Ⅲ-9 記憶よ、語れ
目を開けるとそこには見た事も無い天井があった。見知らぬ建物、見知らぬ場所、低い唸りと体を弾ませる揺れの感覚、ここは車の中だった。薄暗い中視線を向けると同じように横たわる数人の人影が見えた。呻き声みたいなものも聞こえる。誰かに囲まれながらわたしはマットの上に横たわっていた。
「っ……」
頭ががんがんする。あんまり思い出せないけど、確かあの場所で後ろから殴られたような感じがした。
もしかして、拉致られた?
ややあって足の方が明るくなった。杖を付くような一定の音、誰か入って来たらしい。
「起きたかい」
女の人の声。「だれ……」
「あたしはドリィ。まあアナタにとっては元Cold Boarって言った方がいいかも知れないね」
目だけを向けて顔を見た。最初に飛び込んで来たのは一つの光点。緑色に妖しく光るレンズ。よく見るとそれは機械で、目に埋め込まれるように装着されていた。ピントを調節しているのかたまにレンズが丸くなったり本体が伸び縮みする。エルネスティーに見せてもらったビデオカメラと同じ動きだ。この人は左目が機械で出来ていた。右目は黒い眼帯で覆われている。
ミゼットおばさんみたいな話し方の割にはそこまで歳を取っているようには見えない。せいぜいわたしより大人っぽいと感じさせる程度。でも彼女は確かに言い放った。Cold Boarと。
Cold Boarはエリクだけじゃ無かった。そうなるとフォルジェロも本物でなかったなんて言い切れなくなってくる。
「何が何だかわからないみたいな顔してるね。まあ無理も無いか。アンタが知っているとしたらトワイズだけだろうし」
トワイズ。トワイズって誰だ。エリクの本当の名前?
「トワイズって、わたしのパパ……?」
「何だい、あいつ自分の事をそう呼んでもらってたのか。強面によらず可愛らしい──そうさ。Cold Boarイチ体格のデカいヒグマみたいな大男。アンタを引き取って一緒にいると思っていたが、その様子だと記憶すら曖昧みたいだね。何があったのか知らないが」
体格の大きい、ヒグマみたいな強面の大男。
ヒグマ。
無骨な手。
覆い被さる。
体。
……──。
「……っ……」
……!──。
……。
やっぱり……。
わたし……は……。
だとすると。
もう、エルネスティーと一緒には、いられない……。
「まあいい。時にアンタに聞きたい事があるんだ。どうしてここに連れ込まれたか、わかるかい?」
わたしはドリィを見た。首を振る。すると緑の光点が消え、ランタンの明かりを強めた。
「三ヶ月前、ラスカシェロスってトコで男を二人殺した記憶は?」
胸が高鳴った。三ヶ月前に男の人が二人と言えば、ラスカシェロスでの出来事しか無い。
「何故殺した。襲われた?」
「……わからない」
「は?」
「覚えてなくて。気付いたら二人、血を流して死んでて……」
必死に言い放った、それは事実だった。あの場で二人を殺したのはわたししかいない。けれど、どうして殺す事になったのかはまるで記憶から抜け落ちていた。
「知らばっくれんじゃないよ! アンタが殺ったってわかってんだ!……あの場所にライフルの空薬莢が落ちてた、Corps De Boisって刻印されたモンがね。アンタのライフル弾にも同じ刻印がされてた……!」
怒号が飛んだ。
ライフルの薬莢、Corps De Bois、エルネスティーがいつか諳んじてくれた、エリクが残した詩の最後と同じ響き。
どうしてもっと早く気付かなかったんだろう。もっと早く気付いていれば、こんな気持ちになる事も無かったのかな──。
━━━━━━━━
「……誰?」
「臓器売買人だ。死体専門に抜き取る」
ある日野営の準備をしていた時にふと薮の中から現れた男の人。わたしより少し年上のように見え、咄嗟にライフルを手に取った。その男の人は両手を上げ敵意が無い事を示した。それからナイフが何本か収められた腰のホルダーを外してわたしの近くに放り投げ、焚き火を挟んで向かい側に胡座をかく。武器は腰に身に付けていた以上のものは持っていないようだった。
出し抜けに藪から現れるなり、武器を放って対面に座る不思議な状況。何この人。それでも警戒しながら火かき棒として拾った枝で焚き火をつついていると、男の人が言った。
「どうして女の子ひとりで野営なんかを?」
義理が無いから黙っていた。変に詮索され弱みを握られるとろくな目に遭わない。それに死体専門の臓器売買人と言っても、その場で殺した人から奪ったり、生け捕りにして向こうで解体、なんて手合いも少なくない。当然生きたまま抜き取った臓器の方が新鮮だから高値で売れると聞いた事があるが、死体専門と言うからには粗悪品もそれなりに取り扱うのだろう。
「だんまりか。じゃあ焚き火ちょっと借りてもいいかな。昨日締めたウサギ食おうと思うんだ。一緒にどう?」
背嚢からボロ布に包まれて取り出されたウサギは丁寧に血抜きされ新鮮そのものだった。野を渡るなら必ず務める業。野営の機会はやはり多いのかもしれない。
男の人は適当な木の枝を周囲から拾って骨組みを作り、皮剥用の小さなナイフで素早く皮を剥ぎ、不味い部分の内臓を焚き火に放り投げ、適当な枝に串刺して炙り焼きを始めた。わたしが
「そのウサギ、どうやって捕ったの」
「罠だ。色んな生き物に使える」
「ふうん」
色んな生き物ね──そんな風に思うが、まあこの際気にしない。
火が通るまで待つ間、男の人からついでと固形ミルクの塊を貰った。適量の水と一緒にブリキのカップに入れて火に掛けると次第に溶けてホットミルクになる。最近なかなか手に入らなくなっていたけど無くなった訳では無いらしい。しばらく飲んでいなかったからこれも嬉しい贈り物だった。
「ありがとう」
「何て事無いよ。このご時世、女の子がライフル一丁で野営なんて一筋縄ではいかない相手だろうし」
「よくわかったね」
「僕も伊達に長生きしてないからさ」
変な言い方、と思いつつもここでホットミルクが沸騰を始めた。同時にウサギ肉もいい感じに火が通ったのか、脂の爆ぜる音と同時に肉の焼ける香ばしい匂いが漂い始める。
「いい感じだ。どこ食う?」
「後ろ脚」
「だよな。前脚はまあ好き好きで。一本ずついただこう」
「あと、頭」
「冗談きついぞ」
「わたしの火だけど」
「捕ったのは僕だ」
「……」
「……」
「半分こしよ」
「異論無しだ」
そういう訳でわたしたちはウサギを縦に分けるようにしてそれぞれの部位をいただいた。やっぱり野営で手軽に食べられるお肉はウサギが一番に美味しい。
そうやって黙々と食べていると、ふと男の人から訊ねられた。
「そう言えば名前を聞くの忘れてた。僕はエリクだ」
死体専門の臓器売買人、そんな肩書きだけで自己紹介を済ませるものと思っていた。けれどウサギ肉とミルクも貰って名乗らないのも何だか後味が悪い。
「レティシア」
「綺麗な響きだな。似つかわしく無いくらい、いい名前だ」
何だよそれ。まあ確かに似つかわしく無いし、パパの低っくい声で呼ばれた記憶しか無いから綺麗な響きだなんて思った事無いけど。それに名前で呼ばれる時は大抵怖い思いをする前兆みたいな気がした。まるで呪いの呪文みたいに、自分の名前が呼ばれる記憶。
パパからは知らない人の世話にはなるなと教えられていた。まして同業相手ともなると時には自分が出し抜かれる場合もある。見知らぬ人は危険と韻を踏むんだ、と意味はよくわからないけど金言のように日頃から漏らしていた。見知らぬ人は危険、でも本当にそうなのか、全く意図せず知らない人の世話になったのは実は初めてだった。だからそれが正解なのかはわかっていなかった。
「レティシアは何して生きてるんだ?」
「……依頼されたものをライフルで撃ち取る。でも追い剥ぎとかはやらない。頼まれたものしか狙わないって決めてる」
「それはどうして?」
「生きるのに大事なのは、決められたルールをいかにして守っていくかだ……ってパパがいつも言ってたから」
「決められたルールを守っていく、か」
エリクは焚き火の明かりに目を細めた。
「僕がどんな生き方したってそれは守れそうも無いな。レティシアはいいパパを持った」
その言い方にムッとして、思わず反論してしまった。
「良くなんか無い。いつも嫌な事言うし、それに躾だって。……」
「でも、こんなクソみたいな世界で生きていられるのはそのおかげじゃないのか?」
「死んでたかもしれない。それが嫌だった。生きるためとか言って、ほんとに、何度も殺されかけて……」
中でも嫌だったのは殺される間際からどうやって形勢逆転するかだった。馬乗りに組み敷かれて首を絞められたり、羽交い締めの状態からナイフを突き付けられたり、体を縛られて宙吊りの状態から脱出、なんてのもあった。死にかけるのはいつだってそうした訓練で失敗した時だった。
パパは本気でわたしを殺しにかかってた。パパはいつだってわたしを殺せる立場にいて、わたしはそれに太刀打ちできなかった。
訓練と言われて真正面からの対峙を想定した勝負は二八一戦の二八一敗で負け越し。最初の頃はわたしでも頑張れば勝てると思っていたけど、必死になればなるほどパパも強くなっていった。二百戦を超えてからようやく気が付いた。この勝負は
無性にむしゃくしゃして残りのウサギ肉を無理やり口の中に詰め込むと、飲み込んだあたりでまたエリクが切り出した。
「そうだ。僕からも君に一つ依頼していいかな」
「報酬は」
「永遠の生」
「永遠の生?」
「あるいは、不死」
「頭おかしくなった」
「おかしくは無いさ」
彼は掻い摘んで報酬内容を語ってみせた。永遠の生と不死を実現する代物がとある町に住む女の子の体の中にある。わたしはその女の子と暮らして、その女の子が死ねるようにする──どう殺したらいいのか訊ねたらそれはわからないと言われた。一ヶ月後を目処に町に着いてからさらに一年後、エリクがその町に来るから、その女の子が「死んだ」と思えるようになっていたら依頼は達成。わたしは晴れて死を恐れなくて済む体を手に入れられる。
眉に唾を付けたような話だけど何だか真実味があった。運良く町の中で暮らせれば食べ物にも屋根にもしばらく困らない。隠れる場所も沢山ある。
「失敗したらどうなるの」
「失敗したら……僕は君に何もしない。新しい人を雇うだけだし、不死を手に入れなかったらこの時代遅かれ早かれ逝くもんさ。強いて言うなら彼女に心身共に囚われるくらいか」
「いつからその子狙ってんの」
「ざっと半世紀くらいかな──まあそんな事どうでもいいや。その女の子は目の周りにパンダみたいな黒い模様がある。いつも青いクロークを着て地下に住む。町の人からは青い魔女と呼ばれているから尋ねればすぐに教えてくれるよ。町の名前はアンルーヴ、深い谷に囲まれた陸の孤島だ」
随分詳しい情報だ。ますますもって興味深い。それに、半世紀来狙っているという事はその子も半世紀生きている事になる。少なくとも女の子と呼ばれるくらいには見た目もさほど変わらないのだろう。
「……わかった。その依頼請け負った」
「よし、僕が町に行くのはおよそ一年後。その時にレティシアが生きてようが死んでようが、町にいようがいまいかは問わない。僕が、死んだな、と思えればそれでいいから。──おっと、町に行く時は道に気を付けてな。あの辺りは獣道が一番危ない。ちゃんと土が踏み締められてる街道を歩くんだぞ」
「どうせ失敗すると思ってるんだ」
「じゃあ前払いだ、固形ミルクやるよ。幸運を祈る」
そう言ってエリクは布に包まれた固形ミルクの塊を背嚢から取り出してこちらに放って立ち上がると、真っ暗な森の奥に消えて行った。それからしばらく経って彼が腰に付けていた武器のホルダーを忘れている事に気付いたが、夜分遅くの薮を掻き分け探し歩く気にもならない。真新しい見た目のサバイバルナイフだけ抜き取って、近くの木の幹に背を預けた。
「エリク、か」
変な人だったな。そんな事を思いながらわたしはしばらくホットミルクを楽しんだ後、ふと違和感が残っている事に気付いた。人間相手のお仕事はたくさんこなしてきたけれど、死なないものを相手にするにはどうしたらいいのか。
比喩ではない永遠の生。
つまり殺せない可能性。
「……今さら遅いか」
受けたものは仕方無い。嫌な想像で眠れなくなる前に、焚き火を掻き消して早めの就寝にした。
━━━━━━━━
「わたしはラスカシェロスで、男の人を二人殺した。テオとラウって人……そう呼び合ってた」
「ようやく自白したね。いい心掛けだ。アンタは人質。これからアルファ・ジールを連れ戻しに行く。付いて来てもらうよ」
「待って。それって……」
そこでドリィは眼の緑を光らせた。
「無線で連絡があった。あんたを森の中に一人で向かわせたから回収してくれってね」
それってつまり、わたしを騙してたって事だ。間違って撃ったわたしを許してくれて、文字の書き方も丁寧に教えてくれたのに。あんなに、あんなに優しい人が、どうしてこんな事するの。
いや、違う。わたしも優しいだけかもしれない。エルネスティーを殺さなきゃいけないかもって気付いた時からずっと、わたしはそう思う自分をレティシアのせいにして、エルネスティーとずっと一緒にいられたらって思っていた。
でも、レティシアもわたしだった。わたしがずっと過ごして来た。楽しい事も辛い事も、色々な経験を積み重ねてきた自分自身だった。
パパから殺しの術を教えてもらったのも、エリクからエルネスティー殺しを依頼されたのも。
全部、わたしの長い過去だった──。
「は……」息が苦しい。
「……っ」声を出さなきゃ。
代わりに出て来るのは、涙。
「アンタに涙はまだ早いよ。相応の報いを受けてもらうまではね」
機械仕掛けの手が、眼前に伸びた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます