もう少し未来のお話・兄貴分に託された手紙

 儂の名前は億田金一郎、億田不動産の会長であり大島中おおしまあたる兄貴の舎弟。大島家の後見人でありレイちゃんの叔父代わりでもある。大島家と億田家は親戚でも何でもない。それなのにこれだけ親しくしているのは儂の忌々しい過去が理由だ。


――― 金一郎、元気が無いと何も出来んな。


 今でこそ色々な言い方があるが、幼い頃の儂は虐待されていた。いつも空腹だった儂に食事と温もりを与えてくれたのが中兄ちゃんとそのご両親だった。


――― 金一郎、お前はリツコさんとレイの丁稚。


 中兄ちゃん亡き後、恩返しってわけでもないけど忘れ形見のレイちゃんお嬢に悪い虫が付かないように目を光らせてきたつもりだ。


―――リツコさんは案外粗忽な所がある。大丈夫やと思うけど一応保険な。


 リツコさんが言う通り「男と女はわからない」なのだろう。お嬢は結婚するより先に子供を授かったわけだが……まぁ良くある事や、仕方しゃーない。


あたる兄ちゃん……」

「金一郎さん、コーヒーをどうぞ」


 妻が淹れてくれたのはミルクたっぷりで甘々なコーヒー。幼い頃に大島家で兄貴のご両親が淹れてくれた珈琲を再現したものだ。「ありがとう」と礼を言うと妻は「ずっと見ていますね」と話しかけてきた。


「うむ、兄貴分から託されてな」


 兄貴が亡くなる約二週間前に託された手紙だ。兄貴が亡くなって五年以上が過ぎた、レイちゃんの結婚も近い事だし読んでも兄貴は怒るまい。


「そろそろ中を見てもいいんじゃないですか?」


――― すまんな、頼む。


 もしもアカンかったらあの世へ行った時に謝るとしよう……いや、儂は色々やらかしたから地獄行き、あの世へ行っても兄貴には会えない。


「読んでみよか、えっとペーパーナイフは」

「ありますよ、どうぞ」


「ありがとう」


 これは兄貴からの大事な手紙、封筒だけでもビリビリと破いてしまうのは躊躇する。妻から受け取ったペーパーナイフで丁寧に封を開け、中から一枚の便箋を取り出した。


「どれどれ……メガネメガネ……」


 老眼鏡が無いと字がぼやけて読めない。やれやれ、『金融の鬼』呼ばれた億田金一郎も歳を取ったものだ。もしも今の儂を兄貴が見たら何と言うだろう。


「何が書いてあるんですか?」

「うむ、ちょっと読んでみよか……ん? これは……」


 ここは滋賀県新高嶋市、儂は小さなオートバイを愛した男の弟分……。


◆        ◆        ◆


「やれやれ、ただいまっと」

「お義母さん、何か探し物ですか?」


 我が家へ戻った私が見たのは散らかった部屋を片付ける母の姿でした。探し物が見つからず泣いたからか荷物を運んで汗をかいたからかメイクが崩れてホラー映画みたいになっています。


「うん、チョッチ探し物してたの」


 幸いなことに探し物は見つかったみたいです。


「どこへ片付けたのかな~って思ってたんだけどね、引出しに入ってたの」


 母の手には手紙らしき封筒がありました。クールビューティな見た目に反して少しおっちょこちょいな母は手紙を片付けた場所を忘れて大探ししていたみたいです。散々探した挙句に机の引き出しから出てきたのですから、大事な物はキチンと片付けてねって思います。


「ふ~ん、まぁええわ。とりあえず晩御飯やね」

「今夜はお好み焼きですよ」


 野菜を食べたがらない母ですが、お肉と組み合わせると食べてくれます。お肉と組み合わせるといってもシチューやカレーみたいに別々によそえるものはダメです。お父さんは「リツコさんはお肉ばかりよそうから困る」と言っていました。


「お好み焼かぁ……」


 母が遠い目をしている時は父の事を思い出しているか晩酌で何を飲むかを考えている時です。


「ビール……いや、ハイボールも捨てがたい。いっそ両方呑んじゃおうかな?」


 勝手にしやがれと思ったら楓ちゃんが「片方にしないと悪酔いしますよ」と言いました。母は一種類のお酒だと「飽きちゃった」と早めに晩酌を切り上げます。一緒に暮らしているうちに彼も母の生態を理解したみたいです。


「お酒はともかく、お父さんの手紙には何が書いてあるの?」

「ん~っと、とりあえず『リツコさんへ』って書いてあるから後でね」


 このあと、母はお好み焼きを肴にビールを痛飲しました。当然ですが酔いつぶれて寝てしまったので手紙に何が書いてあったのか聞けませんでした。


◆        ◆        ◆


 『兄貴分に託された手紙』を読んだ金一郎さんは「わははっ! なるほど中兄ちゃん! 全部お見通しや!」と笑いながら老眼鏡を外しました。


「明日香さん、兄貴には未来が見えてたで!」

「あらまぁ、予言ですか?」


 金一郎さんが見せてくれたのはリツコさんとレイちゃん宛ての手紙でした。少しおちょこちょいなリツコさんを心配した大島さんが金一郎さんに託した大切なお手紙です。


「あらあら、でもリツコさんはそういうところがありますからねぇ」

「そうや、姐さんは少しおっちょこちょいな所があるからなぁ」


 大島さんが心配する通り、リツコさんは少しドジでおっちょこちょいな所があります。この手紙がしかるべき時に見つからず、肝心な時に読まれないのを避けるべく大島さんの舎弟である我が夫に託したのは正解に間違いありません。


「この『リツコさんはおっちょこちょいな所があるから金一郎に同じ内容の手紙を託しておく』ってのが兄貴らしい」

「この『元気ですか?』の前に在るスペースは何でしょう?」


 金一郎さん曰く「緊張と緩和」だそうです。場が静まって注目が集まったところで『元気ですか?』と大きな声で尋ねるのが良いのだとか。


「元気は大事ですね」

「そうや、元気だけで物事が解決するほど世の中は単純やない。でも元気が無ければ何にもできない、だから兄貴は『元気が有れば八割方何とか出来る』って言ってたな」


 私が乗っていたスーパーカブの部品が入手できず修理が困難になった時、大島さんは「元気があっても部品が無ければ何ともできない」と言っていました。そして「技術が有れば何とかできる」とも言っていました。


「最後はアレで締める……と、ここは姐さんにお任せしたいなぁ」

 

 お手紙の肝心な部分は……まだ内緒にしておきましょう。

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