第17話「姉と弟と、そうでない時と」
陽気な笑い声も、村娘たちの踊りと歌も、どこか遠くに聴こえた。
ラルスは今、
「大丈夫ですか? リンナ隊長。お酒は強くないんですよね、多分。無理して飲まなくてもいいのでは」
「少年……これも、仕事の一つ、ですから。
「しかし?」
「大人の社会では、相応にして……酒の席で互いに飲めば、相互理解が進むという、悪しき慣習があります。それが……ちょっと、私には……」
リンナはラルスより二つ上だから、18歳だ。
18歳はこの時代は立派な成人、大人だ。どこに行っても発言権があるし、一人前として扱われ労働力を期待される。
ただ、密着して支えるラルスにとっては、リンナはどこにでもいる普通の女の子だった。
そして多分、姉だ。
ゾディアック黒騎士団の象徴たる、
そんなとこも含めて、ラルスはリンナを守りたいと感じるようになっていた。
「隊長、お部屋です。えっと、
「これを……すみません、少年。中まで」
「は、はい。荷物は宿の人が運び込んでくれてますね」
「なんだか……手間を取らせてしまってますね。常闇の騎士たる者が、だらしないです」
リンナから鍵を受け取り、ドアを開ける。
簡素なベッドが一つだけの、シンプルな部屋だ。
リンナが持ってきた二つの大きなトランクは、そろって脇に置かれている。
ラルスがベッドへ座らせると、リンナはトランクを指差した。
「そっちのトランクを開けてください」
言われるままに、部屋の
ラルスの視界に、
それを両手で持ち上げ、しばし見詰める。
やはり、よくわからない。
あらゆる動物の特徴を持っているような、そうでもないような。
とりあえず、それを手にラルスは振り返った。
そして、絶叫。
「リンナ隊長、やっぱりこれを連れてきたん、です、ああああっ!?」
リンナは脱いでいた。
そこらじゅうに騎士団の制服を抜いでは投げ、下着姿になっている。
白い肌と髪とが、真っ白なシーツに横たわる。
「ラルス……こっちに」
「あわわ……リンナ隊長! まずいです、凄くまずいですよ!」
「少年、早くラルスを……その子がいないと、私……眠れないんです」
「あ、ああ、はい……えっと」
彼女が呼ぶラルスとは、大きなぬいぐるみのことだ。
それを渡してやると、リンナはぎゅっと胸に抱き締めて丸くなる。膝を抱えるように、胎児みたいになって身を
酔っているからだろうか?
それとも、弟だともうわかっているのだろうか?
どちらにしろ、鈍くて
「リンナ隊長、とりあえず……風邪、引きますよ? 何か着て、あと何かをかけて寝ましょう」
「ん……面倒な訳では……ただ、
「ですから、それは同じことで。あーもぉ!」
もはやリンナに、動く気配は全くない。
このまま寝入ってしまうようだ。
ラルスはとりあえず、床に散らばった制服を拾い上げる。栄えある常闇の騎士を示すマントも、
そうこうしていると、背中に弱々しい声が投げかけられた。
「少年……今回は本当にすみません。隊の皆さんにも、悪いことをしました。……ごめん、なさい」
「どうしたんですか、隊長? なんか、今日は随分と弱気ですね」
「そうでも、ないです……もともと、私は……ネガティブな駄目女、なんです。どうしようもない母様の産んだ、どうしようもない娘……
「少し疲れてるだけですよ、そんなことないですし」
そうは言いながらも、ラルスは知っている。
ラルス達家族だけに見せる、リンナの本当の姿。
常闇の騎士を脱ぎ捨てた、素の彼女は……どうしようもなくだらしない。服は脱ぎっぱなし、部屋は散らかりっぱなし、そして脱いだら下着姿になりっぱなし。
その駄目さ加減が不思議と不快ではなく、むしろなんだかかわいらしい。
「……以前から、スコーピオン支隊の隊長には、目を……つけられて、いたんです。彼は、何かと、私に……
ちらりと横目でベッドを見る。
大の字になったリンナの、上向きに重力へ
彼女は半分寝入ってるかのように、とりとめもなく話し続ける。
「以前から、上層部に……上申、していました。団員の格差……正騎士と契約騎士、そして各支隊で異なる待遇。なにより……団員の過酷な任務に対して、適当とは言えない報酬。加えて、装備品や遠征費などの、団員の負担」
リンナの敵は、国と民を脅かすモンスターや野盗、山賊だけではなかった。
彼女は、剣を振るうより過酷な戦いへと身を投じていたのだ。
ラルスにははっきりとはわからないが、彼女が
「ゾディアック黒騎士団は……大きくなりすぎ、ました。以前のような、
「それでも、リンナ隊長みたいな騎士がいてくれるから。常闇の騎士たる者はまだ、誰もが憧れ敬う立派な騎士だから……大丈夫ですよ、隊長」
「ハインツ殿がそうであるように……常闇の騎士もまた、半数以上が、実力以外で地位を得た者たち、です。そうして騎士団の運営に影響力を持つ者たちは、今……正義ではなく、
身を切るような
「少年……私は、変えたいんです。あの方が……父様がいたころの、高潔な騎士達の集う、ゾディアック黒騎士団に」
「父さんの……できます! できますよ、リンナ隊長なら!」
「私も……そう、思っていました。でも、自信がなくなりました」
少し、泣いているのだろうか?
リンナの声が
彼女はぬいぐるみのラルスを両手に抱き直して、そのふさふさの毛並みに顔を埋める。そうして、弟のラルスにだけ本心を打ち明けてくれた。
「組織を変える……改革するには、とても力がいります。ですが……正当性のない手段を用いれば、どんな力でも反発を呼び、歪みを生むでしょう」
「それは、つまり」
「各支隊の隊長、そして上層部……そうした者達を
「しゅっ、粛清!?」
「私は、みんなで……幸せに、なりたいです。騎士団の利益も、名声も、名誉も……分かち合い、たい。それが、どうして……こんなに難しいんでしょうね」
ラルスは黙るしかなかった。
つい先日王都へ到着したラルスは、父の語ってくれたゾディアック黒騎士団に
そのリンナが、泣いている。
組織の中でよかれと思い、手段にもこだわりながら目的の達成を模索している。
正当な道筋で、彼女が思う理想を現実と擦り合わせようとしているのだ。
それは、今や巨大な組織となった騎士団の幹部には面白くないらしい。
「少年……もっと、いい騎士団に……したい、ですね」
「え? あ、はい……でも、俺は今でも好きですよ。ゾディアック黒騎士団には、昔は父さんがいて、隊長の母上もいてくれて……今は、仲間のみんながいて、なによりリンナ隊長がいる。俺、難しいことはわからないですけど、リンナ隊長を支えたいですよ」
「私を、ですか?」
「ほっとけないですよ。それに、リンナ隊長って自分で思うよりずっと、一人じゃなにもできなくて。でも、騎士団に絶対欠かせぬ一人なんですから」
ラルスに深い考えはない。
だが、ここ数日の違和感がようやくわかった気がした。
今のゾディアック黒騎士団は、まるで商社だ。採算を重視し、利益を追求するために組織として運用されている。そこには、奉仕と挺身を持って敵と戦う、本来の騎士道が薄らいで見えた。
それはまるで商売だ。
そして、商売でありながらも、商道には背いている。
「少年……私は、少年の姉、でしょうか? あの方はやっぱり、私の……父様? なら……私という存在が、父様の地位と名誉を、奪ってしまったのでしょうか」
「それは違いますよ! 違う筈です! 結果的にそうなったとしても、父さんはリンナ隊長を祝福した
気付けば熱くなっていたラルスは、発した言葉を
ラルスの中で
きっと、納得の過去だったのだ。
自分が去ることで、リンナとその母を守ったのだ。
「あれ? でも……なんでエーリルさんとの間に子供をもうけると、不義密通になるんだろうか? ……職場恋愛、禁止なのかな? あの、リンナ隊長?」
ラルスの問いかけに、
安らかな寝息を静かに奏でて、少女は眠る。
その腕に抱かれた、自分と同じ名前のぬいぐるみがラルスを見上げていた。
ゾディアック黒騎士団の現状と、父の秘密の過去と、リンナの奮闘と。その全てが断片的にだが、わかった気がした。
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