第7話 ラヴ少女 《荒野の先》
強固な結界が張られたその場所では、檻に入れられ、水中深くに沈んだ魔道具が、ブルブルと不気味な音をあげて動きつづけている。
円柱形の
泉に集まる魔獣達は、魔道具が発する不快な振動音に苛立ちながらも、結界のそばには決して近づこうとはしない。互いを喰らい、闘争を生きがいとする魔獣達が一体何をそこまで怖れるというのか。
それは、猫である。
縄張りに立ち入る者を八つ裂きにする、恐るべき猫野郎である。
そして猫野郎――もといルドルフによって設置された魔道具は、今日もせっせと水を汲みあげつづける。ルドルフさん
「ふう、極楽、極楽」
ポンプ代わりの魔道具と「水の道」、それに「
ルドルフの過酷な労働と魔法技術の恩恵に
「なにが高級食材だ、ファッキンチャイナめ……いつか、十三億八千万全員の口にアレを突っ込んでやる」
浴槽につかり身勝手な復讐を誓う少女は、自分の裸体を見つめている。今のところは年相応、いまだ発展途上と言っていい。そしておそらく、それなりの
「気に入らない……」
程よく引き締まったツルツルボディを
これまで少女は、自分の身体に不満を抱くことはなかった。「イメージ通りに包丁を振るう」、肉体に望むことはそれ一つであり、他のことはどうでも良かった。幸いこの肉体は、その要求に十分以上に応えてくれた。鍛えるごとに力は増し、磨くごとに技は冴えた。
「神崎流包丁術」、初代以来の天才――それは少女の「魔力」に起因した才能だったのかも知れない。しかし、肉体もまた重要な
にもかかわらず、自分の身体を見つめる少女の視線は、険しく冷たい。
厳しい
我が身体よ、私自身よ、なにゆえお前はツルツルなのかと。
浮き
「こんな身体は嫌いだ……」
舟風呂のなか立ち上がり、少女はポツリと呟いた。
薄暗い闇の中、「女神の宿星」に照らされる肌は
「ハダカデバネズミ……」
あのフカフカで美しい体毛を持つ彼には、自分はそう見えているはずだ。少女は思い、どうにもならない自分の身体をただ嘆く。
「ヒゲでも生やそうかな……」
馬鹿っぽい言葉とは裏腹に、その表情は真剣だった。
夜の風は少し冷たく、立ち尽くしていた少女の体は、いつの間にか冷え切っていた。舟風呂の淵にかけた大布で大雑把に身体を拭くと、少女は冷えた体のまま浴槽を出る。薄闇の中でぼんやり光っているのはかまどの火、きっと彼が、あの
「ルドルフ……ルドルフ・ザリア・クティノス・ジ・レクス」
オレンジの光をぼんやり眺めながら、そこにいるであろう彼の名を、少女は小さく呟いてみる。
瞬間、胸の奥から奇妙な感情が溢れだした。
なるほど……これが、ラヴか。
少女は目を閉じ、胸のざわめきを味わうように噛みしめる。小さめの胸に去来するのは、彼と過ごした楽しき日々。
うんちを漏らし、ゲロを吐き、白目を剥いて死にかけた、日々の……想い出ぇぇ。
「……考えるのやめよ。つまんないや」
「シーナ! 猿鍋が出来たぞ!」
現実から目を背ける少女の耳に、聞きなれた声が聞こえてきた。
「うん、すぐ行く!」
白いポンチョを素早く被ると、少女は彼の元へ駆けていく。
天国か地獄にいるお母さん、好きな人が出来ました。
人間ではないけれど。
少女の顔に浮かぶのは満面の笑み、彼女の行く先には、美味しい食事と愛しい猫が待っている。
「とりあえず髪の毛くらい伸ばしてみるか」
まずは前向きに、この恋と向き合ってみよう。少女そう決意する。
「ルド! 私、毛深くなる!」
頬を赤らめて告げた、少女なりの恋の宣戦布告は、何かが少しおかしかった。
「君はいったい、なにを言ってるんだ」
言葉に秘めた想いは、当然彼には伝わらない。
少女と猫、抱く想いは互いに同じ、けれど彼らは気づかない。
「美味い、美味い、ニャンコ先生、料理上手」
じっくり煮込んだ
「おコメがほしい」と。
ルドルフの話によると、
よし、やるか。
まずは、考えるより先におねだりである。「ニャンコ先生ならば、なんとかしてくれる」の精神のもと、「ルドえもーん、おコメ食べたい」とねだるのだ。
卑しさに導かれた少女は、思考を放棄しておねだりの姿勢に入った。
ゆくぞルドルフ! 私が一人では何も出来ないことを教えてやる!
「ルドえもーん、おコメ――」
「シーナ、大事な話がある」
「え、あっ、はい……」
どうでもいいおねだりの途中で、真剣な顔をして大事な話と言われれば、さすがの少女も黙るしかない。
コメはおあずけか、と少々むくれつつ、少女はルドルフの言葉を待った。
「人間の……村に行こうと思うのだ」
以心伝心、このスーパーキャット、人の心まで読みやがる! 少女は心の中で驚嘆の叫びをあげた。「おねだり」を封じておきながら、先回りして願いを叶えるなんて、この猫、いったい自分をどれだけ甘やかすつもりだ。
もはや神の領域――
畏敬にも似た感情を抱きながら、少女は
目の前では、後光がさしている気がしないでもない猫神様が、なにやら神妙な面持ちでこっちを見ている。
「神よ……つづき言って」
ノリノリの少女は、神に話のつづきを
「
「んー……? んん? ちょっともう一回言ってください」
ここに来て言語能力が覚醒したのか、少女は妙に
「……
「うぎゃ!」
ルドルフがすべてを言い終わる前に、少女はカエルのような声をだして地面に突っ伏した。
捨てられた! 捨てられてしまった!
何故だ、絶望に打ちひしがれながらも少女は考える。人が答えに行きつくには何かしらの理由がある。理性ある人間は、論理的思考によって回答を導き出すものなのだから。
あれは猫だけども。
自分のツッコミに「フヒヒ」と笑いが漏れるも、笑っている場合ではないと、少女は気を引き締める。
落ち着け、ルドルフは基本的に優しい猫だ。私が問題点を自ら口にし、それを改善すると約束すれば、とりあえずだがこの場はしのげる。
少女の瞳に希望の光が宿った。ワガママを言い過ぎた。約束を破った。嘘をついた。魔道具を頻繁に壊した。それでもまだ、ルドルフなら、ルドルフならば許してくれる。
「わしは負けん……」
その身に踏まれて踏まれて強くなる麦の精神を宿した少女は、「ギギギ……」とうめき声をあげて、力強く立ち上がった。
「ルド……私は――」
言いかけて少女は一旦動きを止める。
問題点、捨てられる理由、思いあたる節が多すぎる。
手の指、足の指どころではない。毛の数ほども思いあたる。あの時の「アレ」、この前の「ソレ」、かけた迷惑数知れず、与えた損害星の数。二酸化炭素とうんち以外を生み出さない、タダ飯食らいの大食らい。
そして……
「ハダカデバネズミィィィ!」
もはや役満、四万八千点(親)。挽回不可能である。
「……まいったな」
諦めのなか、苦し紛れに少女は笑う。もはや言い訳などしようもない。愛想をつかされるのも当たり前なのだ。
ならば今まで通りにするとしよう。今まで通りにワガママを言うのだ。
開き直った少女はサファイアブルーの瞳と真っすぐに向き合った。
「私は、一緒にいたい……」
囁くように紡がれた言葉に、彼は少しだけ驚いた顔をして「そうか……」と呟き、切なげに微笑んだ。
少女が眠ったあと、家の外に出たルドルフは死にかけていた。
「あれは、ダメだ……」
散々考えた末、決断したのは少女との別れ。
ルドルフは、あの時の言葉と少女の顔を思い返し、悶絶する。
あんな顔であんなことを言われては、私の方が離れられない。
「これは、別の覚悟を決めねばならんな……」
呟くルドルフの脳裏には、遥か西、荒野の果ての光景が浮かぶ。
そこにあるのは黄金の国「アルウム」、女神に選ばれし英雄が建てた人間達の国、そしてルドルフの故郷を飲み込んだ国である。
次話予告。
二人の戦士、二匹の鬼、この世の地獄でさえも、彼らにとってはただの狩場。されど、二人が追う獲物もまた、地獄に巣くう鬼なのだ。
驕り、慢心、油断、傲慢なる強者は、断罪の爪牙によって裁かれる。
次話「陰謀少女」
男は過去を、女は企みを、その胸に隠す。
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