・暗躍する影の仕打ち

第14話「出張への旅立ち」

 あわただしい朝の王都が、背後へと小さく遠ざかる。

 街道に揺られながら、幌馬車ほろばしゃの中でラルスは王都を振り返った。

 あの地下水道での戦いが終息したのは、昨日の夜遅く。そのまま本営に引き上げたオフューカス分遣隊ぶんけんたいを待っていたのは、辺境への急な派遣任務だった。


「……王都に来て三日目で、王都を一度出ることになるなんてなあ。これはちょっと、テンションがアガらない……アゲてきたいけど、アガらない」


 ガタゴトと揺れる幌馬車は、武器や防具といった装備品で散らかっている。急な準備だったためか、乱雑な車内は少し狭い。すぐ横では、肩を寄せ合う用にしてヨアンが小さなボードにチョークを走らせていた。

 一心不乱に字を書いては消すヨアンを見下ろし、ラルスは自然と笑顔になる。


「ヨアンさん、随分難しい字を……もうそんなに書けるんですか?」

「バルク、教えてくれた。わたし、魚、好き」

「ああ……って、これはなんて読むんです? えらく難しい字ですけど」

「これは、さば。そして、こっちが、さけ。こう書くと、まぐろ。どれも、美味しい」


 カツカツと小気味よい音で、ヨアンが次々と字を見せる。酷くつたない、それなのに律儀に直線と直角で構成された文字。どれも難しい常用外のものだ。だが、覚えて学ぶことが嬉しいのか、ヨアンは一生懸命色々な魚を並べてゆく。

 ヨアンの手元を覗き込んでいたラルスは、座る向かい側にも笑顔を拾った。

 バルクは手に小さなビンを傾けながら、朝から酔っ払っていた。


「おじょう、どうだ? 次は鳥を覚えるかい? 鳥肉もうめえぞぉ、焼いてよし、でてよし、あぶってもてもうまい。かーっ、さかなが欲しくなるね」

「……バルクさん、朝から飲んでるんですか?」

「朝だから、さ。昨日は急な準備でろくに寝てねえんだ、今日は一昼夜移動だけで終わるし、休んでおくのが仕事って訳さ。そこんとこ、わかってんのかね? あいつは」


 蒸留酒コニャックを飲みつつ、ちらりとバルクが視線を走らせる。

 奥にはビスクドールのようにしゃんと座ったリンナがいて、その隣でカルカが床に突っ伏していた。わずかなスペースにこれでもかと仕事を持ち込み、彼女は忙しそうにペンを走らせている。


「カルカさん、あの……」

「フフ、ウフフフフフ……あら、どうしましたか? ラルス君」

「いえ……忙しいんですか? それ」

「空いてる時間で、カプリコーン支隊の残務を整理してるんです。ふふ、ざっと検算してみましたが、経費を二割ほど削減できそうですね。わたくし、ハインツ様には期待されてるんです」


 そう言って顔をあげると、カルカは気取って演じた声を作る。

 どうやらあのハインツを真似ているらしいが、全く似てなかった。


「カルカ君にしか頼めないことだ、なんの手当も出してやれんが、君を女性騎士の鏡たる才媛と見込んで頼む。君の気高き誇りが今こそ必要だ。って! やーんもぉ、ハインツ様……それとなくドSな攻めキャラっぽさが、わたくしもぉ! もぉ! くーっ!」


 訳がわからない。

 ただ、どうやらカルカのテンションは高いようだ。

 彼女は再び床に突っ伏すと、ズガガガガガ! と仕事に没頭し始めた。

 話を聞く限りでは、どうやらタダ働きらしい。それでよくあんなにと、ちょっとラルスは気の毒になってしまった。ちびちびやってたバルクも、呆れてものが言えない様子だ。

 それでも、バルクは身を正して座るリンナへと笑いかける。


「そういや隊長、随分と大荷物ですな? 朝方に一度、お屋敷の方には帰ったんですよねえ? 女の旅は荷物が多い、今も昔も変わりませんな」

「……母が、その、張り切ってしまいましたので。断ったんですが、持たされました」

「はは、エーリルも変わらないねえ。おおかた、目の毒、猛毒のたぐいを持たされたんでしょう。田舎でハメを外して遊びなさいよと、フリフリのスケスケを。違いますかね?」

「違い、ません……そうなんです、フリフリです。スケスケなんです」

「楽しみですなあ」

「着ませんから。絶対に、着ませんから」


 ラルスが言うのもなんだが、リンナの母エーリルときたら、親馬鹿なのか馬鹿な親なのか、それともその両方か。明け方に戻ったリンナとラルスから話を聞くなり、連れ込んでいた男を追い出して荷造りに取り掛かったのだ。

 その成果が、リンナのかたわらにあるデカいトランクという訳だ。

 勿論もちろん、ラルスと同じ名の魔獣キマイラみたいなぬいぐるみも一緒だ。

 あれがないとリンナは、いまだに寝られないという。

 そのことを思い出して笑いを噛み殺していると、察したのかリンナがほおを膨らます。唇をとがらせた彼女が、妙に幼くあどけなくて、やっぱり笑みがこみ上げるラルスだった。


「少年、なにがおかしいんですか?」

「いえ、なにも……ただ、常闇の騎士ムーンレスナイトも人の子なんだなあ、って」

「当然です。私は残念ながら、あのふしだらな母の子なんです。でも、父はきっと……少年には話してませんでしたね。いい機会です。私の……私達の父の話を少ししましょう」


 意外なことだと思ったが、周囲は別段興味を示さない。

 知り合いだったらしいバルクは、外を見ながら一杯やっている。

 ヨアンは猛勉強中で、カルカは相変わらず働き詰めだ。

 リンナが少し横をあけてポンポンと床を叩くので、ラルスはその小さな隙間におさまった。少し狭くて、密着してくるリンナの痩身そうしんが着衣の布越しに温かい。


「私は母の私生児として生まれ、しばらく父を知らぬまま生きていました。母はあの通りの人間で、ゾディアック黒騎士団を除名されても、全く気にしてませんでした。元々貴族の一人娘で、自由気ままな放蕩生活ほうとうせいかつはその頃からだったみたいです」

「ああ、それであのお屋敷……豪邸ですもんね」

「祖父母が亡くなり、母は家督かとくを継いで女手一つで私を育てました。が、浪費癖ろうひぐせに加えて男性にだらしない性格も手伝い、家は没落。今ではあの有様です」

「……やっぱり、その、俺の父なんですか? リンナ隊長の父君は」

「母はそう匂わせてます。それであの方は、騎士団を追放され故郷に戻ったとも。そんな父から、唯一幼少期に届いた贈り物……それがラルスです」

「あの、くまみたいなぬいぐるみ」

「熊ではありません。ラッコのようなものだと思いますが」

「そ、そうですか。えっと」

破茶目茶はちゃめちゃな母に育てられ、物心付いたころには私が母の世話をしていたんです。こう見えても私、料理や洗濯等、家事には自信があります」


 思わずラルスは「えっ?」と真顔になってしまった。

 リンナが母エーリルと暮らす、ベルトール家の屋敷は酷い惨状だったから。


「……まあ、実際少年が来てくれて助かっています。それに……母以外に家族がいたというのは、嬉しいものです。父はラルスと、もう一人のラルスを私に残してくれました」


 すぐ横、肩と肩とが触れ合う距離に精緻せいちな横顔があった。

 白い肌、白い髪、そして漆黒の装束にマントの少女騎士。りんとしたその表情を隣に見下ろし、ラルスは父のことを想う。

 自分にこんなに美しい姉がいると、父は一言も言ってくれなかった。

 彼女は、吐息といきを肌で感じる距離まで顔を近づけると、大真面目に言葉を選んだ。


「次は少年の番です。あの方のこと、父様のことを話してください」

「え、ええと……いや、大したこともない日常でしたけど。その、なにごともなく平和で、のどかで」

「とても、興味があります。話してください。なるべく多く、詳細に」

「は、はい」


 タジタジになりつつ、ラルスは思い出すままに父との暮らしを語った。

 畑仕事や、飼ってる羊、にわとりの世話。

 母はラルスが物心つく前に亡くなったが、ずっと父とは仲睦なかむつまじい夫婦だったらしい。もしかしたらそれは、エーリルやリンナと築く筈だった家族の姿かもしれない。

 何度も頷き相槌あいづちえながら、リンナはラルスの話に聞き入っていた。

 ガタゴトと揺れる幌馬車の中で、身を寄せ合う二人の思い出が行き交う。


「ふむ、父様がそんなことを……その、村ではどうだったのですか? 父様は立派な騎士だと母様から聞いています」

「村の自警団では、中心的存在でしたね。やっぱりモンスターなんかが田畑を荒らすし、野盗や山賊が襲ってきたのも二度や三度では」

「なるほど……やはり、騎士団を追われて尚、父様は皆を守る騎士道を貫いたのですね」

「そうかもしれません。なにより俺に、戦うすべを残してくれました。戦う意味も」


 ラルスの言葉に、リンナの無表情がほんの少しだけ和らいだ。

 そのまま喋り続ける彼女の声が、子守唄こもりうたのように満ちてゆく。通りの良い声音は、まるで清水の流れるせせらぎのようだ。気付けばラルスは、睡眠不足も手伝って眠りへと落ちてゆく。

 自堕落じだらくで駄目な母様と言いつつ、リンナが話すエーリルとの暮らしも賑やかだ。

 そして、そんな母親に似て生活力がない自分を、少し恥じているとも言う。

 時に嬉しそうに少しはしゃいで、時には恥ずかしげに目を伏せるリンナ。長い睫毛まつげが濡れて、妖精や天使のような美貌を飾っていた。

 ぼんやり見ていたラルスは、春の陽気と幌馬車の揺れにうとうとし出す。

 ラルスは気付けば、寝てしまったことすらわからぬ中で寝入ってしまった。

 混濁こんだくとする意識は、仲間達の声を僅かに拾う。

 行き交う言葉は既に、理解できぬまま頭の中を通り過ぎていた。


「おんやあ? 隊長、ボウズは寝ちまいましたよ。なんて顔してんだか……どうです? 俺が言った通りでしょう? 似てますよ、ボウズはあいつに……アルスに」

「そうかもしれません、バルクさん。ですが、このことはくれぐれも内密にお願いします」

「了解ですよ、隊長。一緒に住んでることも、俺たちが存ぜぬことですから」

「……気付いて、いたんですか?」

「そりゃまあ、それとなく。なあ、カルカ?」

「えっ? ああ、はい。ちゃんと住宅手当の申請はしてあるので、大丈夫ですわ」

「ラルス、リンナと、住んでる? 一緒、寝てる? そういうの、夫婦。パパと、ママと。わたし、知ってる」

「ちっ、ちち、違います、ヨアンさん! 違うんです……その、どうやら少年は、私の弟らしく……ええと」

「弟? なら、ええと……ただれた、関係。淫靡いんびな、背徳。禁じられた、愛?」

「……バルクさんですね? 変な言葉をヨアンさんに教えたのは」

「さーて、俺も一眠りすっかなあ! 酔っちまったなあ、わはは!」

「わ、わたくしも……少し、酔ったみたいですわ。……馬車に……ウップ!」

「ごまかさないでください、バルクさん。あと、カルカさんは少し休んでください」


 賑やかな声が遠ざかる中で、ラルスは完全に眠ってしまった。

 彼が目をさますのは、この半日後……とっぷりと日の暮れた夕闇の中だった。

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