2022年 8月

メープル

 いつもなら定期的にオイル交換に来る常連が店を訪れない。異動でもあったのかと妻に聞いたが「今はナイショ♡」とはぐらかされた。基本的に我が大島サイクルは原付二種、排気量百二十五㏄までのオートバイしか取扱いしていない。ステップアップして大きなオートバイに乗り換えたなら来なくなるのも納得だが、そもそもその常連は満艦飾の白バイに乗って「ゴテゴテしたバイクはイヤ」とセル無しのスーパーカブを選ぶほどだ、乗換えた可能性は低い……と思いたい。


「何か失礼な事でもしたかな」

「大丈夫よ、晶ちゃんなら大丈夫」


 そんな会話をしたのは少し前、リツコさんが大丈夫と言うのだからと特に連絡も入れず数週間が経った。そんなある日、一台のミニパトが店先に停まった。


「あ~暑い。おじさん、久しぶり」

「こんにちは、今日はミニパト? 珍しいねぇ」


 降りてきたのは『高嶋署の白き鷹』こと浅井晶さん。白バイ隊員ではないゆったりとした制服を着ている。もう一人の若い警察官は……多分女性だろう。滋賀県警高嶋警察署は何故かので有名な署だからだ。


「そちらの方は、もしかして増員?」

「増員っていうか……天美あまみっ!」

「はいっ!」


 若い警官は「高嶋署白バイ隊員に配属されました 天美友希あまみゆうきです!」と敬礼をした。まるで元某歌劇団の女優みたいな名前だ。正直言って見た目は男性なんだか女性なんだか判断できないのだが、声からすると間違いなく女性。中性的からやや男性よりな見た目なので、恐らく女性にモテると思う。


「暑い中で立ち話もなんやから、店へどうぞ」


 普段なら新しく配属された隊員と熟練走行を兼ねて白バイで来るはずなのに、今日はミニパト。晶さんに「ここは警察官立ち寄り場所だから大丈夫」と促されて天美さんも店内へ。


「いつもやったら白バイで来るのに、今日は車検にでも出してるん?」

「それがね、しばらくこの天美が私に代わる事になりまして」

「よろしくおねがいします」


 晶さんの表情が依然と違って柔らかい。雰囲気も女性的というか、いや、一見はイケメンにしか見えんけど女性で人妻やったな。


「赤ちゃんが出来たんで、しばらく内勤です」

「お、それはめでたい」


 ここのところ白バイがあまり走っていないと思っていたら、晶さんのご懐妊が理由だったとは。リツコさんは色々聞いていたのだと思うが言わなかったのは口止めされていたからだろう。


「リツコちゃんには安定期に入るまではナイショにってお願いしてたんだ、でもって配置転換や引継ぎでバタバタして」


 大きな組織故に小回りが利かないのだろう。妊娠がわかって以降は引継ぎをしたり、内勤業務を覚えることもあって大変だったらしい。


「バタバタして気が付いたらお腹が大きくなって、制服もお腹周りがゆったりしたマタニティ制服」

「へえ、そんなのがあるんやなぁ」


 レイがお腹に居る時、暑い時期のリツコさんはワンピースなどのゆったりした服装だったように思う。私服故にそれほど気を使わず有る服を着ていたみたいだった。制服だとある程度の決まりがあるから大変だ。


「女性の社会進出が進んでるからなぁ、警察も対応してるんやね。体調はどう? 順調な感じ?」

「それがですね、先輩は最近お菓子とか甘いものばかり食べているんです」

「天美、それはナイショにしてッて言ったでしょ?」


 最近の晶さんは甘いもの、それもメープル味のものをよく食べているそうだ。


「メープルが好きですよね」

「そうね、無性に食べたくなるの」


 妊娠中に特定の物を食べたくなるの良くあるらしい。代表的なのが『酸っぱいものを食べたくなる』だ。ウチのリツコさんも妊娠中に『ホットケーキで餡子を挟んで食べたい』と駄々をこねた事がある。


「朝はパンケーキにメープルシロップとバター、おやつのクッキーもメープル味でアイスもメープル。薫さんは『メープル味ばかり食べるから、赤ちゃんの名前はかえでにしよう』って」

「それはいい案やね、どっちが産まれても使える」


 晶さんとかおるさんはどちらも男性とも女性ともとれるジェンダーレスな名前の夫婦だ。その流れでジェンダーレスな名前で良いと思う。


「天美さんもジェンダーレスな名前やね、まるで某歌劇団出身の女優みたいや」

「よく言われます。母がその女優さんのファンなんです」


 天美さんは女性だが涼しげな美青年に見える。王子様タイプの晶さん・スポーツマンタイプの霧島さん。高嶋署に来る白バイ隊員が男装の麗人ばかりなのは何故だろう?


「それにしても……」


 天美さんはキョロキョロと店内を見回して「可愛いバイクばかりですね」と言った。

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