Ⅱ-3 可憐な少女と秘密の約束
ベルトラン町長の邸宅を訪問してから数日後、わたしはエルネスティーに頼まれてクランのお店におつかいに来ていた。
「えっとね。今日頼まれたのはスカンク? のおなら……ブチルメルカプタン、と、カモノハシっていう動物の毒だって。相変わらずどんな薬の材料になるかわからないよ……」
紙に書かれた簡単なメモに目を通しながらエルネスティーに教えてもらったものの名前を読み上げると、クランが呆れたように言った。
「エル姉は頭がいいからよ。ぱっと見関係ないものを組み合わせて新しいものを作れる人なの。あたしは商売柄、動物の種類とか生態には詳しいけど、やっぱりエル姉ほどじゃない」
「へえ」エルネスティーの頭がいいのは色々な場面で承知済みだ。
わたしが言ったものをクランが探している間に、あ、と気づいたように彼女がこちらを向く。
「そうだ。これから暇?」
「うん。帰るだけだよ」
「じゃあ、ちょっと付き合ってほしいことがあるんだけど」
はた、とわたしはすましてしまう。
「わたしにはエ」
「ほんとバカよね、マルールって」
言い終わる前にツッコまれた。
まったくノリ悪いなあ、それで付き合ってほしいことってなんなの、と言うとクランはおつかいのものを探しながら、聞いてもらいたい話があるの、と言う。
「エルネスティーじゃなくてわたし?」
疑問を口に出すと、クランは慎重に瓶を包みながら答えた。
「エル姉にはちょっと言いづらい内容だから。それに個人的な問題だし。面倒臭い厄介事を頼むにはマルールが適任だと思ったの」
「ええ……」
頼まれ事をされるのは構わないが、厄介事とはなんだろう。けれどあのクランがこのわたしに対して、尊敬し信頼し敬愛しているエルネスティー以上に頼ってくれるというのはなんだかとっても嬉しいな。
「でも、どんな用件なの。時間が必要なくらいの話なら、店で話すのはちょっぴり疲れるよね……」鼻につんと突き刺すこの甘ったるい臭いをずっと嗅いでいなきゃならないだなんて、話している最中にだんだん鼻が曲がっちゃいそう。
「じゃあ、あの喫茶店にしようかしら」
包んだ瓶を入れた紙袋をわたしに渡しながら、お店閉めるから先に外で待ってて、と言うクラン。わかった、じゃあ待ってるね、と答えてからさっさと店を出た。
程なくして白いポンチョのコートに身を包んだクランが店の裏手からやって来て、わたしたちは歩き出す。
路地裏を抜けてすぐに商店街に入ったが、いつかの時と違って、今回のクランはわたしの先を行かずに隣を歩いてくれる。そうして素朴な感情が湧き起こってきたので、わたしは彼女に訊ねてみることにした。
「ねえね、もう嫌いじゃない?」
そう言うと、ちらっとわたしを向いてまた前を向いた。
「……エル姉助けてくれたんだもん。いくら死なない体って言っても、危ない人に連れて行かれて、危ないことされるのはやっぱり嫌だ。……それを、マルールが救い出してくれた」
だから、むしろちょっと感謝してるから、ありがと、と恥ずかしそうに言う。
「そっか。わたし、ずっとクランと仲良くなりたいと思ってたんだ。じゃあ晴れて仲良しってことで」
仲良しのしるしに手繋ごうよ、と提案してみると、少しだけ困ったような表情になりながらも、すっと手を差し出してくれた。
わたしは差し出された手をぎゅっと繋いで、以前クランと一緒に入った喫茶店へと向かった。
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「ガトーショコラとホットレモネードで」
「わたしはコーヒーで。あ、あとミルクも」
わたしたちは喫茶店に到着し、他のお客さんから遠い席に座ってそれぞれ欲しいものを注文した。すぐに注文したものがテーブルに並び、店員さんが向こうに行ったのを皮切りに、クランがタイミングを見計らってひそひそ声で話を切り出す。
「話っていうのは、あたしのパパとママのことなんだけど」
「パパとママ、って確かもう死んじゃってる……んだよね。そのクランの両親がどうかしたの」
慎重に問うと彼女はごく僅かに小さく俯く。視線を手元のガトーショコラに合わせながら言った。
「あたしのパパとママ、どうして死んじゃったか知ってる?」
「え? 事故とか」
唐突に知りようもないことを訊ねられてたじろぎながらも答えたが、クランはまた静かに答えた。
「ううん。伝染病。ちょっと前にこの町で流行して、何人も死んでいったの」
「クランの両親が死んじゃったのは、その伝染病のせいなの」
「うん」
「それとわたしへの頼み事って」
クランがようやくガトーショコラを切り分けた。口に寄せて一瞬だけ躊躇うと、思い切って口に入れておいしそうにもぐもぐする。わたしもつられるようにミルク入りのコーヒーを口に寄せた。レモネードで流し込んだクランが言う。
「ちょっと遠出しなきゃならないから……。エル姉この町から出たがらないから、代わりにマルールに行ってもらおうと思って」
「何か買ってきてほしいの?」
「買ってきてもらうっていうか……そう。危ない代物だから、ちょっと面倒臭いけど」
クランの言う危ない代物とやらが勝手に想像された。
クランは下手物店の店主だ。だから、危険な代物と言えば基本的には動物の毒になるだろう。しかし、いつになく神妙な顔つきに見えるクランの表情と、前置きのように語られたクランの両親の死因から考えて、どうやら動物の毒という訳ではなさそう。となると両親の死因から、伝染病のウイルスやら細菌やらを手に入れて来い、ということなのだろうか。
念のため、わたしから聞いてみた。
「もしかして、伝染病のウイルスやら細菌やらを手に入れて来いってこと?」
「……う、うん」
先に言われてしまったクランは跋が悪そうな顔をする。
わたしはうーんと唸りながらコーヒーを手に取った。
「ウイルス、細菌、か。確かに危ない。でも崖から落ちちゃうドジなわたしより、もっと適任がいると思うけど」
「Legion Graineを取り込んだマルールなら、もし伝染病の扱い方を間違えて感染してもきっと大丈夫だし、さっきも言ったようにエル姉は町から出たがらないから……。ね、お願い。頼まれて」
ガトーショコラの上で両手を合わせて懇願するクラン。そんなクランにかわいそうな気持ちになってしまったのか、わたしは少し躊躇ったあと、はっきりと頷いてしまった。
クランの表情が明るくなり、綺麗な緑の瞳がほんの少しきらめいた。
「ありがとう……」
「そんな泣くほど感謝されることかなあ。でもわたしにできるならなんでもするから、遠慮なく言ってね」
「うん……。そういえば、ミルク入りだけどコーヒー飲めるようになったのね。前に来たときは苦いって言ってなかったかしら」
「うん。慣れだよ、慣れ」
「ちょっと成長したんだね」
「失礼な。わたしはもう十分大人だよ」
それから二言三言重ねたあと、とりあえずの詳しい話はまた後日に改めて話す予定になった。その後、わたしたちは喫茶店でしばらく駄弁って帰路へと着く。
家に帰るのがすっかり遅くなって、エルネスティーのこめかみに怒りマークが浮かんでしまったのは、また別のお話だ。
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