第17話「姉と弟と、そうでない時と」

 階下かいかではまだ、うたげが続いている。

 陽気な笑い声も、村娘たちの踊りと歌も、どこか遠くに聴こえた。

 ラルスは今、千鳥足ちどりあしのリンナに肩を貸して階段を昇る。簡素な村の宿屋は、一階が酒場になっていて、客室は全て二階だ。さほど規模は大きくなく、随分と古い建物らしい。


「大丈夫ですか? リンナ隊長。お酒は強くないんですよね、多分。無理して飲まなくてもいいのでは」

「少年……これも、仕事の一つ、ですから。勿論もちろん……私も少年と、同意見、です。しかし」

「しかし?」

「大人の社会では、相応にして……酒の席で互いに飲めば、相互理解が進むという、悪しき慣習があります。それが……ちょっと、私には……」


 リンナはラルスより二つ上だから、18歳だ。

 18歳はこの時代は立派な成人、大人だ。どこに行っても発言権があるし、一人前として扱われ労働力を期待される。

 ただ、密着して支えるラルスにとっては、リンナはどこにでもいる普通の女の子だった。

 そして多分、姉だ。

 ゾディアック黒騎士団の象徴たる、常闇の騎士ムーンレスナイトの一人。そして、遊撃戦力スィーパーとして集められたオフューカス分遣隊ぶんけんたいの隊長。ラルスが尊敬する父の子、かもしれない人でもある。その実、完璧な美少女騎士である表の顔は、裏に生活力のない母親譲りのだらしなさを秘めている。

 そんなとこも含めて、ラルスはリンナを守りたいと感じるようになっていた。


「隊長、お部屋です。えっと、かぎは」

「これを……すみません、少年。中まで」

「は、はい。荷物は宿の人が運び込んでくれてますね」

「なんだか……手間を取らせてしまってますね。常闇の騎士たる者が、だらしないです」


 リンナから鍵を受け取り、ドアを開ける。

 簡素なベッドが一つだけの、シンプルな部屋だ。

 リンナが持ってきた二つの大きなトランクは、そろって脇に置かれている。

 ラルスがベッドへ座らせると、リンナはトランクを指差した。


「そっちのトランクを開けてください」


 言われるままに、部屋のすみに置かれたトランクの片方を開く。

 ラルスの視界に、摩訶不思議まかふしぎなイキモノのぬいぐるみが飛び込んできた。トランクの中身は、自分と同じ名を持つリンナの親友、大きなぬいぐるみだった。

 それを両手で持ち上げ、しばし見詰める。

 やはり、よくわからない。

 あらゆる動物の特徴を持っているような、そうでもないような。

 とりあえず、それを手にラルスは振り返った。

 そして、絶叫。


「リンナ隊長、やっぱりこれを連れてきたん、です、ああああっ!?」


 リンナは脱いでいた。

 そこらじゅうに騎士団の制服を抜いでは投げ、下着姿になっている。

 わった目はぼんやりとうるんで、火照ほてったほおが上気していた。

 白い肌と髪とが、真っ白なシーツに横たわる。


「ラルス……こっちに」

「あわわ……リンナ隊長! まずいです、凄くまずいですよ!」

「少年、早くラルスを……その子がいないと、私……眠れないんです」

「あ、ああ、はい……えっと」


 彼女が呼ぶラルスとは、大きなぬいぐるみのことだ。

 それを渡してやると、リンナはぎゅっと胸に抱き締めて丸くなる。膝を抱えるように、胎児みたいになって身をたたんだ少女。下着しかまとわぬその半裸から、慌ててラルスは目を逸した。

 酔っているからだろうか?

 それとも、弟だともうわかっているのだろうか?

 どちらにしろ、鈍くて朴念仁ぼくねんじんなラルスにも刺激が強い。


「リンナ隊長、とりあえず……風邪、引きますよ? 何か着て、あと何かをかけて寝ましょう」

「ん……面倒な訳では……ただ、億劫おっくうで……」

「ですから、それは同じことで。あーもぉ!」


 もはやリンナに、動く気配は全くない。

 このまま寝入ってしまうようだ。

 ラルスはとりあえず、床に散らばった制服を拾い上げる。栄えある常闇の騎士を示すマントも、丁寧ていねいにたたむ。

 そうこうしていると、背中に弱々しい声が投げかけられた。


「少年……今回は本当にすみません。隊の皆さんにも、悪いことをしました。……ごめん、なさい」

「どうしたんですか、隊長? なんか、今日は随分と弱気ですね」

「そうでも、ないです……もともと、私は……ネガティブな駄目女、なんです。どうしようもない母様の産んだ、どうしようもない娘……自堕落じだらくな女なんです」

「少し疲れてるだけですよ、そんなことないですし」


 そうは言いながらも、ラルスは知っている。

 ラルス達家族だけに見せる、リンナの本当の姿。

 常闇の騎士を脱ぎ捨てた、素の彼女は……どうしようもなくだらしない。服は脱ぎっぱなし、部屋は散らかりっぱなし、そして脱いだら下着姿になりっぱなし。

 りんとした気高い騎士の仮面を脱ぐと、彼女はラルスの駄目な姉だった。

 その駄目さ加減が不思議と不快ではなく、むしろなんだかかわいらしい。


「……以前から、スコーピオン支隊の隊長には、目を……つけられて、いたんです。彼は、何かと、私に……便宜べんぎを、はかりたがって。すぐ、ベタベタしてきて」


 ちらりと横目でベッドを見る。

 大の字になったリンナの、上向きに重力へあらがう胸の膨らみが上下していた。

 彼女は半分寝入ってるかのように、とりとめもなく話し続ける。


「以前から、上層部に……上申、していました。団員の格差……正騎士と契約騎士、そして各支隊で異なる待遇。なにより……団員の過酷な任務に対して、適当とは言えない報酬。加えて、装備品や遠征費などの、団員の負担」


 リンナの敵は、国と民を脅かすモンスターや野盗、山賊だけではなかった。

 彼女は、剣を振るうより過酷な戦いへと身を投じていたのだ。

 ラルスにははっきりとはわからないが、彼女が酒精しゅせいうながされるままこぼす言葉を、自分の中で噛み締めてゆく。


「ゾディアック黒騎士団は……大きくなりすぎ、ました。以前のような、崇高すうこうな理念、理想に燃えていた時代は、もう……過去に去りつつあります」

「それでも、リンナ隊長みたいな騎士がいてくれるから。常闇の騎士たる者はまだ、誰もが憧れ敬う立派な騎士だから……大丈夫ですよ、隊長」

「ハインツ殿がそうであるように……常闇の騎士もまた、半数以上が、実力以外で地位を得た者たち、です。そうして騎士団の運営に影響力を持つ者たちは、今……正義ではなく、利潤りじゅんつかえているんです。一方で、同志たる団員に、それを還元しようとしない」


 身を切るような吐露とろだった。


「少年……私は、変えたいんです。あの方が……父様がいたころの、高潔な騎士達の集う、ゾディアック黒騎士団に」

「父さんの……できます! できますよ、リンナ隊長なら!」

「私も……そう、思っていました。でも、自信がなくなりました」


 少し、泣いているのだろうか?

 リンナの声が湿しめを帯びる。

 彼女はぬいぐるみのラルスを両手に抱き直して、そのふさふさの毛並みに顔を埋める。そうして、弟のラルスにだけ本心を打ち明けてくれた。


「組織を変える……改革するには、とても力がいります。ですが……正当性のない手段を用いれば、どんな力でも反発を呼び、歪みを生むでしょう」

「それは、つまり」

「各支隊の隊長、そして上層部……そうした者達を粛清しゅくせいしても、なにも変わりません」

「しゅっ、粛清!?」

「私は、みんなで……幸せに、なりたいです。騎士団の利益も、名声も、名誉も……分かち合い、たい。それが、どうして……こんなに難しいんでしょうね」


 ラルスは黙るしかなかった。

 つい先日王都へ到着したラルスは、父の語ってくれたゾディアック黒騎士団にあこがれていた。事実、憧れを具現化したリンナに出会えた。

 そのリンナが、泣いている。

 組織の中でよかれと思い、手段にもこだわりながら目的の達成を模索している。

 正当な道筋で、彼女が思う理想を現実と擦り合わせようとしているのだ。

 それは、今や巨大な組織となった騎士団の幹部には面白くないらしい。


「少年……もっと、いい騎士団に……したい、ですね」

「え? あ、はい……でも、俺は今でも好きですよ。ゾディアック黒騎士団には、昔は父さんがいて、隊長の母上もいてくれて……今は、仲間のみんながいて、なによりリンナ隊長がいる。俺、難しいことはわからないですけど、リンナ隊長を支えたいですよ」

「私を、ですか?」

「ほっとけないですよ。それに、リンナ隊長って自分で思うよりずっと、一人じゃなにもできなくて。でも、騎士団に絶対欠かせぬ一人なんですから」


 ラルスに深い考えはない。

 だが、ここ数日の違和感がようやくわかった気がした。

 今のゾディアック黒騎士団は、まるで商社だ。採算を重視し、利益を追求するために組織として運用されている。そこには、奉仕と挺身を持って敵と戦う、本来の騎士道が薄らいで見えた。

 形骸化けいがいかした騎士道を派手に掲げて示し、その実は世知辛せちがらい。

 それはまるで商売だ。

 そして、


「少年……私は、少年の姉、でしょうか? あの方はやっぱり、私の……父様? なら……私という存在が、父様の地位と名誉を、奪ってしまったのでしょうか」

「それは違いますよ! 違う筈です! 結果的にそうなったとしても、父さんはリンナ隊長を祝福したはずです。父さんが昔、言ってました。騎士とは常に、弱き者のために戦い、牙無き者の牙になるのだと。騎士団を離れることもまた、隊長を守る父さんの戦いだった筈です。そこに後悔は絶対ない筈なんです!」


 気付けば熱くなっていたラルスは、発した言葉を反芻はんすうしてみて口をつぐむ。

 ラルスの中でかたくなに否定されていた、父の不名誉な不義密通……その果ての追放処分。そのことをラルスに語らなかったのは、決して恥じ入り秘密にしていた訳ではないと思える。

 きっと、納得の過去だったのだ。

 自分が去ることで、リンナとその母を守ったのだ。


「あれ? でも……なんでエーリルさんとの間に子供をもうけると、不義密通になるんだろうか? ……職場恋愛、禁止なのかな? あの、リンナ隊長?」


 ラルスの問いかけに、すでにリンナは応えられなかった。

 安らかな寝息を静かに奏でて、少女は眠る。

 その腕に抱かれた、自分と同じ名前のぬいぐるみがラルスを見上げていた。

 ゾディアック黒騎士団の現状と、父の秘密の過去と、リンナの奮闘と。その全てが断片的にだが、わかった気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る