む、多くの国家が混在するこの大陸でも、わずかな数しか目撃されないとされる巨大生物だ。多くの神話や伝承に登場し、神に最も近い生命体……それがドラゴン。

 伝説の存在をラルスは、初めて目にしたのだった。


「あ、あれが……ドラゴン。本当にいるんですね……てっきり創作物の存在だとばかり」

「王都の研究では、ドラゴンも立派なこの世の生物だと言われています。ただ、あまりに人間やモンスターとはかけ離れた存在だとも。……それより、少年」

「は、はい」

「その……手を」

「ええ。……手を?」

「手を、放してもらっても、いいでしょうか」


 ほおを赤らめ、リンナは目をそららした。

 それでラルスは、自分の右手が彼女を抱えるようにしていることに気付く。

 ラルスの手は今、確かな胸の膨らみを握り締めていた。

 華奢きゃしゃなリンナを守ろうとした行動の結果だった。

 慌ててラルスは、柔らかな感触から手を放して飛び退く。


「すっ、すす、すみません! リンナ隊長、あの」

「……いえ、非常時でしたので。でも」

「で、でも?」

「あとで……お仕置きします。少年、私は少し……怒ってます」


 リンナも立ち上がると、ヌイに手を貸す。

 その横顔はやはり、耳まで真っ赤になっていた。

 多分、今夜もラルスはリンナの、姉の相手をさせられるのだ。彼女が酔い潰れてしまった、昨夜のように。だが、リンナは異母兄弟で、両親を失ったラルスには唯一の肉親だ。自分にだけ素顔で素のだらしなさ、加えて素肌まで晒す姉との時間は、悪くない。

 でも、やっぱりお仕置きは嫌だなと思った、その時だった。


「今の、なに? あれ……初めて、見る。あれ、なに? ……ラルス、大丈夫?」


 振り向くとそこには目を丸くしたヨアンの姿があった。

 彼女も恐らく、先程のドラゴンを見たのだろう。幼い顔立ちは今、驚きのあまりに何度もまばたきする瞳を並べていた。無愛想ぶあいそうな表情も今回ばかりは、突然のことで素直にあどけなさを露呈ろていしている。

 普段から表情のとぼしいヨアンも、年相応としそうおうに見えた。

 案内もなく、よく追いかけてこれたなと思うと、彼女はその理由を口にする。


「リンナ、いい匂い、する。匂い、辿たどる……すぐ、追いついた」

「ああ、そうなんですよね。リンナ隊長ってなんかこう、甘い匂いというか……はっ!?」


 振り向くと、リンナの表情はこおっていた。

 ヌイも残念な人間を見るように、肩をすくめている。

 だが、そんななごやかな空気は、ヨアンの一言で霧散した。


「リンナ、ラルスも。村、戻って……大変。わたし、難しい話、わからない。でも、大変」


 モルタナ村でなにかがあったらしい。

 即座にラルスは、リンナたちと共に村へ引き返す。一度だけ遠くを振り向けば、例のゴブリンたちの砦も、先程のドラゴンの謁見えっけんで大混乱の渦中にあるようだった。その声が風に乗って、かすかにラルスたちの耳元に届いていた。

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