凡庸な殺人鬼

文月

cap.1

……夢を見た。

スプラッター映画にありがちな、よくある殺人シーンだ。

ありきたりなナイフでどこにでもいそうな女性を殺し、その死体の傍らでなんのひねりもなく笑って佇んでいるという、実につまらない夢だった。

実際のところ、僕には人を殺せるだけの度胸も腕力もない。多分、女性に襲いかかったところで逆に組み伏せられてしまうのが関の山だろう。

まあ、僕は人を恨んだりするだけのエネルギーも関心も、ないのだけれど。


時計を見る。 午前2時。もしこれが歌の世界であれば、ラジオをぶら下げて自転車を漕いでいる、そんな時刻。

あれは確か16年前の曲だったか、そんなことを考えながら冷蔵庫にあったミネラルウォーターの栓を開ける。

気だるさが空気になってまとわりついてくるような、嫌な真夏の夜。

テレビをつけると、ニュースキャスターが原稿を読んでいた。

『ニュースです。今夜未明、都内で女子高生が電車にはねられ、死亡しました。遺書などはなく、死亡原因は不明です。名前は朝霧灯さん,16歳。警察は……』

そこでテレビを消した。今回も成功か。

なんの達成感も感慨もなく、ぼんやりとそう思った。


誰かを殺すから鬼になるのだろうか?

鬼が殺すから殺人鬼なのか?

罪の所在は、現代の業は、死後どこへ向かうのだろう?

少なくとも、僕の行き先が天国でないことだけは確かだ。


──凡庸な殺人鬼





「こんにちは。朝霧灯です」

ドアを開け、ハキハキとした声で彼女はそう挨拶した。

僕は昨日飲んだウィスキーが残る胡乱な頭で彼女を認識し、「はぁい」なんて間抜けな返事をしてしまった。時刻は午後2時。働くのが嫌になってしまうような真夏の空気が開かれたたドアから入り込んでくる。

朝霧さんと名乗った女の子は丁寧な仕草でドアを閉め、少しだけ微笑んでいる。

年の頃は10代半ば、近所の都立高校の制服を身に纏い、長い黒髪をツインテールにしている。

クリクリとした目は小動物を印象させ、邪気のなさそうな笑顔がいたって健全な印象を与える、どこにでもいる女子高生だった。

「こんにちは、朝霧さん。篠崎探偵事務所主任、篠崎真弓です。予定の時間より、少し早かったね。」

「そうなんです。私、なんでも早めにしないと済まないタチで……」

言いながら彼女はソファーに腰を下ろす。ガラス張りのテーブルを挟むようにして置かれたソファーに、姿勢良く座った。

こういった仕草だけで人の育ちが測れるから不思議である。


僕、篠崎真弓は探偵という職業で飯を食っている、一応。

探偵といってもアニメや小説のようなドラマティックなものではなく、大抵は浮気調査、失せ物・失踪人の創作、あとは悩み相談のようなものが主な仕事で、いってしまえば地味な職業である。

高校を卒業後、親戚が所有していた貸しビルの一室を破格の値段で譲ってもらい、事務所に改装し、探偵として生計を立てている。

当時入っていたアパレルショップが閉店し、空きテナントになっていたところを改装したため、一部の棚や床は不自然なほどにオシャレになっている。

おかげで僕のボロい事務所机が悪目立ちしているほどである。

ぶっちゃけ安定はしていないし、華やかさとは縁遠い仕事である。

もっとも、時間に融通がきくのだけはこの職業の長所といえよう。

依頼は直接事務所に持ち込みで受ける他、webサイトに申し込むことができるフォーラムを設けている。

この女の子はHPで申し込みをしてくれて、依頼内容の欄には『直接話します』とだけ書いていた。

「で、依頼内容は……」

テーブルの向こうで朝霧さんがやはり行儀よくコーヒーを飲んでいた。

「はい、実は……あるカップルを破局させて欲しいんです」

「はあ……。」

またか、と心の中でため息をつく。実のところ、こういった依頼は多い。

探偵はただの職業である。

それをアニメや小説の誇大な表現のせいで、難事件を一発で解決できるスーパーマンだと勘違いしている人間が多い。

中にはこういった依頼や、誰かを不幸にして欲しい、挙げ句の果てには誰かを殺して欲しいという人まで来る有様である。

もちろんそんな依頼は受け付けない。そういう依頼をしている人は大体悩みを抱えているものだから、悩みを聞いてあげてお帰りいただく。

相談料という名目で話すだけでもお金がかかるので、正直な話こうした依頼は安定した収入になっている。

料金設定は一時間一万五千円。この事務所は僕と臨時職員だけで経営しているため、割と良心的な値段であると思う。

いっそのことカウンセラーに鞍替えしようかと思っているくらいである。


「そうなんだ……一応聞くけど、どういった経緯なのかな?」

一応、というワードに彼女は反応する。依頼を聞くつもりがないという空気を感じ取ったのだろう。

「真剣なんです、私。本当に夜も眠れないほど悩んでいて……」

「わかったわかった。とりあえず、話してみて。」

依頼に来る人間というのは不安定な精神状態である場合が多い。刺激しないのが一番だ。

「実はその……えっと……別れさせて欲しいのは、同じ高校の、石森彩月と佐沼浩一っていうカップルなんですけど」

「はいはい。」

相槌を打ちながら、(話を聞いていますよ、という体裁で)メモを取る。

ははあ、見えたぞ。これは彼氏を取られたパターンだな。まあ、良くある話である。

「その、私、彩月……石森さんと、付き合ってたんです」

「え?」

我ながら間抜けな顔をしているなと、ぼんやり思った。



「だから、石森彩月さんとは恋人同士だったんです」

私の発言を聞いた目の前の探偵さんは、なんとも味のある表情を浮かべた。

それはそうだろう。まさか女子同士が付き合っているなんて、普通はない話だ。

最近は同性愛も世の中に受け入れられているのかなと思ったけど、そんなこともないみたい。

「……続けてくれるかな」


名前は篠崎さんというらしい。年は20代半ばから後半。黒髪でくりっとした目に銀縁のメガネをかけていて、割と美形な顔立ちだ。

背は高く、細身の体が好青年ぶりを際立たせている。

割と女の子にモテるタイプかもしれない。

そんな彼は、若干の戸惑いを顔に浮かべていた。

「はい。……実は」

私は、篠崎さんに私たちの物語を語り始めた。


❇︎          ❇︎          ❇︎

石森彩月と出会ったのは、高校に入学したばかりの四月の頃だった。

私は中学の頃やや問題を抱えた少女であったため、高校で友達ができるかどうか正直不安だった。髪の毛をツインテールにして可愛く見せたり、笑顔の練習を何回もしてみたりと、予行練習みたいなものは重ねてきたのだが、誰にも話しかけられないまま入学式は終わった。


友達作りに失敗したことに落胆しつつ、帰ろうと席を立とうとしたその時だった。

「ねえ、一緒に帰らない?」

思わず見上げたその顔は、思わず見惚れてしまうくらい、綺麗だった。


ショートカットに、やや鋭めの切れ長の瞳。

長い睫毛も相まって、なんだか宝塚の男役のような雰囲気だった。

その瞳は何かを見抜くかのように深く、見つめていると吸い込まれそうだった。

身長は私よりも頭一つ分くらい高く、それも大人っぽい雰囲気を際立たせていた。

私たちは川沿いを歩いた。

周りの桜並木と、はらはらと花びらの舞う道を歩く彩月は一枚の絵画のような組み合わせだった。

彩月は私たちが同じ小学校の出身だと言っていた。

記憶にはないけれど、彼女がいうんだからそうなんだろう。

「私さ、あんま友達作るの上手くなくて……だから朝霧さんに声をかけてみたんだ。」

恥ずかしそうに笑うところを見て、私と同じ年齢の女の子だということを思い出す。

それくらい、彼女は大人びていた。

「私もなの。中学の頃友達多くなくって……。本当は不安だったんだ。話しかけてくれて、ありがとう。」

彩月は中学の頃、というワードを聞いて少しだけ反応した。何か嫌なことでもあったんだろうか?「……そっか、じゃあ、私でよければ朝霧さんの新しい友達になってもよろしいですかな?」

慇懃にかしこまった風でお辞儀をする姿に思わず吹き出してしまう。

「よろしくお願いしますわ、王子様。」

二人でしばらく笑いあって、それから色々な話をした。

小学校の頃の思い出、中学校の頃の部活、音楽、アイドル、恋愛。

いろんなことを話し合った。登校手段は徒歩、帰り道の方角も一緒のようで、私たちは毎日一緒に帰ることを約束した。

その日は嬉しくって、父さんとお母さんに新しく友達ができたことを、笑顔で報告した。


彩月は男子からも女子からも人気だった。

その凛々しい容姿と人当たりの良さに加え、運動神経も良く、学校で行われた第一回チャレンジテストの結果も上位だった。

私に友達が少ないと言ったのが嘘のようで、彼女はどんどん友達を増やしていった。

五月に入ると、彼女は週一回のペースで告白されるようになっていった。

サッカー部に入っている同級生の男子から、野球部のキャプテンを務めている先輩、果ては文化部の女子からと、男女学年関係なしだった。

「なんかさぁ、好かれるみたいなんだよね、私」

マックのポテトフライをつまみながらなんでもなさそうに呟く姿を観れるのは、多分私だけだ。

「灯もさあ、カレシとか作んないの?」

そう言われて、私は少しドキッとした。まさか、彩月がいるからいい、なんて言えるわけない。

私は返事もできず赤面してしまった。

「どうしたの灯。あ、もしかしてもう好きなオトコノコとかいるわけ?」

「いないよ、そんなの」

照れながら必死で言い繕ったが、その後しばらくドキドキが収まらなかった。

私は彩月に、恋をしていたのだ。

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